百姓日記


台風とナスのキズ

 土曜日にとうもろこしが終わり、スイカやマクワウリが採れ出しました。信濃町はもう晩夏です。

スイカと言うと夏の一番暑い時期に食べるイメージがあります。でも、普通に育てるとお盆前後が収穫の適期になります。スーパーなどで、7月頃から売られているものは、九州や四国などの暑い地域で育てられたか、もしくは、ハウスで促成栽培されたものになります。

スーパーに行けば一年中ありとあらゆる野菜が売られていて、本当の旬がどんどんボヤけてしまいますね。

 スイカの原産地はアフリカの南東部で、現地では野生のスイカ(写真で見たことがありますが、サバンナにスイカがゴロゴロと地平線の彼方まで転がっています。)を主食にしている部族もいるようです。スイカが主食って…世界は広いです。

先日の台風の影響で収穫したナスの約半分がキズモノです。幼果が風で揺さぶられると支柱や茎に擦れた部分がかさぶた状になります。製品としては売れないので『キズモノ』として大量に袋に詰めて直売場に出します。殆ど、利益にはならないですが、棄てるよりは気分的に楽なので直売場様々です。

秋の気配

 日中の陽射しは酷しいものの朝晩は過ごしやすくなってきました。今朝など、ちょっと肌寒いくらいでした。収穫と出荷作業、田畑の草管理、秋作の準備と相変わらず忙しい毎日です。

伸び伸びになっていた田んぼの畔草を刈りました。だいぶ、繁っていました。田んぼには、稲穂がついています。今年は成育期の天気が良くなくて(曇天&寒い)実付きは余り良くなさそうです。

夜の梱包の時 外で休んでいると秋の虫が鳴いています。

盆も過ぎれば、もう秋ですね。

アフリカとアラスカと4

 いや、ホントに長いな。興味のない人は無視して下さい。農業ブログではありません。

 

9割大丈夫だけれど失敗すれば100%沈没=限りなく死。+ 不確定要素込み

6、7割の確率だけれど、万全の体制で挑めば、自力でなんとかなりそうな水路。

二つの選択を目の前にして、僕は後者を選びました。9対1の確率のサイコロを、神様に振らせたくはなかったのです。

カヌーを左手の波が弱いラインを通り抜けやすい位置に動かし深呼吸。胸元まで競りあがりそうになる恐怖を黙殺しました。ここでビビっても『なにひとつ得な事はない。』100%完璧な状態、100%な自分で波間に入る事が、いま一番求められている事。恐怖に捕らわれて、パニックになったらお仕舞い。失敗したら死ぬだけ、生きるか、死ぬか、それ以外の道がないなら、いま 全力を尽くせる状態にするだけ。6、7割の成功確率をほんの少しでも高める為に、心を穏やかに静め、少しの状況変化も見逃さないようにピンと神経を張りつめる。

加速度的に早くなる流れに乗り、空に向かってそびえ立つ大岩に向かう。岩に当たった水の流れが盛り上がり、カヌーが少し空に近づく、次の瞬間エレベーターに載った時のような感覚で、カヌーは波の谷間に滑り落ちる。

2メートルを越す波の壁に阻まれて、僕の視界には水の壁と青い空しか見えない。頭から波しぶきを被り、カヌーのなかに水が雪崩れ込む。パドルを叩きつけ、左右に漕ぎ、兎に角 波の隙間をバランスを崩されないように流される。翻弄される。

どれくらいの時間だったんだろう?数秒か、数十秒か、数分か、駒送りの映像を観ているような時が過ぎ、僕の視界にはさざ波と太陽と青い空と森が映った。ゴウゴウと後方から濁流の音が聞こえる。

生き延びた。

ずぶ濡れの身体が安堵を感じて緩んだ後で、途方もない恐怖感に襲われました。声を出して咽び泣きたいくらいの恐怖。押さえていた感情が溢れ出した瞬間。その後の数週間は、目を閉じると波の壁を瞼の裏に見ました。

リアルな死を目の前にして、結末にとらわれることなく、全力で、100%完璧な状態の自分でぶつかっていく準備ができた事が、僕のなかのなにかを変えました。

腹を括る。結果は、知らね。

人生もそれでいいのではないかと思います。

 

 農家は儲からない。でも、自分が百姓として生きていきたいのだから、それでいいんじゃないか。他の選択肢があると思うから苦しむ。歩きたい道以外を歩きたくない自分自身を諦める。ちょっとでも売上を増やすために全力で(時々、手を抜いて)頑張る。結果は、いまこの瞬間には関係ねぇ。

まだ見えぬ結果だけに捕らわれてしまえば、息が詰まる。逃げ道があると思うから本気になれない。全力でやって、それでもダメなら、ダメだと受け入れる。それだけ。考えようが、考えまいが、いつか答えは向こうからやってくる。

僕らに出来ることは、いまを全力でやる。それだけしかないのだと思います。そして、いまを全力で駆け抜けていれば、いつかさざ波と太陽と青い空と森が目に映るのではないかと思っています。

昨日もねぇ。明日もねぇ。今しかねぇ。

アフリカとアラスカと3

この話ながいな。まだ、続きます。

 自分と言う人間の総合力が試されるアラスカで僕は得難い経験を強制的にさせてもらいました。

ユーコン河はかなり大きな大河です。中流部以降は川幅数キロ、河口部に至っては数十キロのサイズがあります。平坦な土地を流れる大河らしく、ゆったりとした流れで、殆ど危ない場所はありません。ただ、道中に二ヶ所 危険なポイントがあります。そのひとつが上流にある『fivefinger』です。

『五本の指』その名が示す通り、広かった大河が、その場所だけウエストのくびれのようにキュと狭くなり、川面からは五本の巨大な岩柱が空に突きだしています。重い川の流れは岩に当たり、砕け、大波が渦巻く危険な場所です。

ただ、右岸ギリギリを進めば安全に抜けられる事を、日本を経つ前も現地に入ってからも何人かの人に忠告されていました。

 

 でも、あれはいったいなんだったんでしょう?ちゃんと意識していたはずなのに、穏やかな川の流れに思考が停止していたのか?魔が差したのか?遠くに岩柱を眺めていたら、気がついた時にはドンドン早くなる川の流れに、危険水準を越える所までカヌーは流れていました。

僕が居たのは河の中心辺り、そこから右岸までは数百メートルの距離。早くなる流速から目測しても必死でカヌーを漕げばギリギリ間に合うか、その手前の大岩が作り出す大波に呑み込まれるか?微妙な位置。9割方 右岸には間に合うはず、だけど、もし、たどり着けなかったら100%の沈没。それから、自分の居た位置からは右岸ギリギリの静水面部分が確認できなかったのです。ひょっとしたら、静水面はもっと先かもしれない。そんな不確定要素がありました。

停止していた思考を急回転で呼び起こし、状況を確認する。

僕の左手前方には二本の岩柱に挟まれた水路が、この岩の間も波は酷いけれど、他の水路よりはマシ。6、7割の確率で乗り越えられそうな感覚。

一瞬のなかで僕は判断を下しました。

『左手の岩場を抜けていこう。』と

不確定要素に賭ける方が危険だと判断したのです。

はい。次は4に続きます。

アフリカとアラスカと2

前回の続き

 アフリカからボロボロになって戻った僕は『もう、旅は終わり。これからはまっとうに生きよう』と、沖縄のサトウキビ工場で働きながら考えていました。

その頃の僕は『真面目に就職して、マトモに生活しなければ結婚も出来ないし、幸せにもなれない』と思い込まされていたんですね。10年近くヒッピーをしていたにも関わらずです❗

ホントに日本の教育は偉大です。自制を刷り込み、常識に縛られた従順な人間を産み出す教育の賜物です。常識なんぞ、ただの多数派の意見でしかないと気が付くまでは、まだ時間がかかりました。

 

 『マトモになるぞ!』と思ったものの、半端者の僕にすんなりと社会に合流する事は出来ませんでした。三年間 北や南や山で季節労働をし、時々 短期の海外旅行に行き、気がつけば29歳の初夏にカナダのユーコン河辺に立っていました。

ユーコン川はカナダ(ホワイトホース)から数千キロ先のアラスカ ベーリング海(確か?)に注ぐ大河です。アフリカで味わった『ガイドブックじゃない自分の旅』をも一度味わう為に行きました。

アラスカは人の密度が非常に薄く、その分 自然の濃度が高い大地です。町が所々に点在するカナダ側上流部はまだしも、アメリカに入って以降は、数百キロおきに人口数十人規模の村がポツリとあるレベルになります。強制的に数週間 人にまったく合わない経験はアラスカ以外では、なかなか出来ないと思います。

アフリカの旅では『忍耐力と適応力』が問われました。アラスカの旅では『人間力と総合力(経験値)』が問われる事になりました。

人に出会わない。世界には自分ひとりしかいないような感覚。悪くなかったです。寂しくないと言えば嘘になるけれど、ひとりを楽しむ時間は、悪くなかったです。

数羽のワタリカラスが僕の見て、僕の事を話し合っているのを聞きました。河辺を急ぐおじさんみたいに人間臭いヤマアラシに出会いました。自分のテリトリーに勝手に張られたテントに怒っているムースにも出会いました。熊や山猫にも出会いました。

ここは、人間の社会ではなく、動物の社会なのだ、と感じました。ここでは、僕の方が部外者なのです。だから、河を流れた数ヵ月の間に僕も動物となりました。生きる自由も死ぬ自由もある世界で、すべての時間を自分だけの為に使いました。

あっ!

書きたい話にまで、まだたどり着かない。ながくなるから、その3に続く。だね。

 

アフリカとアラスカと

 暑い日差しの下でじゃがいも掘りをしました。それにしても暑い❗元々、田んぼだった畑で育てたじゃがいもは、あんまりたくさん採れませんでした。湿気がちょっときついのかもしれません。

 

 じゃがいも掘りをしながら前回ブログに書いたアラスカの事、それに付随してアフリカの事をを思い出していました。

 

 僕は18歳から30歳まで国内外をフラフラとしていました。特に目的意識もなく、全力で逃走する日々。20歳の時になんとなくな流れでアジアを放浪し、その後も結構いろんな国を訪れました。でも、20代半ばまでの前半部分の旅は、殆ど『スタンプラリー』みたいなもんでした。

ガイドブックを読んで、ガイドブックに載っている街や観光地を点々と繋ぐ旅。勿論、そこで出会った人や風景や感情も大切なモノなんですけれど、ただ、決められた道を辿るような旅行でした。

26歳。アフリカの旅はひとつの転期でした。アフリカは『忍耐力と適応力』を問われる大地でした。ガイドブックは殆ど意味を為さず、すべての情報を自分の足で得なければ動くことさえままならない土地。

灼熱のスーダンを越え、エチオピアの片田舎まで来た時に、余りの理不尽さと食事の合わなさ、アフリカ人の適当さ(実はめちゃくちゃやさしくて、素直な子供みたいにピュアな人達だと、その後に気がつきました。)、そして、南京虫の猛攻でボコボコになった身体に、精神が悲鳴を上げました。

『もう、日本に帰りたい。』

半泣き状態でアフリカになど来た自分を恨みました。でも、勿論だけれど エチオピアの訳のわからん村から直ぐに日本に帰ることなど出来ません。限界まで追い詰められた僕が出した答えは『諦めよう』でした。

『帰ることは(物理的に)出来ない。ならば、全てを受け入れて前に進むしかない。』他の選択肢はなかったのです。

そう開き直ってからは異常な勢いで日々が楽しくなりました。いまでもその時の感覚を覚えているのですけれど、本当に尋常じゃないレベルでテンションが上がったんです。あれ?なんだったんですかね?限界を超えて『これ以上は無理』と判断した脳が、自衛の為に脳内麻薬をドバドバ垂れ流していたんじゃないかと思います。

毎日楽しくて、ニコニコしてたら次から次に楽しい事がやって来た。それまで不審の思いしかなかったアフリカ人も皆最高に素敵な奴らでニコニコしながら出会いと別れを繰り返しました。夢の中にいるような、そんな日々でした。(まぁ、最終的に上がれば下がるが世の習いで、その後 酷い落ち方したんですけどね。)

アフリカは自分の全てを総動員して前に進む『本当の旅』を僕に味会わせてくれました。そして『旅も人生も(ポジティブに)諦めて進むしかない』事を教えてくれました。

その体験が今の自分を支えています。

人生を終える決断が出来ないのなら、どんなに自分の事が嫌いでも、今の生活が嫌でも、こんなハズじゃなかったと思っていても、諦めて、受け入れて、前に進むしかないないんです。他の道はないんですよ。

話が長くなったのでアラスカの話は次回にします。

想像力

 八月上旬に淡路から、お盆前に東京から友人とその家族が遊びに来てくれていました。両方 長男と年齢が近い子供がいて、子供同士一緒に遊んでいました。

夜になると子供たちはオバケ退治で家のなかを散策。でも、やっぱり怖い。想像力が暴走してワーワー言いながら親の元に逃げ帰ってきます。じぶんでもそうだったのだけれど、子供の頃って想像力が豊かですよね。見えないものを想像し、恐れおののく。大人になったいまは『オバケよりもよっぽど人間の方が怖いよ。』と、つまらない大人に…

でも、大人になってからも頭のなかで想像が膨らみ、自縄自縛してしまうことがよくあります。

 僕は20代の終わり頃にアラスカの河を、カヌーでキャンプをしながら降った事があります。人間の濃度が極めて薄い土地で、その分 野生が濃い場所でした。夕方(白夜なので明るいですけれど) キャンプをしようと岸に上がりテントを建てて、焚き火用の薪を拾いに森にはいると至る所にヒグマの足跡🐾が…。それもデッカイの❗人の掌よりも大きな足跡がテントのすぐ傍にたくさん残っています。

夜 怖くて眠れなかったです。枯れ枝を踏む音にドキドキしながらテントから覗くとヤマアラシと目が合ったり(笑)。

なんでもないときには無視できるのに、一度恐怖のループに捕らわれると想像力が暴走を始めます。余りにも怖くてカヌーのなかで眠った夜も幾日かありました。そのうちに慣れて、開き直って、普通に陸で寝てましたけどね。

後年 友人と二人でモンゴルの川をゴムボートで降っていた時にもキャンプ場所に狼が掘ったであろう巣穴が幾つかありました。朝起きて二人で朝食を食べていると、友人が『昨日は狼が怖くて眠れなかったです。』って言っていました。アラスカでのじぶんを見ているようで微笑ましかったです。朝の光のなかで、彼は『なんで?あんなに怖かったんだろう?』と

 

恐怖は一度とらわれると、そこから抜け出すことが困難です。悪い想像や恐ろしい想像が頭のなかをグルグル回り続け、その思いを排除するために冷静さを失った行動にでる場合があります。

例えば、隣人や隣国に対して『やられる前にやってしまえ❗』と喧嘩や戦争になったり、レールからはみ出す恐怖からうつ病になりながらも仕事を続けたりします。

実は、殆どの場合、そんなに大したコトでもないのですけれどね。

『じぶんよりも強いものがいる世界』を実感できた事、『恐怖の想像を頭のなかに閉じ込めてしまうと暴走しちゃう事』『本当に怖いのは恐怖に縛られて間違った判断をしてしまう事』

そんなことを若い頃に知れたのは、結構大切な事だったのではないかなぁと思う今日この頃です。

美人ですねぇ。

 今日も茄子のお話。

りんもく舎で5種類育てている茄子のなかで一番作付量が多いのが『真黒茄子』です。やや長めの茄子でスーパーなどでよく売られている『千両茄子』の先祖種になります。ナス類総数300株のうち200株は真黒茄子です。

茄子は栽培の難しい野菜のひとつです。しかし、なぜか僕は茄子栽培が得意で、友人の有機栽培農家から『茄子師匠』とか言われています(笑)。

茄子がおもしろいのは、結構人間臭い部分があるからです。若い、ちょっとチンピラみたいなところがあり調子の良いときは『イケイケ、ドンドン』なのに、ちょっと辛くなると『ショボショボ』となって、根性なく、すぐに枯れてしまいます。バカで素直で投げたしがちで分かりやすいと、誰かに似ているから好きなのかもしれません。

不耕起栽培7年目の畑の茄子はスラリとしてキレイな樹形で『美人やなぁ』と惚れ惚れしながら魅入ってしまいます。蝶よ花よと甘々に育てられた慣行栽培品にはない『凛として自立した』印象を受けます。

長くて白い

 世間はお盆休みに突入したようで、観光地の信濃町町内も車通りが増えています。そんな世間の長期休暇とは無関係に百姓は続きます。

 

 りんもく舎では茄子を5種類作付しています。定期宅配が基本営業なので手を変え、品を変え お客さんに飽きられないようにしています。でも、珍しい野菜をお届けしても極一部の方には受けますが、たいていは受けません。

農家をしていて、食と言うのは非常に保守的な分野だなぁと感じます。トマトなら桃太郎、ぶどうなら巨峰といった具合に、殆どの人は慣れ親しんだ品種を好みます。また、土地柄に沿った地場品種なんかもあります。信濃町(北信)で例えれば『ぼたこしょう』や『小布施丸ナス』などがあります。

ぼたこしょうと言うのは、縦に潰れたピーマンのような形をした唐辛子辛い野菜です。まわりの人は大抵作付しているので、りんもく舎でも数年間は作ったのですけれど、町外の人には非常に評判が良くなかったです。『辛い❗』『どーやって使うのかわからん💢』などなど

なので、今年は作るのを止めました。

すると奥さんが『ぼたこしょう作ってないの❗』と、信じられない❗みたいな反応。… そして、『こしょう漬け(郷土料理)作れないじゃない。』とか、のたまう始末。

『あんた、年に数回しかこしょう漬け作らへんやん…』

 

あれ?話が変な方にトンだな。ナスの話やったはずなのに…

 

 りんもく舎で育てているナスは基本の長ナスが『真黒茄子』、それから在来種の『在来青ナス』、固定種の『ローザビアンカ』、欧米人に好まれる『フレンチ白ナス』の毎年作付4天王と、今年はじめて育てた『味しらかわ』って品種になります。

この味しらかわは『白くて、超細長い』茄子です。

超長ナスは『庄屋大長』と言う品種が有名です。大きくなっても皮が薄くて味もよく、西日本ではメジャーな品種です。ただ、過去にりんもく舎でも作付しましたが、東日本の長野ではまったく馴染みがないようで、直売場でまったく売れませんでした。

白いナスは今年も作付している『フレンチ白ナス』です。クリーミーな食間でとても美味しいのですが、これまた保守長野の直売場では殆ど売れません。(庄屋大長よりはマシですけど) ただ、美味しいから意地になって育てています。

そんな売れない2大ナスを合体したような『味しらかわ』は、やはり売れません。

奥さんから言われました。『なんで、そんな不利なナスを育てようと思ったの?』って、…『本当にそうですよね~。』

『味しらかわ』

樹勢旺盛でやたら大きくなり豊産品種らしく毎日たくさん採れます。…『こんなにあるけど、どないしよ?』

やり過ぎ

 畑の面積を今年から増やした影響で野良仕事が追い付いていません。農業はタイミングの仕事なので適期を逃すと雪だるま式に仕事が煩雑になります。

草刈りや選定、追肥のタイミングを逃してしまうと野菜にも諸々の悪影響がでます。捕らぬ狸の皮算用で作付面積を増やして増収をはかったのに、結果的には小面積で痒いところに手が届いていた方が野菜が元気で収量が良かった。なんて事になります。

来期は、もう少し面積減らそう。

延び延びになっていたナスとピーマン類の選定(芽かき)をしました。ナス科の野菜は『生殖成長と栄養成長』を同時に行います。なんのことか?と言うと、生殖成長は実を育てる成長。栄養成長は株を育てる成長の事です。人間で言うなら第二次成長期に子作りもしてる。みたいなものか?(ちょっとちがうか)

身体の成長と種作りを同時に行うものだから野菜はバランスを崩しやすくなります。そこを制御するために、混みすぎた枝葉やバランスの悪い株立ちを剪定して整えます。

元々、うちのように肥料を殆ど与えない育て方では、野菜がギリギリで成長するので余り必要のない作業なのです。が、今年は新しく借りて2年目の畑と言うこともありちょっときつめに元肥を入れました。それで株が少し暴れています。

剪定は結構難しい作業でセンスと経験が必要です。株の盛衰状態や今後の予測を元にハサミで枝葉を落として行きます。ヘタな剪定をしてしまうと逆に株を弱らせてしまったりもします。

これでいいのかなぁ?とナスやピーマンと相談しながら進めて行きます。

見開きのピーマン 左が剪定後、右が剪定前です。

 

原始人

 近頃 子供のための集まりに行くことが多いです。『川で魚取り』とか『お寺に泊まろう』などなど 子供にいろいろな経験をさせてあげたいと企画された催し。僕も及ばすながらスタッフとして手伝いを少しします。

そこで感じる事は『子供に経験をさせたいと思っている大人のスタッフの経験値不足です。』

『魚取り』では、川で魚を捕まえた事ないだろ。って、手つきのスタッフ。

『お寺に泊まろう』では、ご飯や肉を焼くための焚き火がおこせない。& 火を制御できないスタッフ。

そんな大人ばかりなんです。

子供に経験させる前に、じぶんで経験した方がいいよ。偉そうですけど、そんな気持ちになります。

僕は若い頃、ヒッピーをしていました。のべ日数ならば、たぶん数百日はキャンプをしています。その数だけ焚き火をおこしていました。

火をつけるときは、どんな風に焚き付けを組むのか、どんな木がどんな燃え方をして、どんな燠になるのか。身体に染み付いています。

ガスレンジしか使った事のない大人は、火の誕生から終焉までを想像できないのです。だから、生煮えのご飯を炊き、黒焦げの肉を焼きます。

そんな話を夜 友人のスタッフと話しました。でも、彼曰く『時代が違うから火をおこせる事は、そんなに必要な事じゃないんじゃない?』って、確かに、その側面もあると思います。

でもさ、人と動物の違いは『火を取り扱える』所から始まったんじゃないの?だから、火を扱えるって『お箸を使う』って事とおなじくらいの基礎的な事じゃないかなぁと、僕は思います。

でも、よくよく考えてみると僕の興味があることは『火を取り扱う(原始人)』、『魚や獣を捕まえて、調理する(狩猟民)』、『山菜や木の実を捕る(採集民)』、『畑と田んぼ(農耕民)』、『小屋を建てたり、直したり(百姓)』なんですよね。

で、現代的な『SNS』とか『スマホ』とかはまったく使いこなせていません。

まぁ、なんだ。僕のレベルが現代人にまで追い付いていないことが判明した今日この頃です。

それでも原始人の方が子供には受けるけどね。

怒ってますか?

 夏の野菜は、果菜類が中心になります。果菜類って言うのは『実のなる野菜』の事です。きゅうりとかトマトとかとうもろこしの事ですね。

果菜類は未熟な実を食べる野菜が多くて(南瓜とかスイカは完熟果ですけれど) 根菜や葉物野菜に比べて、収穫適期が短いものが多いです。畑で遊ばせておく事が難しいのです。極端な例では、最盛期のきゅうりやズッキーニは、日に朝夕2回の収穫が必要です。なので、この時期は丸一日を休む事ができません。

この頃の僕の一日スケジュールは、夜明けと共に起き出して朝の収穫が良い野菜(とうもろこしとか)を収穫し、選別、梱包、荷造り、出荷、配達を済ませて家に戻るのがだいたい10時頃。それから畑に出て2時間の昼寝休憩をはさんで5時過ぎまで農作業。その後、夕方の収穫を日暮れまでしてうちに戻ります。それから子供をお風呂に入れて夕御飯を食べた後、10~11時頃まで野菜の選別や梱包を行ってから寝ます。で、4時半起床です。

農業は、構造的ブラック産業にならざるを得ません。雇われて給料貰っては絶対にやりたくない仕事ですね(笑)。

ところで、ここ4日ほど友人が遊びに来ていて収穫、出荷作業以外の農作業を休んでいました。そのつけがドカっとやって来ています。

遅くなったキャベツ類の植え付けをしていると、キャベツが怒っています。『なぁ、父ちゃん。植え付け遅くない?もう、俺ら狭いプラグトレイで疲れてるよ。』って…はい。すんません。ずっと気になってました。

夕方ナスを収穫していると、ナスが怒っています。『なぁ、父ちゃん。ちょっと葉っぱ混みすぎと違う?数日前から芽かきせなあかんってあんたわかってたんやろ?』って、はい。すんません。わかってました。

ナスを収穫しながら『ホンマ、すんません。明日にはなんとかやりますから』とナスに平謝りする今日の収穫でした。(他の作業も山積みで約束守れるかなぁ?)

はい。皆さんをほったらかして、遊びすぎました。すんません。お父ちゃんが悪かったです。

 

植林と雑木林

 金曜朝から月曜夜まで淡路島の自然栽培農家が遊びに来ていました。旅をしていた頃の友人で、僕の農業の師匠でもあります。20年来の親友でお互いに結婚し、子供が産まれた今も往き来する仲です。今回は身重の奥さんと下の娘さんを残して、長女と二人での来訪でした。

夏野菜は収穫を待ってくれないので早朝に起き、朝は収穫と発送、昼間は遊んで夕方から収穫、夕飯食ってから深夜まで梱包作業をするハードな毎日でした。

それでも古い友が来てくれるのは嬉しく、バテバテですけれど充実した日々を送らせてもらいました。

 

 先日 夕方 収穫をしていると隣の畑に近所の知り合いが来ました。東京から10数年前にIターンしてこられた方で、80歳近い年齢にも関わらず趣味から始まった『養蜂』にどっぷりとのめり込んでおられる素敵な方です。その方と我が家の農法について少し話をしました。

『鈴木くんの畑は不思議なやり方をしているね。』と、

昔の方なので草一本生えていない畑が篤農家の証と思っていらっしゃいます。一方で我が家の畑は、通路も畝も草がボサボサに生えています。それなのに、野菜は元気に育っています。それが不思議でしょうがないのです。

有機農業や自然農は、既存の慣行栽培とはかなりかけ離れた考え方を軸にしています。ある意味では真逆の考えを栽培の根底にして行っているので、既存の農法しか頭にない人に下手に有機農法の話をすると相手を否定していると思わせかねなく、不快感を与える場合があります。だから、相手を見て話をします。

❌❌さんなら理解できるかなぁ?と、ちょっとした例え話をしました。

『❌❌さんは、植林された森と雑木林では、どっちが好きですか? 大抵の方は雑木林の方が好きですよね。』

『それって、植林した森よりも雑木林の方が生命に溢れて気持ちが良いって、感覚的にわかっているからですよね。』

『じゃあ、なんで? 皆さんは、畑を植林みたいな状況にして、野菜だけを育てているんですかね? 僕は、じぶんの畑を雑木林にしたいんですよね。いろんな生命が持ちつ持たれつしながら気持ち良さそうに生命を謳歌できる場所を作りたいんですよね。その為には、雑草も虫も必要なんですよ。』

❌❌さんは❔な顔をしながら去っていきました。

 

僕はいつも不思議に思います。

自分が野菜だったら『薬(農薬)を頭からかけられたいでしょうか?』『人間(単一野菜)しか居ない世界に住みたいでしょうか?』『暑い日差しを直接肌に浴び続けたいでしょうか?』『雨が降っても傘など要らないのでしょうか?』『呼吸の出来ないビニールの服(マルチ)を着せられたいでしょうか?』『栄養価の高いご飯だけを食べさせられてブクブクに太りたいでしょうか?』

自分なら嫌だと思うことを、なぜ 野菜には出来るのか?

僕には、よくわかりません。

酷いなぁ、おい。

 家から一番遠い畑に向かう時に県道を通ります。道中は所々に家や倉庫や建物があり、その他の大部分は田圃と畑が広がっています。その県道端に町内にある大規模農家が作付しているじゃがいも畑があります。

先日 その畑の傍を通ったときに、なんだか違和感が。じゃがいも畑が灰色なんです。じゃがいもの茎は勿論、雑草も全て立ち枯れて、景色は灰色一色に…

除草剤撒いたな。

大規模な農家が時折、大豆を収穫するときハーベスター(刈り取りと脱粒、茎葉の裁断を一時に行う機械)に枝葉や雑草が絡まないように事前に除草剤を撒いて大豆や雑草を枯らします。効率化の為に行います。

それをじゃがいもでもやってるんですよね。たぶん。

それで安心、安全な国産大豆、国産じゃがいもと売り文句で売られています。

なんなんだかなぁ。

そこまでして効率化しなけりゃ利益が出ないのですかね。除草剤をぶっかけられて収穫した大豆やじゃがいもは、本当に安全で安心なんですかね?

僕たちは、いったい何処に向かいたいのでしょうか?その先に、なにが待っているのでしょうか?

うんざりしちゃうなぁ。もう。

16%

 とうもろこし、枝豆、トマトにナスなど夏野菜が一気に採れ出しました。畑の整理や雑草管理、秋野菜の定植準備と夏の日差しが容赦なく降り注ぐなかでフル回転の毎日です。

朝の光の下で販促用の写真を撮りました。トマト、枝豆、とうもろこしの『夏の黄金セット』です。売れるといいなぁ。

 

 話変わってNetNewsからの政治の話。(政治の話や年金問題、高齢化や原発の事とか社会的な話題って公の場ですると嫌がられますよね。あれ、なんでなんですかね?テレビドラマとか吉本問題とかそんなの僕らの人生に関係ないですよね。政治的な話って、実は自分たちの未来をちゃんと考えるって事なんですけどね。)

先の参議院選挙での自民党の絶対得票率(全有権者に対しての得票率)は比例で16%、選挙区で18%でした。

投票率が約50%だったので、得票率は比例32%、選挙区36%です。で、改選議席の約半分を取って、相変わらずの独裁的与党を謳歌しています。

国民の16とか18%の信任しか受けていないのに、やりたい放題出来るのです。そして割りを食うのが残りの8割の日本人なんです。

自民党の政策に共鳴、賛同して投票した人も勿論いるでしょう。でも、それ以上に一生懸命に投票場に向かったのは『自民党が与党でいれば得をする人達』じゃないでしょうか?

ひとつの党が長く政権を運営していれば既得権や利害で繋がった人達が増えます。そして、便宜やスンドが横行します。絶対的な権力に対して忖度することで、嘘や正義が歪められて行きます。

そんな国に未来はないですよ。本当に

れいわ新選組が比例で得た2議席の議員は二人とも重度身障者です。この二人のために国会は今 必死で受け入れのための改修工事をしています。つまりは、これまでは重度身障者が議員になるとは、考えてもみなかったなのです。

身障者の為の法律を立案する国会で、これまで受け入れする体制すら整えられていなかった。これって重度身障者だけの話ではないんじゃないでしょうか?

サラリーマンや個人事業主、職人に主婦や普通に生きてきたおじいちゃんやおばあちゃん、ひきこもりにフリーター、そう言ったこの国の大多数の人々は国会になど居ませんよね。

居ない人の事を国会で審議してる。そりゃ、明後日の方向にしか国は進んでいかないですよね。

たった16%の人のために皆が泣く必要なんてないです。

僕たちには、本当は力があるんだ❗って知ってもらうために皆さんに鬱陶しがられながらも社会的な話題をしていきたいなぁと、僕は思っています。

 

息子

 明日で7月も終わりです。短い信濃町の夏を楽しまなくては❗

7月は二人の息子の誕生月です。次男が5日で一歳に、長男が26日に4歳になりました。子供の成長は本当に早くて、一日一日と筍が伸びるようにできることが増えていきます。

元々、子供は好きだったけれど『僕が父親になどなれるのか?』と、思っていました。子供が産まれたら父になるのではなく、子供と共に父になっていくのだと気が付いた今日この頃です。

ホント、当たり前だけれど、仕事上がりに『お父ちゃん悪者役ね。』って言って戦いを挑む長男と、まだ、なにも喋れないけれどお帰りなさいと膝に乗ってくる次男がかわいいです。

無条件で僕の事を必要としてくれる存在が近くに居る。当たり前だけれど、幸せですね。

奥さんが僕を闇から引きずりだしてくれた。そして、息子たちが僕を光のなかに導いてくれた。

まだまだ未熟な父ちゃんですけれど家族を大切にしなきゃなぁと、思う7月です。

有機野菜

 夕方野菜の収穫をしていて、ふと目を上げると入道雲が⛅『夏なんですねぇ』黒姫の短い夏を目一杯楽しみたいです。

 

 有機栽培(無農薬、無化学肥料)は『難しいでしょ』とか『大変ねぇ』とよく言われます。でも、一区切りに有機野菜と言っても千差万別です。なんで、これに農薬が要るのだ?って野菜から本格的に難しいものまで、いろいろです。

有機野菜の栽培難易度には、いくつかの要素があります。その野菜が元々持っている強さ、品種改良の程度、産地と原産地の気候の相違など

また、肥料の質と量も病気や虫害と密接に関係しています。こう言う風に書くと難しく感じてしまいますが、人間や家畜と一緒って、考えれば良いのです。

おなじ人間でも風邪をひきやすい人、ひきにくい人 居ますよね。

犬だって血統書付きチワワより雑種の方が強いですよね。北欧の人には日本の高温多湿は堪えます。肉や甘いものばかりをたくさん食べてメタボになれば病気になります。

ねっ、一緒でしょ。

 いろんな野菜のなかで鈴木が個人的に『有機栽培が割に合わない野菜』のトップ3を発表します。

一位 キャベツ 二位 とうもろこし 三位 パプリカ です。

三位のパプリカは単純に有機栽培が難しい(品種改良が甚だしい)。生育期間も長くて、数も採れない。その上 簡単に病気になっちゃう。って事でりんもく舎では、もはや作付すらしていません。

一位のキャベツと二位のとうもろこしの理由は防虫がたいへんなのです。このブログでも度々書いていますが『土と環境を良くするば病気や虫害は減る』のですがキャベツの青虫ととうもろこしのアワノメイガは完全に防ぐことが出来ません。

だからキャベツは防虫ネットで防ぎ、とうもろこしはアワノメイガが増える前に収穫を済ませてしまう方法を取ります。それでも製品率は五割くらい。

そんなにも手間隙がかかる割に一発取り切り野菜ですし市場単価が安すぎて、正直 話になりません。

それでもキャベツやとうもろこしを育てるのは単純においしいから、そして、百姓鈴木が効率よりもチャレンジを楽しみたいからです。

そんなめちゃたいへんとうもろこしがそろそろ収穫です。

いい時も悪い時も

 久しぶりに朝から太陽が覗き、長期予報も☀️マークが続いてます。『梅雨明けしたのかな?』

気温が高く雨天続きだったので雑草の成長がびっくりするくらいはやいです。成長の早いトマトなどの夏野菜も脇芽が増えて、そろそろ整枝しないとダメそうです。雨で出来なかった作業に追われています。間に合わない。

小ぶりだけれどとうもろこしもそろそろ収穫できそうです。枝豆は来週かな?茄子の第一段もとれだして梅雨明けと共に夏野菜も本格化です。

ハウスで栽培しているトマトに病気が出ました❗ちょっとヤバそうな感じです。小さな面積で十分に手が回っていた頃には酷い病気などは出なかったのですが、作業性を考えて ある程度の集約栽培をすると思いがけない病気や虫害に遭います。

良い時も悪い時もあって、喜んだり、凹んだりする毎日です。

百姓建築 番外編

 選挙が終わりました。

毎度、毎度『今度こそは皆 気が付くんじゃないか?』『目覚めるのじゃないか?』と期待して、失望する選挙です。

自民党の議席微減。(前回 大勝後の微減…)

『それが社会の選択なんでしょうか?』

『未来への選択なんでしょうか?』

野党共闘と言った所で全然盛り上がってない。政策論争も有権者の心には、届いてない。

なんかね。野党の選挙戦のやり方が根本的に間違えてる気がします。政策論争以前の問題。選挙に興味ない有権者を引っ張り出さなきゃダメ。投票率を上げなきゃ意味ないですよ。

投票率5割弱、選挙に行かなかった人が半分居るんです。その全員が与党支持者か?そんな事ないよ。『選挙に行っても変わらない』と騙されてる人や諦めている人がたくさん居るんです。

なにがあっても自民党を応援する既得権者や利害が一致してる支持層、狂信者は有権者の3割くらいのモノですよ。そのおかげで残りの6、7割の国民の意思は無視されているんですよ。

『選挙に行かない』は『消極的政権支持=現状を受け入れる。』って事実を知らない人が多すぎます。

いつも通りやり場のない諦めに似た気持ちのなかで『れいわの2議席確保は希望の光』でした。これからも応援したいと思っています。

閑話閉題

 

 昨日は久しぶりに一日通しての天気でした。倉庫建築の続きでもしようかと思いつつ、とりあえずいろいろ残っている材木で『カブトムシ用のかご』でも作るか、と…

で、なんかよーわからんが丸一日虫かご作りに費やしてしまいました。(アホなのか?) タテヨコ90×60センチ、高さ60センチの『虫かごと言うより、鶏小屋か兎小屋』並のサイズになってしまいました。(アホなのか?)

夏のスーパー父ちゃん

 今日は朝から上の息子を連れて村の公民館主催の『風の子学級 魚取り』に出掛けました。思ったよりも沢山の親子連れでスタッフも合わせると100人近い人手。

メインイベントの魚取りをするのは町内を流れる鳥井川。50人くらいの子供たちのために100匹のニジマスが、川をせき止めたプールに放たれます。息子も必死で魚を追いかけますがいかんせん、手が小さい。ヌルヌル滑る魚に何度も逃げられながらも、なんとか二匹捕まえることができました。ハサミで腹を割き、串に差して塩焼きに

プールには子供たちの手から逃げ延びたニジマスが幾匹か。僕を入れて、お父さん4名に回収命令が、ここから百姓鈴木の本領発揮です。残っていた8匹全てをぼくひとりが瞬殺で捕獲。周りの子供や大人からは『なんなん?あの人?』のざわめきが(笑)。

経験値の差 です。

百姓鈴木は子供の頃 春から秋まで 毎日近所の川で魚取りをしていました。網なんかは持っていません。素手です。勿論網を買ってもらった事はあっても、すぐ壊れちゃいます。だから、いつも素手。

そんな日々を小学校低学年から中学1年生くらいまで年に150日くらいやっていました。魚を見付ける鵜並の眼力、魚の居る場所、逃げる方向、取れる魚と取れない魚の選別眼、全部体に染み付いています。養魚場で育てられたニジマスなど赤子の手をひねるようなもんです(笑)。

大量のカブトムシを捕まえて来て、保育園の園児全員に配る。魚を一瞬で捕まえる。野菜の事、森の事、昆虫の事、動物の事、子供の喜ぶ分野は、僕の得意分野。

子供の頃、自然のなかで『最後の野生児』と言われるくらい遊びまくっていた事が30年くらい経った、いま 役に立っています。

二人の息子が『世の中の仕組み(魚取るよりお金稼ぐ方がエライ)』に気が付くまではスーパー父ちゃんなんだと騙していきたいなぁ、と、思っています。