百姓日記


選挙に行きましょう。

 朝からグズついた天気だったのでハウスのトマト枝を整理しました。トマトハウスは昨年 タバコ蛾の被害が多かったので、今年は側幕に青色の防虫ネットを張りました。青い波長(朝日?)は植物の途長を促進する作用があるらしくて、なんだか例年よりも背が高いです。

通路に昨年育てていたウリの零れ種が発芽していました。一生懸命生えてきた稚苗を摘み取ってしまうのが可愛そうで、放っておいたらエライ事になってしまいました。トマトが負けそうです。なので、可愛そうですけど借り倒しました。ごめんなさい。

 

 それはそうと21日は参議院選挙です。皆さんは期日前投票行きましたか?投票には行きますか?

なにを隠そう百姓鈴木は30歳になるまで選挙に行ったことがありませんでした。『選挙に行ったって世の中変わらねぇ』とか、嘯いておりました。事実、僕ひとりが選挙に行ったところで、世の中はかわりません。

でも、おなじような考えの日本人がめちゃくちゃ沢山いることによって、ホントに世の中が変わらなくなっているのも事実です。無党派層が一番厚い層。言い換えれば、無党派層で政権取れちゃいます。

現在の『小選挙区制』はなるべく多数の意見を合法的に無視する欠陥システムだとは思います。昔の中選挙区の方がまだマシだったし、出来れば民意を最大限に汲み取れる『完全比例』がベストだとは思います。

けど、それでも現在の社会に不満があるのなら選挙には行きましょう。『棄権』は政権にとって一番嬉しい選択です。既得権や利害関係で成り立っている人達は雨が降ろうが槍が降ろうが選挙に行きます。だって、自分の利益に繋がるのですから

選挙は放っておけば『現政権』が勝って当たり前なんです。棄権すると言うことは『消極的賛成』と同義なんです。

現在の社会に不満があるなら選挙には行きましょう。

歳をとって酷い世の中になったとき、孫に『じいちゃん、世の中なんか変わらねぇって言って抵抗しなかった』と言うのか 『世の中なんか変わらねぇけど、じいちゃんは自分の意思は伝えてた。』って言えるのか、どっちがいいですか?

僕は比例は『れいわ新選組』に入れます。これまでで一番頑張って欲しいと思える政党だからです。

男の子の宝物

 積んでおいた堆肥のなかでカブトムシの幼虫が大繁殖。丸々と太った幼虫がスコップを入れる度にじゃがいものようにコロコロと転がり出す始末。夏に期待して埋め戻したのが5月の事。今日ちょっと試しに掘ってみました。

カブトムシを痛めないように化石の発掘調査隊みたいに慎重に掘り進めていくと『居ました。居ました。』羽化したばかりの成虫と蛹。10数匹掘り出した所で、まだちょっと早いな。と、止めました。

捕まえたカブトムシは息子の通っている保育園へ。

年長さんたちは大興奮❗

年少さんたちは恐々。

そーだよね。男の子ならカブトムシ テンション上がるよね⤴️。

おっさんなんか42歳なのに、それでも興奮しちゃうもん。

小さい頃の自分を見ているような気分になりした。

 

狸の気持ち

 とうもろこしがそろそろ収穫時期になってきたので防獣用の電気柵を設置しました。野生の植物ではあり得ない甘さのスイートコーンは動物も大好きです。熊、狸、アナグマ、ハクビシンなどが今か今かと涎を垂らして待っています。

獣害は他の作物でもママあるのですが、一番人気はやはりスイートコーンです。とうもろこしやスイカなど、獣害に遭うタイミングは『そろそろ収穫だな。明日かな?』って日の夜にだいたいやられます。アレ、完璧に登熟時期がわかってるんですね。さすが野生です。

電気柵は基本的に使いたくない質なので、他の畑はロープを張ったりネットを使ったりしています。でも、とうもろこし畑は結構広い上、獣も必死なので、仕方なく電気柵を使います。

草を刈り、支柱を差し、通電紐を通して、最後に乾電池式の電気発生機をセットしていた最中『痛っ❗』 おもいっきり自分に通電させてしまいました。

うーん。こりゃ獣も嫌がりますな。

雨宿り

 夕方 棒いんげんを収穫しているとパンパンといんげんの葉っぱを叩く雨音がしてきました。夕立です。いんげん豆はアーチ状の支柱&網で仕立てているので葉っぱが傘代わりになって、雨はそんなにはかかりません。

パラパラパラと雨音を聞きながら隣にかわいい女の子でも居ればロマンチックな状況やなぁと、ひとり妄想。

まぁ、おっさんひとりなんですけどね。

早く梅雨明けしてくんないかなぁ。

ズッキーニ祭り

 なんとなくそんな予感はしていましたが26年ぶりの『冷夏』なんだそうです。夏野菜の成育は、気温がモロに出るのでこの先どんな風になりますことやら…

曇天と低温の影響できゅうりなどの市場価格が高騰し始めているようです。ここ数年 毎年のように野菜の高騰が話題になります。野菜の単価が多少高くても、コレね。別に農家は儲かってないのですよ。採れないから高くなってる。売り物がないのに儲かる訳ないですよね。

あと、野菜価格の乱高下は『農家がギリギリ一杯』の影響でもあるのです。需要と供給と推測価格で、農家はその年の作付けをします。100の需要に対して100作ろうとするのです。これが90だと暴騰、110だと暴落。そして、ほんの少しの上下動で農家の利益は吹き飛びます。ホント、ギリギリのラインで農家は生きているのです。

単一作物のみを作付する効率化、大規模化の影響も多大にあります。僕らのような少量多品目農家だと経営面でも単価安定面でもそんなには酷い状態にはならないのですけどね。小農家主義を推進した方が良いと思う一因でもあります。

さてさて、我が家ではポツポツと夏野菜がとれだしました。そして、例年とおなじく『ズッキーニ祭り』が開催されています。

かぼちゃの仲間(ペポかぼちゃ) ズッキーニはウリ科らしく実の成長がとても早いです。盛期は一日に二回、朝夕に収穫をしないと大きくなりすぎてしまいます。ちなみに、売られているズッキーニは幼果で、放っておくと60センチ、3キロ以上にもなります。

 

悶々

 朝から田んぼ周辺の草刈りです。梅雨時は、雨が降り気温も高いので雑草の成育が旺盛です。草刈りをするときは、朝一番が朝露で葉っぱが湿っていて少し刈りやすくなります。

 

ナスは気難しい野菜のひとつです。順調そうに見えていた茄子がアッという間に枯れたり(青枯れ)します。僕はなぜか?農業を始めた当初から茄子の栽培が得意でした。他の野菜がダメでも『最後の砦のナス』があったから、それをみて元気を出していました。

今年はナス良くないです⤵️。

この時期に人の畑よりも株が小さいのは例年の事なので余りに気にもならないのですが、健やかさやのびのびとした健全さがないのですよね。

しかも、悶々としてしまうのは、不耕起7年目で『殆ど完璧な土ができた❗』と思っていた畑のナスがよくないのです。もう一枚の2年目の畑の方はそれなりに良い。

『完璧と思っていた方が良くなくて』

『まだまだこれからと思っていた方が良い』

これって、僕の感覚と根本的な方向性が間違えていたのか?そんな気分になってしまいます。何が悪かったのか?悩み、考えて、修正していきたいと思っています。

うーん。鬱々しちゃうなぁ。

 

夏野菜

 雨が降って気温もそれなりに高く、時々日が射す。夏野菜も雑草もグッと大きくなってきました。この時期は、株間の除草や敷き草、トマトの支柱吊り、茄子の支柱寄せやかけ紐張りなど手間のかかる作業が多く、遅々として進みません。

今年は最低気温が低くて野菜の成育も今一つだなぁと、思っていました。ですが、いんげん豆やトマトがもう少しで取れ出しそうです。…例年よりも早い…

ど、言う事❔

南瓜や甘瓜の実付きも早い気がします。

ど、言う事❔

春の山菜や藤の開花などから、なんか時期のズレが激しい気がします。変な年にならなきゃいいのですけれど…

 

 

久しぶりに釣りに出かけました。

百姓って仕事は、やらなくてもいいこと、やった方がいいこと、やらなくちゃダメなこと。いろんなレベルのなかでも『やらないよりは、やった方がいい』そんな仕事がたくさんあります。

ある意味、切りがありません。

頭のなかでは『あれと、これと、それとやりたいなぁ』と思いつつ、今日はもうお休みにして『心の洗濯』に行きました。

 

 海は穏やか、曇天の下。暑くもなく、寒くもなく。いい釣り日よりです。

まぁ。魚が釣れたらなんですけどね。

夜明けから昼間まで釣糸を足らして、本命のヒラメは釣れませんでした。終了間際『もう、釣れね。』とふて寝していた時に、リールのドラグが凄い音をたてて糸を吐き出します。『おっ❗』と思ったのも束の間。あっという間にハリスが切られました。大物のヒラメかキジハタか…無念。

また、いきたいなぁ。

進歩したのか?進化したのか?

 キャベツを被っていた不織布を剥がしました。ミニキャベツなので小ぶりですがしっかり結玉してます。以前のブログにも書きましたが、有機のキャベツ栽培は手間がかかります。成育期間がながいので防草もたいへんだし(今年はマルチを使いました。)、青虫被害がどーしてもあるので防虫ネット(春は不織布)が必要です。

手間がかかる割には、市場単価が安くて(安過ぎて❗)嫌になります。単発取りきり野菜ですし、一般販売の為には作る気にはなれません。りんもく舎では、宅配、配達セットのお客さんだけにボーナス商品みたいな気持ちでお届けをしています。でも、有機栽培のキャベツは臭みがなくて、芯までおいしいです。

 

 恐竜好きの息子からティラノサウルス.レックスのレックスってなに?と、聞かれました。…お父ちゃん、知りません。

そこでスマホを取り出して検索。一瞬にして、知りたい情報を得ることができました。すごい世の中になりました。便利だなぁ。と、思う反面、よく判らない恐怖感と喪失感も感じます。

手軽に、気軽に手にはいる情報や知識には、簡単に手にはいる分とおなじだけの軽さがあるように感じます。いつでも、どこでも、簡単に手にはいるならば、吟味し、咀嚼し、呑み込み、覚える必要がありません。情報や知識は、脳の表面を滑り抜けていくだけです。

進歩したのか?進化したのか?

少なくとも、道具(スマホ)は進歩しました。でも、進歩した道具のお陰で、僕らの持っている能力は日々退化していくと思います。

なんか、うまくは言えないのですけれど、じぶんの人生を歩き、進む上で、必要な助言や情報は、なんでもない場所に必要な時に、必要なタイミングで転がっていたりします。

でも、大抵生きていくための道しるべは、とても小さくて、些細なことで、一瞬しか目に入らないものです。それを見つけて、受け止めるには、こちらのアンテナもちゃんと張っておかないとダメなんじゃないかな?と、思います。何年もじぶんのなかで熟成させた上で気付く事だってたくさんあります。

溢れかえる情報と知識の洪水のなかで、じぶんに向けられた道しるべをキャッチできる高感度アンテナを起動させ続けるのは、結構たいへんそうだなぁって、おっさんは心配になってしまいます。

うーん。感覚を文章にするのは、難しいですね。

PS Tレックスとは正式な学名らしいです。ティラノザウルス属のレックス種って意味。ちなみに、レックスとは『王』って意味らしいです。勉強になりました。

 

ペコロスのち、まさかの感動

 蒸し暑い曇天の下 朝からとうもろこし畑の除草をしていました。今年のとうもろこし めちゃ小さい‼️なのに、雄花が咲いちゃってる。うーん。

午後は明日から雨続き予報なので、にんにくと玉ねぎの収穫を済ませる事にしました。

ヒトには向き不向きがあり『玉ねぎ』は僕の苦手な作物のひとつです。貯蔵もきき、いくら送っても嫌がられない玉ねぎは『宅配専門有機農家』の僕には必須の作物なんですけどね。毎年毎年いろいろと試してみるものの、やっぱり今年もあきません。

ペコロス(丸ごと食べるピンポン玉サイズのミニ玉ねぎ)みたいな玉ねぎをため息を吐きながら収穫。お次はにんにくの収穫へ。こちらは一転大ぶりの素晴らしいにんにくが採れました❗

その収穫の最中に『まさかの感動が待っていました。』

昨晩秋 にんにく片を植え付けた時に、防草目的で籾殻をかなり厚く敷き詰めました。その籾殻にめちゃくちゃ大量の菌糸が付着しています。まるで竹林のハンペン(糸状菌の集合体)の様です。

余りにも美しい菌糸の姿に久しぶりに感動をしました。これだけの菌糸が溢れる状態であれば、そりゃにんにくも立派になります。今年の玉ねぎの植え付けのヒントをいただきました。

この美しさって、一般のひとには判るのかなぁ?南方くまぐすなら、判ってくれるかな?

 

離乳食

 よく『子供がご飯を食べなくて困る。』って、話を耳にします。『野菜を食べない。』『好き嫌いが激しい。』とか、

うちの子は、上も下もかなり食用旺盛です。特に、もうすぐ一歳になる次男は、ちょっと心配になるくらい食べます。いまのところ乳製品と肉、陰性の強い果物、糖分は与えていませんが、それ以外は好き嫌いもなくなんでも食べます。

参考例が2件しかないから断言しちゃダメなんですけれど『偏食なく食欲旺盛』になった理由は『離乳食を遅くした』からじゃないかなぁと、思っています。

育児書や産科医なんかは『栄養面も考えて5、6ヶ月から離乳食を始めましょう。』なんて言ってますけれど、うちの子たちは上は11ヶ月から、下は9ヶ月終わりから離乳食をスタートしました。受け入れが整ってから与え始めたから、ぐずぐずに煮た離乳食らしい離乳食は最初の1、2週間だけで、様子と要求を診ながら徐々に普通の食事を与えています。

良かれと思い5、6ヶ月で離乳食をスタートしてしまうと、胃腸の受け入れ準備が整っていない状態で不味い(離乳食って食べたことありますか?ぐずぐずで味もなく、本気で美味しくないですよね。)食べ物を無理矢理食べさせちゃう。消化不良も起こす。

そりゃ、ご飯嫌いにもなりますよ。

子供により時期の差はありますけれど、食べ物に興味を持ち(長男はおっぱい以外食べ物と認識してなかったからか興味を持つのが遅かったです。昆布をずっとしゃぶらせてました。次男は兄ちゃんを見てるから、かなり早くから俺にも食わせろ❗ってなってました。)、胃腸の受け入れ体勢が整ってから与えれば、ご飯の事を嫌いになったりはしないのではないかなぁと、思います。

畑の野菜だって欲しくない時に肥料を与えたら、その後に悪い影響がでます。(病気とか虫害とか) いつだって、与えることがすべて=良いこと ではないと思います。タイミング。

あとね。子供たちが野菜大好きなのは『生まれたときから、父ちゃんの美味しいお野菜を食べていたからだ❗』って、僕は勝手に思っています。(そして、かなり味にうるさくなりました。美味しくない野菜は食べません。)

でもね。本当に小さいうちの味覚って大切だと思います。その子供の一生を左右するくらいに

神経が鋭敏なうちに、子供たちにはちゃんとした野菜を食べさせたい。野菜は美味しいと思っていて欲しい。いつもそう思っています。ちゃんと帰る場所さえ覚えていれば時々ジャンクフード食べたって大丈夫。

野菜の味の判る未来の顧客を育てる『種まき作戦』です。

 

 

空豆ゆりかご

 7月に入りました。まだ梅雨空は続いています。

今日 空豆の初収穫をしました。普通の土地では、空豆やえんどう豆は晩秋に種を畑に直蒔きして、ちいさい苗の状態で越冬させます。冬の間にゆっくりと根を下ろした空豆やエンドウは、春の訪れと共に大きく育ち、花を咲かせ実をつけます。

ここ信濃町では積雪が多く、冬の寒さも厳しすぎて、空豆やエンドウ豆の越冬ができません。そんな理由から早春にポリポッドで育苗して、4月の中旬に畑に定植をします。ただ、畑でゆっくりと成長する時間がないため、収穫量は少なくなります。

特に空豆は、ある程度の大きさになってから寒さに当たる事で開花のスイッチが入る性質があり普通の品種では収穫する事すらままなりません。そんな訳で、ぼくは『駒栄』と言う低温開花が必要のない春蒔き専用品種を育てています。ただ、低温開花が必要ない分 株は余り大きくはならず、収穫量も少ないです。なので空豆は販売用ではなく自家消費専門の作物にしています。

空を向いていた莢(だから空豆と言います。)が倒れて、下を向いた頃が空豆の食べ時です。

収穫してきた大きな莢を割るとスポンジ状のふかふかベットのなかに実がついています。いつも思うのだけれど、空豆は大切に大切に守られている赤ちゃんみたいです。ほわほわふかふかの布団にくるまれて、すやすや眠っている。そんな印象を受けます。形もなんとなく、初期発生した頃の動物の胚みたいですしね。

空豆と人間は、実は遠い兄弟なのかも知れません。

スギナは強い❔

 自然農は観察の農業だなぁって、思います。野菜だけではなく、雑草の植生遷移や虫の種類、増減、圃場内全ての状態を観察して、自分なりの理論を導きだし、軌道修正をしていきます。

勿論、僕の感覚や理論がいつも正しい訳はなく、失敗 → も一度、観察 → 修正 → 失敗 を、日々 繰り返します。トライ&エラーの日々です。

でも、失敗すれば、ひとつ賢くなる(ハズ)。少し、自然の事が判る(ハズ)。なんですよね。(そー思わないとやってられないですしね。)

 

 今年のうちの畑はスギナ(つくしの親分)が多かったです。スギナは農家にとても嫌われている雑草で普通の草のように抜けば終わりではなく、抜いても、抜いても地下茎で増えていきます。そして経験的にスギナの繁茂する畑では、野菜が育ちにくいとわかってるから、農家に嫌われます。

うちの畑では例年 殆どスギナは生えません。でも、今年は相対的に多かった。

どうしてだ?

ここから観察と想像を始めます。

今年の春は、雨が少なく気温も低くて、雑草の発芽と成育が不良でした。

ふむふむ。なるほど。なるほど。

で、僕の出した答えは、『他の雑草が少なかったからスギナが出てきた。』です。

野原を観察すればよーく判るのですが、他の雑草が繁茂している土地にはスギナは余り生えていません。環境が悪くて(耕土が浅い、極酸性、極乾燥、生物相が薄いなどなど) 他の雑草が生えにくい場所にスギナは生えます。

強くて排除しづらいと思われているスギナは『実はとても弱い雑草』なのではないか?そんな考えにたどり着きました。

『スギナが生えるから悪い畑』になるのではなく『悪い畑だからスギナしか生えれない』のではないか?

皆の想像と真逆なんですよね。

スギナを無くすにはスギナを抜くのではなく、他の雑草が生える事のできる土を育ててやれば良いのです。土が生き返れば、自然とスギナは姿を消します。

自然のなかでは『強いと弱い』は背中合わせの陰陽なのだと思います。シマウマはライオンのエサです。でも、シマウマはライオンの数百倍はたくさんいます。生物として強いのはどっち?

スギナは他の雑草が生えれない土地に育つことができます。その代わり他の雑草が元気に育つ土地では、他の雑草に負けていなくなってしまいます。強いのはどっち?

きっと、自然のなかでは『強いも弱いも』ないのです。すべての生き物がそれぞれの戦略と特徴を持って、戦いながら、調和しながら、共存共栄しながら、じぶんの居場所を確保しているのです。

自然はとても強いから、とても弱い。

いまの僕の考えと合致しています。

まぁ、理論的に正しいか正しくないかはわかんないですけどね~。

おいしいから食べる❔

 雨が降って日が差せば野菜がグッと大きくなります。それ以上にググッと大きくなるのが雑草です。曇天の下で畑回りと畝間の雑草を刈り込みます。本当は晴天が続くときに刈りたいのですが(刈り草の乾燥と雑草抑制に効率がよい。)、いつもいつもベストタイミングとは、いきません。

畑の畝間の草刈りをしていたら雑草のなかで『キャベツ』が丸々と肥っておりました。去年の初冬に、余ったキャベツ苗を畑の角に適当に植えておいたモノです。外葉は青虫に囓られていますけれど、キャベツ本体はきれいなモノです。

よい土で野菜を育てれば、虫に食べられたり病気になりにくくなります。ただ野菜の種類によって難易度はバラバラで、キャベツは結構難しい部類の野菜になります。うちでも販売用のキャベツは商品化率を考えて、防虫布でカバーして育てています。

でも、この雑草のなかのキャベツは完全放置でもしっかりと結玉しています。

 

 昼食時、子守に来てくれている義母に息子が質問。『なんで虫は野菜を食べるの?』と、義母は『お父さんのお野菜がおいしいからだよ。』って、

それ、ちょっと、違う。

 

虫が食べる野菜=美味しい野菜 ならば、有機や自然農の野菜は=美味しくない野菜 になっちゃいます。だって慣行栽培の野菜を農薬を使わずに育てたら大抵エライコトになっちゃいますからね。慣行栽培野菜はエライコトになるくらい美味しい野菜なのか?

 

アフリカのサバンナでライオンは健康なシマウマを襲いますか?襲わないよね。だいたい子供とか年寄りとか病気になったシマウマを襲うよね。弱いモノから間引かれていくよね。

自然はとても良くできています。弱いモノや不自然なモノ、不必要なモノの命を、優先的に別の命に引き継がせます。自然は循環する世界なんです。だから、必要以上に虫が食べる野菜は、弱い、不自然で不必要な野菜なのではないかな?と、僕は考えています。

僕の言ってる食べられるってのは、成長できないレベルで食べられる。って意味ね。うちの野菜も勿論 適正なレベルでは食べられます。

森の木々や草原の草花はけっして虫に食べ尽くされたりはしません。勿論、まったく食べられない訳でもありません。食うものと食われるもののバランスが調和しています。田畑の野菜や稲だけが、農薬を使わなければ全滅する勢いで虫に食べられたり、病気になったりします。それは、田畑が自然から切り離されているせいではないだろうか?循環のシステムから外れているせいではないだろうか?と、僕は考えています。

今日取れたキャベツは冬の間 雪の下で小さな体でジッと耐えていました。その間にちょっとづつ、すこしづつ必死で根っこを伸ばしてきました。いつか来る 春を待ちわびて

雑草に負けない。病気にも負けない。しっかりとした土台を寒さのなかで作りました。そんなキャベツをモンシロチョウは『次世代の種をつける価値ある野菜』と認め、自然と調和してる『殆ど雑草』と思って卵を産まなかったんじゃないですかね(笑)?

オカルトですけど、百姓鈴木は結構本気でそう思っています(笑)。

大農家、小農家

 前日の夕方に4日ぶりにちょっと離れた所にある畑の見回りをしました。この畑は手間のかからない野菜(かぼちゃとかネギとか枝豆)を中心に作付しているのですが、ちょっと見ない間に枝豆が雑草に埋もれて何処にあるのだかわかりにくい状態になっていました。

自然農と言っても完全に放任する訳ではなく、所々 タイミングをみて野菜の手助けをしてあげます。ベストな状態は、野菜よりも雑草の方がちょっと弱い。そんな状態です。野菜が勝ちやすい状況を人為的に作ってあげるのです。かと言って、一方的ではダメ。雑草と野菜が競い合う事で野菜の成育も促進されますから。

そんな事で朝から畝間、株間の草刈り。何本か枝豆も一緒に刈り倒してしまいました。根っこごと雑草を引き抜いているわけではないなで、2、3週間もすればすぐに野菜に追いつきます。

 

 昨日【現代農業】の取材兼セールスの方が来られました。農業の事について、いろんな話をしました。そんななかで『大農家と小農家』の話がありました。

日本の農政は『大農家主義』の方向で進められています。でも、これは世界の潮流からみるとマイノリティで、世界的には『小農家主義』が主流になってきています。大農家主義を推進しているのは、アメリカやオランダ、アメリカの顔色を伺っている日本と韓国くらいのものです。

日本政府は『外国の安い農産物に負けないよう日本の農家も機械化、効率化、大規模化して対抗する❗』と声高々に言っています。でもさ、元々 整備しなくても広くて平らな土地のあるアメリカやカナダやオーストラリアと戦って、勝てるわけないじゃん。

わざわざ不利な条件で相手の土俵に上がる必要があるのか❔って、思いません?頭悪いのか?

いえいえ、そんなことは農政に携わる役人は百も承知です。わかっていながら、しがらみやパワーバランス、政治的配慮で負け戦を頑張って推進しています。

『持続可能な社会』の為にも『小農家主義』がベターだとは思うのですけど、本気で持続可能な社会を築きたいとは思っていない日本には、未来を見通す冷静で的確な判断はなかなか取れないのですかね。

『食べることは生きること』

生きることを軽んじる社会では未来はありませんよ。

 

百姓建築5

 快晴になりそうな朝霧、ちょっと肌寒い。今年は最低気温が低くいまま推移しています。路地夏野菜の成育も今ひとつ。どうなることやら

昼間に二件ほど用事がありガッツリと野良仕事は出来ない感じなので倉庫建築の続きをすることにしました。明日から雨続き予報なので田んぼの除草3回目に入りたいのですけど…ごめんなさい。嘘吐きました。理由を付けての先伸ばし作戦です😓。

 

 木組みを済ませた土台の柱が立つ位置に丸のことノミを使って堀込を作ります。今どきの大工は、殆どプレカット(工場で木材加工済)の建築材を現場で組んでいくのでノミは使いません。大工より大工らしい仕事してます。

30ケ所くらいの堀込を用事を挟みつつ済ませてから防虫防水塗料を塗っていきます。なんとか夕方までに2度塗りを終わらせました。次回は柱と梁の加工に入ります。

写真撮り

 昨夜急に入った宅配セット用に朝イチから収穫をしました。朝の収穫は朝露があり余計な手間がかかります。ついでに朝の光の下で宣伝用の写真を撮りました。

 

 僕らのような宅配専門の農家は、新鮮な野菜をお届けしたいといつも思っています。でも、野菜によって朝イチの収穫→出荷がベストではないものもあります。

葉物野菜などは夕方に収穫をした方が萎れにくいです。たぶんですけど、朝は気孔が開いていて水分が蒸散しやすいのではないかな?と思っています。トマトも夕方採りが良いです。こちらは日中に水分が飛んで味が濃縮します。反対にきゅうりなどは朝の方が瑞々しくて良いです。また、足の早い枝豆やとうもろこしも朝採りが良いです。

ボーって、しているように見えて、プロとして、出来るだけ美味しい野菜をお客さんの元へ届けたいと考えているのですよ。

 

百姓建築4

 朝は村の奉仕作業で山の草刈りをしました。昨日は保育園の泥すくい。来週末は水利組合、再来週は環境保全の会 と、田舎に暮らすと毎週のようになんらかの公共作業があります。正直、面倒臭いです。

ここ数日は毎日午後から雨で、今日もおなじような予報です。ガッツリ農作業する感じでもないので5月に土台下を完成させて以降、農業が忙しくて放置していた『倉庫建築』の続きに取りかかりました。

三寸-四寸角の唐松材を土台重量ブロックに合わせてカット。設計施工が完璧ならば図面通りにカットしていけば良いのですが、素人鈴木の施工は怪しく、実寸実測してひとつひとつ加工していきます。

アンカーボルトの位置にドリルで穴を開け、材木同士の交点にホゾを刻んでいきます。予想通り(予想以上に❗)歪みや上下左右のズレがありました。ポツポツと雨が当たるなか、一応 仮土台組までは済みました。

次は柱を立てる部分のホゾ切りです。

突然バーン

 昨日ズッキーニの初取りをしました。2本。今日は14、5本。来週からは毎日に20、30本は採れるようになるでしょう。株によって成長の度合いは違うのに、取れ出すタイミングはだいたい一緒になります。ちょっと不思議。鶏も5ヵ月くらい飼育して、やっと初卵が採れた❗と思った次の日から他の雌鳥も次々と一斉に卵を産み始めます。まるで時限スイッチが埋め込まれているみたいです。

おそらく自然界では一斉に開花や産卵をした方が受粉効率や生き残る確率が高くなるのでしょう。自然は偉大です。

 

地面の上と地面の下

 ここ数日梅雨の中休みです。出荷の始まった野菜を運送会社に持ち込んだり、直売所に持っていったりしてからここ数日で一気に延び上がったハウスのトマトの吊り下げ作業をしました。ハウスの側幕は全開にしていても暑くて汗びっしょりです。

昼休みのあとは田んぼの除草へ。稲の活着は済んだものの、まだ情けないくらい貧弱に見えます。と、隣の田んぼを見ると濃い緑の稲が分節しながら徒長を始めています。パッと見、明らかに隣の田んぼの稲の方が順調に見えますよね。

だけどね。僕ら自然栽培農家からすると『そりゃ、病気にもなるし、虫にも食べられるよ。』って、思っちゃうのですよね。

(隣の田んぼ。緑が濃く、化成肥料の冨栄養で水面を藻が覆っています。見開きはうちの田んぼ。)

 

 化成肥料って言うのは、本当にスゴいです。稲でも野菜でも、植えたその日から育ち始める位の効果があります。一方、うちの稲や野菜は定植してからも当分は目に見えては大きくはなりません。

パッと考えると化成肥料を入れた方が稲や野菜にとって良さそうに感じます。が、植えて直ぐに育つって事は、根っこをちゃんと張らないまま大きくなってしまう。って、事なんですよね。

根っこがしっかりとしていなければ、見てくれは立派でも芯のない弱い作物になってしまいます。だから、病気にも負けるし、虫にも負けます。そして、農薬の力を借りなくては生きてはいけない作物になってしまいます。

 

 殆ど肥料のないうちの田んぼや畑の稲や野菜は地上に見える部分が伸びていない時には、必死になって地下の根っこを伸ばしています。そうして、頑丈に深く張った根は病気や虫や天候に負けない身体を支える土台となります。

初期生育で圧倒的な差をつけられた米や野菜も最後の収穫時には、それなりに遜色のない状態に追いつきます。(お米で慣行裁判の7、8割程度。葉物、根菜は遜色なし、果菜類は慣行栽培よりも長生きな分、沢山採れます。)

肥料でブクブクに育ったメタボの野菜と自分の足でしっかりと立っている小柄な健康体と、どっちが美味しいのか?どっちが人の健康に寄与するのか?

 

(慣行栽培のとうもろこし)

 

(だいたいおなじ時期に植えたウチのとうもろこし。葉っぱの色とサイズに注目)