百姓日記


入園式

 昨日は長男の入園式でした。昨年、未満児で通園していたので年少さんとしての入園です。朝、玄関を開けると一面の銀世界❗雪の入園式です。

同級生は6人。少子化は深刻ですね。登壇して席に座り『鈴木透太君』の呼び掛けにすくっと立ち上がり『はい!』と元気な声。うん。うん。なかなかやるじゃないか。

が、その後は椅子の下に潜り込んだり、ゴロゴロしたり…まったく落ち着きがありません。完全にナメていますね。まぁ、でも、じぶんの子供の頃を知っているので怒れません。

担任は新卒20歳の先生。

ホント、ご迷惑おかけすると思いますが、よろしくお願いします❗

銀世界

 昨年同様にはやめの春が訪れたと思っていたらなかなか気候が安定しません。今朝も目覚めると窓の外が眩しい。一面の銀世界です。

ビニールハウスのなかボカシ(有機物を発酵させた肥料)を積んだ発酵熱を温床にして数日前に空豆とエンドウ豆、キャベツ類とレタス類を播種しました。発芽まではまだもう少しかかりそうです。

始動です。

 淡路島、関西の帰省から長野に戻るとすっかり田畑から雪が消えていました。が、まだまだ初春。パラパラと雪が舞い、昼過ぎに溶ける。を繰り返す毎日です。

天気の風予報を眺めつつハウスにビニールをかける。側幕の補修に手間取っているとだんだんと風が強くなり7m×30mの大きな天幕シートをかけている最中は風にあおられてバタバタと

ヤバイ。

が、なすすべなし❗

風が通りすぎるのを必死で耐えていたが、全然風は収まらない。危険を感じたので天幕シートは放棄する事にしました。ビリビリに破れた。

初っぱなからなかなかうまくない状況ですが、今年の農業はどんな感じになるでしょうかね?

淡路島

 淡路島の友人宅に一家で遊びに来ています。旦那は親友兼農業の師匠で沖縄の西表島で出会って以降20年近い付き合いになります。一緒にハチャメチャしていた間柄です。

結婚したのもおなじ頃で、いまはお互い二児の父をしています。奥さん同士も気が合い仲良く、子供たちも同年代で一緒に遊べ、長野と淡路を時々往き来しています。

 

淡路島は花盛りでもう春です。陽射しが強く、暑いくらい。エンドウ豆や空豆も大きく育っているし、ホンマに春ですなぁ。

師匠の畑は相変わらず見事な生態系のバランスです。すごいなぁと思う反面、じぶんの畑との違いはなんなのか?と考えてしまいます。

情熱のバカ

 陽射しが強くなり、根雪が融け、春の気配が近づいています。と、揺り戻しの雪が一晩で30㎝ほど積もりました。でも、昼の陽射しですぐに融けます。春はもうそこ

昔から読書が好きで農閑期には図書館で本を借りてよく読みます。若い頃は小説をよく読んだのですが近頃はもっぱらドキュメンタリーやノンフィクションが多いです。

 

で、先日借りた本が面白かった❗平坂寛著『喰ったらヤバイ生き物』

著者は子供の頃から動物が好きで生き物に携わる仕事がしたいと当初は動物学者を目指していたのです。が、専門的にひとつの対象を深めていく事は自分が本当にやりたい事ではないと気付き、動物ライターになった方でした。

ライフワークは変な生き物を捕らえ、食べる事。食べることで生き物の本質を知りたい。と

文章の中からは生き物に対する愛情と変態性が溢れ、潔くおもしろい❗

己の好きなことを一心に追求する。結果として貧乏耐久生活。でも悲壮感はない❗いいなぁ。

そうやってバカな情熱に突き動かされて一冊の本を作る。素敵だなぁと思います。

同じような生き方をしている僕の好き方に小塚拓也さんがいます。彼は魚釣り(怪しくてデカイ淡水魚専門)が好きで、釣竿片手に世界中を飛び回って悪戦苦闘格闘をしています。

二人に共通しているのは貧乏な事(笑)、それから道具にも格好にもこだわらない純粋性、自己完結型のナルシストな所かな(笑)。

大好きなことがあって、なりふり構わず必死になって突き詰めて、いつの間にかじぶんだけの道を切り開いてる。素敵だなぁって思います。

バカになれるくらいの情熱を42歳の僕も持ちたいなぁと思います。

確定申告

 2月下旬は東京へ出稼ぎに行っておりました。28日から義父母がボルネオへオランウータンに会いに出掛けているので長野に帰ってからは子守りの日々です。

父不在でフラストレーションの溜まった息子を連れて公園へ。季節は徐々に移り変わり陽射しが暖かいです。もうすぐ春だ❗

確定申告の書類と悪戦苦闘の毎日です。

 

3回落ちる

 インフルエンザも一段落してやっと回復期になりました。5日も寝込んでいたので体調は7割くらい。朝から駐車場の雪を片付けて屋根の雪下ろしに取り掛かりました。

雨を挟んでの寒波のせいで軒先は雪庇みたいな厚い板氷と氷柱。屋根に登り固く締まった雪をシャベルとダンプで切り分けて落とす。と、足元の雪ごと地面へ落下…

地面には1mくらいの雪がありクッションになっているので全然大丈夫なのですけどビックリしました。

結局、その後二回も落下。うーん。

長野に越してきて10年。毎年のように雪下ろしをしていたのですが落下は初めて それが三連発も!です。

屋根の塗装を新しくしたせいか、天気が良過ぎたか、体調が微妙だったせいか…おそらく、その全部のせいですね。

雪下ろし中の事故で怪我したり死んだりする事はよくある事なのでこれからは十分注意してやらなきゃなぁと反省の一日でした。

お薬、農薬 世界一!

 自然栽培のお米や野菜を食べ、普段から鍼灸師の奥さんが家族の調子を整えている。でも、罹る時は罹ります。『家族全員インフルエンザ』

 

 一番最初に発症した長男はだいぶ回復、奥さんは気合で低空飛行。次男は波があるものの辛そうです。僕自身はかなり良くなりかけてたのになぜか揺り戻し症状。(経験上このまま完治って感じだったんですけどね。…年齢のせいでしょうか…)

 

 そんな折、ブログを観た実母が『大人はいいけど子供は口がきけないのだから病院へ連れて行って』とライン。…ブログの内容読んだのか?

 

インフルエンザは病院で治せません!タミフルもリレンザもほぼ意味がないです。効能が薄くてリスクはある。(結構死んでる)のに、なぜ勧めるのだ?だいたい自力で治せる病気をほんの少しはやく治す為に、極稀にとは言え死んでもいいのか?俺はヤダ!

殆どの人が薬や治療について自分で調べないし考えない。そのくせ『病院行け〜』『薬飲め〜』と言ってくる。…知らないのになぜだ?

 

 我が家だってイザとなればお医者さんに頼るよ。(今回だって検討した)ただ、その敷居を安易に低くしたくはないのです。不安を取り除く為に病院にかかり薬を貰う。安易に安心をしたい気持ちが見え隠れ。診療が必要な状態か否かの判断は、後々言い訳が出来ないから自分ではやらない。とりあえず行っとけ!的な感じ。

ある意味、身体に対する責任放棄だと思うのですよね。(素人判断を推奨してる訳じゃないですよ。自分の身体の声くらいは聞く努力をしようよって意味です。)

本来は必要がなかった薬や治療。症状に対して、その場では回避(対処)したつもりでも歪みは絶対に残ると思います。有益なモノだって匙加減を間違えれば簡単に有害なモノにかわります。物理的にもリレンザ、タミフルをバンバン処方して本当に必要な時に(鳥インフルパンデミック)耐性ウイルスがでなきゃいいですけどね。

 

 兎に角、日本人は限度を知らないなぁと思います。自分の頭で考えて理解して行動する能力も低いと思わざる得ないです。

農業の世界も同じです。断トツで世界一の農薬使用をしてるくせに安心、安全な国産野菜と宣伝を鵜呑みにしちゃってる。一つの病害果も許さない。一匹の虫も見逃さない。許容量ギリギリまで農薬バンバン撒きまくり!そんな野菜を見栄えが良いとお客さんは大喜び。

効果とリスクのバランスを考えて農薬も薬も使えば良いと思うのですけどね〜。洗脳が激し過ぎてなかなか難しいのですかね。

農薬と薬の使用量がべらぼうに多い国。なんか、日本人らしいなぁと思ってしまう今日この頃です。

インフルエンザ

 週末 義父母の所へお泊まりに行っていた長男が38℃くらいの発熱。引き取って家の中で遊ばせていたが割と元気にしてる。そこへ義母から電話『調子が悪くて病院に行ってきたらインフルエンザでした。』って

夕方 奥さんが『寒気がする。』と…とりあえず奥さんと次男。僕と長男に分かれて別々の部屋で寝る事にしました。

夜中、熱が40℃くらいになった長男は一時間おきに突然起き上がり唸ったり意味不明の事を話したり…かなり辛そうです。でも、朝になるとかなり回復して笑顔で動き回っていました。入れ替わりに奥さんがダウン。元気でニコニコしている次男も赤ら顔。伝染ったな。

頼みの綱の僕も昼過ぎから頭がクラクラ。寒気がします。丁度そこへ義父から電話『病院行けば?』『いや、病院行った所でインフルエンザと言われるだけやし…』『いまはインフルエンザの特効薬があってすぐに良くなるよ。』『…』

 

病院信仰、薬神話がこんな身近な人にも浸透しております。はい。

 

奥さんも僕も病院や薬を全否定している訳じゃなくて『もう、どうしようもない!』となれば頼りたいと思っています。でも、家族全員まだまだ自前で戦えます。戦えるウチは戦った方が良い。そう思っています。

インフルエンザになれば熱が出る。別に熱で嫌がらせをしたい訳じゃなくてウイルスと身体が戦っている証拠。そこを乗り越えたなら強い免疫とリフレッシュした身体に戻ると思っています。

折角 戦っている身体の反応を薬で無理矢理止めてしまう。勿体なくないか?一時の苦しみを取り除く為に安易に薬を飲む。表面的な対処で楽にはなるかもしれないけれど身体の底力を奪ってる気がする。乗り越えるから強くなる。それは野菜も人もおなじだと思っています。

あとね。これは僕の勝手な思い込みですが高熱を出して汗をかく、細胞レベルで免疫が活性化される。そうすると普段は取り切れない老廃物とか微小癌細胞とか病気の種みたいのが一緒にやっつけちゃうんじゃないかなぁとか思っています。

だから時々熱を出して身体がリフレッシュするのは良い事なんじゃないかなぁと思ったりしています。

自浄作用

 2月上旬。一年で一番寒い時期なのに外はドボドボの雨…どーなってるんでしょか?屋根の雪が解けてドサリと滑り落ちてきます。駐車場の雪もシャビシャビに溶けて一部地面が見えています。感覚的に3月の雰囲気。

これも気候変動のせいでしょうか?

地球温暖化って言い回しがあまり好きではなくて、人為的な温暖化説には懐疑の眼差しです。って言うか、正確に書くと “人の活動が地球環境に影響を与えている。とは思っています。が、温暖化を防ぐために省エネを促進させましょう。”って商魂プロパガンダを嫌悪しています。温暖化が販促ツールになっている事が嫌なのです。市井の善意を購入の動機にしようって魂胆がダメなんです。

本音を言えば『今更遅い』です。

風邪をひいてから薬を飲んで効くか? 病気になってから健康食品食べて治るか?

症状が表面に出てから慌てて対処したって手遅れです。

旱魃に洪水、極高温に極低温、人にとって住みにくい環境になりました。経済活動にも影響がでます。それもこれも全部、地球の自浄作用です。

温暖化防止を理由に経済活動を活性化させようとする。なんか、おかしくないかい?

自然を破壊したせいで絶滅したトキを無理やり繁殖させて野に放つ。それで自然が戻ったと勘違いしている人がたくさんいる。なんか、おかしくないかい?

本質を根本的に間違えている。その誤った考え方が気候変動を招き、トキを絶滅させたと気が付かなきゃ、なーんにもかわりゃしない。と、ぼくは思っています。

 

雪遊び

 1月の半ばから10日ほど毎冬恒例の『出稼ぎ』に東京に行っていました。友人が電工一人親方をしていてその手元(補助)のお仕事です。農作業が出来ずフラストレーションの溜まる時期なので身体を動かせるだけでも助かります!滞在中はファーマーズマーケットを巡ったり、取引先店舗に顔を出したりと有意義に過ごせました。

私が東京に行くと信濃町に雪が降るジンクスが今年もバッチリと当てはまってしまい帰京するとかなりの雪化粧。すごいつららが屋根からぶら下がっておりました。

帰宅後の数日は発送業務やら懇親会、勉強会に駆り出される毎日。忙しいのは良い事だ!

役場主催のIOT(なんかよーわからんがインターネットやらAIやら最先端技術をいろいろ組み合わせる取り組み?)実装の意見交流会に参加したのですが、その時の話し合いが妙にひっかかり、家に帰った後もモヤモヤ。面倒臭いコトに突っ込むのもアレだし、相手にされないかもなぁと思ったのですが、役場の担当に電話して少し話をする事になりました。

『自分の心に引っかかる事は相手がどう捉えるであれ、伝える。自分の領分はその都度果たす』そんな風に生きたいと近頃思うようになりました。

結構、有意義な話し合いになったのでは?と思っています。

 

 今日は上の息子を連れて今年初のスキーへ。3歳の息子は相変わらず父ちゃんに吊り下げられるようにしてスキーをしていました。(めちゃ疲れます!)それでも楽しかったらしく『もう一回もう一回』とせがまれて10回くらいリフトに乗りました。最後はひとりで10mくらい滑れるようになったので、あと2,3回行けばそれなりになるかなァと言ったところです。子供の成長は本当にはやい。

そー言えば、下の子は東京に行っているあいだに歯が生えていました。

うーん。本当にはやいなア。

 

食べる。恋をする。育てる。

 長男と一緒にドキュメンタリーDVDを観ました。日本に住む野生動物を追いかけた作品。誕生があり、死があり、巣立ちがある。春と夏と秋と冬。また巡ってくる四季のお話。

野生動物の生活を画面越しに眺めていると生きると言う事は本当はすごく単純で幸せに溢れているんじゃないかと思えてきます。

食べて、恋をして、子供を育てる。それだけがすべて

日々 命をいただき、生涯に一度だけ命を返す。

過去も未来もなく、一瞬一瞬を生きているだけ

人は安定の為に農耕と備蓄を覚えた。その結果、富める者と貧者ができた。未来を想像する事のできる賢い脳は同時に未来への不安も育てた。死や老への恐怖が、未来の生を圧迫してる。

生きる事は借りる事と返す事。

生まれて、食べて、恋をして、育てる。時が来れば、命を返す。

本当は、すごく単純な事なのじゃないだろうか?

人だけが返す事を止め 煙になって空に上がっていく。

できたら食べてもらえたらいいのになぁって、僕は考える。

作付計画

 農閑期になり出荷以外の農作業はお休み。ぼちぼちと穏やかな日々を過ごしているかと思いきや、それなりに忙しいです。農繁期には半分免除になっていた家事の分担と子守があります。家事はまだいい。自分のペースで出来るから、が、子守はそうはいきません。次男は抱っこちゃん気質らしく常時抱っこしていないとなかなか落ち着いてくれません。“赤子の寝た隙”が殆どありません。

長男の時も思ったのですけど男親って子育てに向いていないですよね。精神的に子守傍らの同時進行仕事が出来ないんです。仕事と子守の線引きがきっちりとしていないのがストレスになるんです。子育てって『ちょっとだけ待ってて!』が無理じゃないですか。それがきつい。

いや本当にお母さんはスゴイと思います。24時間子供の事を考えながら家事仕事をしていられるのですもの…いや、頭が上がりません。

 

 春先にバタバタしたくないのでボチボチと今シーズン用の種を注文しています。畑を思い浮かべながらどこそこにナニを植えて…って感じで注文をしています。主力品目、チャレンジ品目、将来性のある品目、試作用品目などなど

で、今年こそは作付品数を減らそうと思っていたのですけれど…なんか、やっぱり多くなってしまっています。

うーん。年間で70品目140~50品種くらいになりそうです。…

あかんなぁ。不効率やなぁ。

でも、いろいろ育ててみたいねん。

うみがめぐり

 田畑がオフシーズンになり長男(3歳)を寝かせつけることが多くなりました。だいたい7時半~8時に一緒に布団へ入り、3冊絵本を読んでから寝ます。(大抵は電気を消した後も『アンパンマンのお話して!』って言われます。…アンパンマンの創作話はなかなか難しいです(-_-;))

長男は小さい頃から絵本が好きで、たくさんの絵本を読み聞かせてきました。支離滅裂な絵本もあれば、大人でも『フムフム』となる絵本もたくさんあります。

先日 図書館で借りてきた絵本の中に『うみがめぐり』と言う本がありました。この絵本とてもイイです!内容もいいけれど絵がとても良いです。なにがいいかって言うと生き物の描写が生命感に溢れているんです。

ぼくは魚釣りが大好きで、動物も好きです。野生動物が見たくてアフリカとかアラスカに行ったくらい動物好きなんです。そんなぼくの琴線に触れる絵なんです。

で、調べてみると作家さんは動物専門の画家の方(まだ若い)でした。なるほど。それでこの描写力か。納得。

その絵本のなかにこんな言葉がありました。

『どんないきものだって さいご たべられることでいのちのバトンを リレーする』『いきてるあいだに たくわえたいのちは たべものとして うみへ還っていく』『たべるということは いのちをうばうということではなく いのちを すこしのあいだ かりること いつか かならず かえすもの』

仏教の説法みたい。自然農のお話みたい。 

たぶん、人以外の生き物は感じなくても考えなくても生まれた時から知ってること

極圏のイヌイットは言った

『その昔、人と獣は兄弟だった。獣は人になりたいときには人になり、人は獣になりたいときには獣になれた。それがいつしかお互いの言葉がわからなくなってしまったのだ』と

形をかえてグルグルまわる。ぼくもいつかグルグルまわる輪の中に戻れたらいいのになぁと思いました。

厄年ですかね?

 前日から降り始めた雪が結構積もりました。60㎝。朝から除雪機で雪かきをしていたのですがガス欠になり近所までガソリンを買いに行きました。で、その帰り道。1.5車線の町道を雪を気にして低速で走っていたのですがゆるいカーブの向こうから軽トラが走ってきました。で、運転手と目と目が合ったと思うと横滑りしながら突っ込んできました!

雪が壁になり逃げ場なし!車を雪壁に突っ込ませたものの道を塞ぐように滑ってきた軽トラの側面と僕の車の右前が衝突。反動で更に半回転した軽トラは僕の車の側面にも一度当たって止まりました。衝撃は大したことなかったのですが僕の車のフロントは大破。(衝撃吸収ボディってすごいね!)

・・・『はぁ~』

『すみません。大丈夫ですか?』と声をかけてきたのは顔見知りの農機具メーカーの整備士。

それから警察を呼び、保険会社に連絡し、雪空の下でレッカー車を待ちました。

 

この車12月27日に当て逃げ事故の修理から帰ってきたばかりなんですけど…

去年、あと4年は乗るぞとエアコン載せ替えたばっかりなんですけど…

 

数時間後、先方の保険会社の担当から電話がありました。初っ端から印象悪過ぎ!『あなたにも非がある』と体調を気遣う前にいきなりの先制パンチ。

まずさ、その前に代理人として言う事あんじゃないの?逃げ場のない状態で制御不能になって突っ込んできたのはどっちの車なんだい?こっちは普通に安全に走ってただけだよ。

初手から自分らが少しでも有利に事が運ぶようなやり方ってどうなの?

少しでも過失割合を下げるのが仕事かも知れないけどさ、人としてのマナーってあるでしょ。カチンときたので徹底抗戦する事にしました。

 

年明けから面倒くさいです。

まぁ、でも、なんだ。とりあえずお互いケガなくて良かった。そんでもって、これで厄落としができたらいいなぁ(まだ前厄ですけどね。)

自然農と東洋医学

 りんもく舎は夫のぼくが有機農家の『りんもく耕舎』を営み、鍼灸師の奥さんが『りんもく鍼灸舎』を開業しています。二軸推進で自転車よりも進まない徒歩操業の日々を送っています。真面目にやってりゃ儲からない仕事ですが、お互いに天職と思える事を仕事としていられることに感謝をしています。

 

『東洋医学と自然農』は対象が『人なのか、野菜なのか』の違いがあるだけで、考え方、捉え方は殆どおなじです。生命と言う大きな括りのなかでは人も野菜も根本はおなじなのです。

 

東洋医学の医食同源(食べた物が心身を作る)は野菜と肥料の関係でもおなじで栄養過多や栄養不足、また不純(未熟)な肥料は病気や虫を呼び込む元になります。

身体の冷えが万病の元と東洋医学では考えます。おなじように有機農家は、土の冷えをとる事、簡単に言えば生命の循環が活発な土にする事に力を注ぎます。

未病(病になる事を未然に防ぐ)は東洋医学の基本姿勢です。僕たち有機農家も特効薬(農薬)が使えません。使えないかわりに薬を使わなくても野菜が実るように目に見える地表の部分ではなく、目に見えない土の下に想いを馳せ、バランスのとれた土や環境を育てる手伝いをします。病気や虫が制御できなくなるほど増え広がるのは、根本(土台)が間違えていると考えるからです。対処方法を学ぶのではなく、対処が必要ない状態をつくる事を日々考えています。

 

野菜を通してこの世界を眺めていると『やはりどこか大切なところで道を間違えてしまっているなぁ』と感じる事が多いです。西洋医学や慣行農業を否定している訳ではありませんし、それらの有用性や重要性もしっかりと認識してはいます。

それでも経済性に軸足を置いてしまうと効率や利益を求め過ぎてしまいます。自然が与え得る以上のモノを求めてしまえばどうしても無理が生じます。その無理を抑え込む為には農薬や化学合成肥料が必要になり農薬や化学合成肥料を使えば地力は衰えます。そうする外部からの力に更に頼らざるを得なくなる負の循環に陥ります。

一時の利潤の為に根こそぎ奪い跡は焼け野原。その道を行くのか?

細く長く自然が与えてくれる糧をもらい続けて穏やかに進むのか?

なが〜い目で見たとき、どちらの道が生命の本質に寄り添っているのでしょうか?

りんもく舎は搾取よりも循環の道を往きたいと思っています。

 

 

遅っ!

 新年あけましておめでとうございます。ってか、今日は6日だ。遅!

年末年始は妻の実家に帰省していました。まぁ、車で10分くらいの距離なんですけどね。

年越しは知り合いの坊主のお寺へ餅つきの手伝いをしながら過ごしました。

1日は海へ初釣りに…結果は散々でした。

そんなこんなであっという間に6日です!早!

まぁ、なんだ。今年もよろしくお願いします。

りんもく舎の今年の抱負は『限界突破で走り抜ける』ですね。

 

大晦日

 はやいもので今年も大晦日です。新規就農三年目。出来た事もあれば出来なかった事もあります。それでも就農一年目よりは確実に成長している実感があります。

なにより農業が楽しい。その想いは変わらないどころか三年前よりも強くなっています。はやく来シーズンが開幕しないかと心待ちにしています。

 

 27日から降り始めた雪はダラダラと降り積もり60cmほどになっています。今年の雪はどんなかな?

皆さん一年間お疲れ様でした。

また、よろしくお願いします。

よい年の瀬を

開幕戦

 昨日 海まで魚釣りに行ってきました。

初冬恒例の『ハタハタパターンの鱸釣り』です。

クリスマスを期間の頂点とした前後10日間くらいの短いシーズンです。昨夜はまだ少し早かったみたいでアタリひとつない惨敗でした。

今度はいつ行けるかなぁ。今年は何回いけるかなぁ。

光柱

 奥さんと二人の息子が寝静まった夜に一人台所で豆の選別をします。ボールですくった豆を縁のある平たい板の上(そうめんの空箱上蓋)に空け、転がしながらクズ豆とゴミを選り分けて行きます。延々と繰り返される単調な作業。そのリズムが脳みその奥に仕舞われていた記憶を揺さぶり起こします。

 20代後半、ぼくは愛媛の海沿いの村で蜜柑農家の手伝いをしていました。収穫期も終盤に差し掛かった12月の半ば、季節ハズレの大寒波で数日間山での仕事が休みになりました。

そんなある日、車で30分ほどの街まで買い物に出掛けました。行きしな、丘のような小さな山と山の間にかかる(笑えるくらい)クッキリとした虹を見ました。子供が絵に描いたような虹を見ました。

帰りしな、海の上にそそり立つ巨大な光の柱を見ました。護岸からほんの数十m先、手を伸ばせば届きそうな所に天に向かって伸びる真っ赤な光の柱を見ました。

仕事は翌日も休み。

夕方、山に張り付くようにあるその村の神社へでかけました。真っ黒い雲と粉雪が舞い。恐ろしいくらい真っ赤な夕陽が海に沈んでいきました。

その光景を眺め、ぼくは涙が止まりませんでした。

『もう戻れない場所まで来てしまったのだ』と、感じました。

 

ぼくがいま、農家をしている最初の一歩が、あの日の光柱と夕陽なのだといまはわかります。

『もう戻れない場所まで来てしまったのだ』その想いはいまも僕の胸の中に蹲っています。最後の時までを、何処で、何をして、どんな風に過ごすのか。

ぼくが農家になった理由がそこにあります。

 

無意識に脳みそが引っ張り出した記憶。

今日はそんな話でした。おしまい。