百姓日記


おいしい魚が食べたい

 モノを増やしたくないので普段は殆ど本を買わずに図書館で済ませています。コレハ!と思った本だけ手元に置いています。

先日、古本屋で『おいしい魚が食べたい』と言う古い本を買いました。殆ど直感でです。で、おもしろかった。初版が1985年なので33年前の本になります。

内容は、料理屋の主人がおいしい魚を求めて漁師に会い、日本の漁業の状況に驚愕し、なぜ魚がいなくなったのか、どうすればよいのか?をわかり易く自問自答していく。といった感じでした。

30年以上前の話。でも、正直 今のこの国の現状と全然変わっていません。いや、魚(漁業)だけの話じゃないんです。

『目先の事(金)にとらわれて、全体像を見れない。未来に繋がる事が出来ない。』

マンマ今の日本です。

いや、むしろ30年経っている分、状況はなお悲惨になっています。

(時代がら)瀕死の造船業を救う為、漁師に借金を背負わせて、沖合漁業、遠洋漁業用の舟を作らせる。農業の大規模化、効率化を謳って、農家に借金を背負わせて大型農機を買わせる。 

漁師を救いたいのじゃない。

農家を救いたいのじゃない。

本当の目的は別。

温暖化、復興、除染、五輪、種苗法、種子法、水道法

おんなじ匂いがプンプンとします。

 

 朝カーテンの向こうの光が白い。数㌢の雪が積りました。天気予報では一日雪だったので外仕事は諦めて豆の選別をしました。昼前から晴れ間が除き出したので慌てて昼飯を食べ、野良仕事へ出掛けました。

寒いけれど身体を動かしていると着ぶくれした服の下は汗をかく。休むと冷える。参ったな。休まずに働けと言うことか…

夕方、明日出荷がある今シーズン最後の定期宅配用野菜を収穫しました。カブの葉っぱ凍ってるがな^^;仕方ない。明日は貯蔵野菜でセットを組もうと早々に諦めました。

冬ですね。

種の次は水

水道法が改悪されました。

人口減少、過疎高齢化で維持運営に今後経費が増大する水道事業を民間の知恵を使って改善していくとの名目で、です。

公営と民間。その違いは、利益を追求するのか、しないのか、ではないでしょうか?

『儲からないからやらない』では、公的機関がある意味すら失われてしまいます。儲からなくてもライフラインを守る事が国民の税金で運営されている政府がやらなければならない事ではないでしょうか?

諸外国でまったく機能していない民間への業務委託を、なぜ無理矢理に推し進めているのか?

僕には『この国はもうダメだから金になるものは全部金に変えて上級国民で山分けしちゃおう』としているとしか思えません。

温暖化で金を騙し取り

復興支援で金を引き出し

廃炉費用とむしり取り

オリンピックで大手を振って

 

殆ど焼け野原のこの国から種と水すらも金に変える。

生きる元を金に変える。

騙されて黙り続けていた国民が悪いとは言え、生きる事すら否定される。本当に情けない国になってしまったものです。

 

 

還元と循環

 豆類の粗選別が終わりました。明日から天気が下り坂。しかも、週末以降かなり強い寒気が入ってくるようなので急いでハウスのビニールを剥がしました。良かった。なんとか間に合いました。

大量にでた豆の枝葉はくん炭にしました。カラカラに乾いているから火の勢いがスゴイ!ザッと火が回ったら水をかけて消火。完全な灰にはせず、粗い炭にして畑に戻します。粗い炭は土壌の中和や菌類の住処になりゆっくりと分解していきます。

細かな枝葉や豆殻は裁断機にかけて砕き、これまた畑に戻します。炭素分として土壌微生物の餌や住処になります。

安くて手軽な鶏ふん肥料などに比べ効果は穏やかですが優しい分いろんな生き物が畑に棲み着く土台となります。

身近で手に入るものを使い還元し循環する田畑が理想です。

大根天国

 12月に入ったと言うのに寒さがそれほど厳しくない。野良仕事をするには楽でいいのだけれど…なんか、変な気分です。秋冬野菜もドンドン終わり定期野菜BOXも来週で最後です。

今は冬の自家用野菜を収穫したり畑の片付けをしたりの日々。暖かいからと言って油断していると一気に根雪になってしまうので日々追われるように働いています。

今日は大根の収穫。奥さんが冬に100本要る。と言っているので実家と合わせて150本くらい収穫しました。抜いた大根を軽トラに載せて、用水路で一本づつ洗います。

水は冷たくて手が痛くなるけれどピークを過ぎるとポカポカとしてきます。人体の不思議。

洗った大根をハウスで半日乾かしてからビニールに詰めて食料部屋へ。

…めちゃたくさんありますけど、ホンマに食べきれるのかなぁ?

箕使い

 昔からある農具に箕(み)と言うものがあります。ザルを平たく潰して片側を開いたようなモノです。用途は乾物の選別に使います。

箕の両側を持ち適切な力で振る、揺する、回すなどをして豆と殻と細かいゴミを選り分けます。使い方ひとつで比重の軽い大きいもの(殻)を浮かせたり、比重の軽い細かいもの(ホコリ)を浮かせたりします。

僕の使っているモノは古民家の納屋にあったもので、おそらく戦前から使用されていたモノだと思います。昔の道具らしく堅牢でとても使い勝手が良いです。

とても便利な道具ですが使い方にコツが必要です。毎年僕は100kg以上の豆を選別しているので、かなり上級者です(笑)。パソコンやスマホは全然使いこなせていませんが、箕使いの方がカッコいいと思っているから、それでいいのだ!

 

大根掘り

 大根がたくさん余っていてどーしよーかなぁと思っていたら息子が通っている保育園の園児が大根抜きに来てくれました。

とても良い小春日和でポカポカ陽気の下40人くらいの園児がキャッキャッしながら畑で遊んでる。とても良い雰囲気。

園児達のものすごいパワーがきっと畑の作物にも良い気を与えてくれていると感じました。子供の笑顔はスゴイなぁ。

不妊と除菌

 近頃小難しい話の多い当ブログ。ちょっと面倒臭いちゃんになっている気はしますがぼくがいまそんな感じなので仕方がない。

 

宅配野菜のお客さんに医療系ライターの方がおられます。その方にこのあいだ聞いた『農薬と自閉症』の話をしました。すると知り合いの産科医が『近頃の不妊の多さの原因のひとつに除菌のし過ぎがあるのではないか?』と言われた事があると言っていました。

うむ。なるほど。

当ブログで以前『遺伝子組換え作物を飼料にしている家畜の生殖能力が落ちている。と、畜産農家の声がある。』と言う話を書いた事があります。その時は遺伝子組換え技術に原因があるのかな?と思っていましたが、どうも遺伝子組換え作物に使われる農薬の成分に問題があるように考え方がかわってきました。

ただ、学者でもないイチ農家に証明のしようもない話ですけれど、少なくとも原因のひとつと考えてもよいとは思っています。

抗菌、除菌、殺菌、滅菌。菌は悪者だから限りなく排除。その考え方は本当に正しいのか?ぼくは農家なので農家の立ち位置から考えてみます。

『慣行栽培はなんでそんなに農薬がいるのだろう?』と思う事があります。

ウチの畑では、これまで制御できないほどの虫や病気が発生した事は一度もありません。(勿論、すべて順風満帆な訳でもないですよ。)なのに慣行栽培の畑では農薬を使っても制御できなくなる事がママあるらしいのです。

なぜなのか?

農薬は悪い菌(虫)も殺すけれど、良い菌も無害菌も一緒に殺してしまうからではなのか?無差別殺戮の跡は菌の空白地帯。そんな土壌では特定の菌が爆発的に繁殖してしまう。そして、制御が効かなくなる。そんな風にぼくは考えています。

もっと言えば、悪い菌と思われているモノの存在が実は野菜の生育にとって必要な場合もあるのでは?とも思っています。自然は計り知れないからある側面だけを見てわかった気になってちゃしっぺ返しを喰らうよ。って思っています。

なんか、話がこんがらがって収拾つかなくなってきた(汗)。頭悪くてすみません。

 

科学や医学を盲信するだけじゃなく30数億年の生命の循環をもちょっと信用してもいいんじゃないかな?とぼくは思っています。(無理やりマトメてみました…)

ファイト

『勝つか負けるかそれはわからない。それでも闘いの出場通知を握りしめ、あいつは海になりました。』

 

しっかりと霜の降りた朝。快晴の予感。午前中はバタバタと畑の片付けをして、午後から久しぶりに家族ででかけました。

行き先は『上越』

前日から妻の実家に泊まり朝から遊びまくっていた長男はチャイルドシートでグッスリと眠り、次男もウトウトしながらご機嫌さん。奥さんとゆっくり話をしながらの道中でした。

一時間半ほど走り目的地の名立川に到着。車から降りて川面を眺めるとあちらこちらで鮭の遡上がありました。

ヒレは傷つき身体の半分が白いカビに覆われているモノも多い。それでも懸命に川を遡上する鮭の群れ。生きるものの強さを具現化した様なその姿を息子に見せたくて来ました。

『鮭はナニを食べてるの?』

『川に上がった鮭はもうなにも食べないよ。卵を産む場所まで登ったら産卵をして死んじゃうの』

『かわいそう』

『でもね。死んだ親鮭の身体は巡り巡って生まれた稚魚鮭を育てるんだよ。』

『お父ちゃんは死なない?』

『そーだなー。透太の子供を抱っこしたいから死なないよ。』

そんな会話を長男としていました。

 

『ファイト。闘う君の事を戦わない奴らが笑うだろ。ファイト。冷たい水の中を震えながら上ってゆけ。』

 

強いぞ。白菜!

 友人がおいしい自家製キムチを漬けたいからと白菜を注文してくれました。で、途中経過の感想が『塩漬け白菜の時点で、すでに完成された味』 それから 『水がなかなか上がらなくて野菜の力強さを感じた』との事。

我が家でも浅漬けを作ろうとしたのに全然脱水しなくて、塩サラダみたいなパリパリの白菜を食べた事があります。漬け塩の浸透圧に負けないのは、細胞膜が強いからなのかな?と考えています。

細胞膜つよさの理由は、肥料で白菜を育てていないからです。

野菜は栄養を吸い上げるのに水を必要とします。成分そのままの化学合成肥料は勿論 効果の強い有機肥料を豊富に施肥した場合、肥料をどんどん取り込むために水も一緒にどんどん吸い上げます。結果、野菜は『水太り』したような状態になり見た目は立派でもヤワな野菜が出来上がります。そんな軟弱な身体では、虫や病気にも弱くなり農薬が必要になります。

しっかりと育った野菜は、調理してもカサがそれほど減りません。

しっかりと育てられた野菜は、火を通すことで色が鮮やかになります。反対に不自然に育てられた野菜は、お店では濃い緑をしていますが(農薬で表皮が溶けて肌がむき出しになったような状態)茹でるとお湯に緑が流れ出し色が薄くなります。

そう言う所を意識しながら買った野菜を調理してみて下さい。

も少しポイントを挙げると『身体に対して葉っぱが異様に大きい』『葉脈が非対称』『茎の芯が太すぎ』の野菜はがっつり肥料で育てられている場合が多いですね。(品種によっても違うので参考までに)

 

 

初雪

 やけに寒いなぁと思いながら朝起きると薄っすらと雪が積もっていました。朝の陽射しと共にすぐに消えてなくなったけれど、もうそんな季節なんですね。

一日渋り空だったのでビニールハウスで乾燥させている大豆の脱粒をしました。やわらかい陽射しでもハウスの中は暖かくて楽です。

本格的な冬が来る前に豆の脱粒と人参、大根、里芋、山芋、長ネギの収穫を済ませて仕舞わなくてはと、ひと足早く師走気分でおります。

TPPと種苗法

 結構強い寒波が南下しているようで週末の最低気温が−5℃予報。寒害を受ける前に里芋の収穫をしました。南方系の里芋は高原の信濃町には合っていない作物なので、収穫量はあんまりです。まぁ、でも、里芋好きだし。いいか。

 

 先日参加した『農の寺子屋』の流れで『種子についての勉強会?』みたいな集まりに昨夜行ってきました。種子についての知識を深めたい半分、友だちできるかな?半分です。

自己紹介のあとドキュメント映画を鑑賞し、元農水省の方のお話を聞き、その後ディスカッション。

ドキュメントは希望と可能性に溢れた内容。

元農水省の方のお話は相変わらずウンザリしちゃう内容。

国家は国民の為にあるハズなのに、向いている方向は全然明後日。ひと頃流行った『上級国民』と『二級市民』みたいな気分です。

今年『種子法』が廃止になった事は知っていましたが、シレッと『種苗法』も改悪されておりました。まぁ、簡単に内容を書くと『野菜の種を採取すると犯罪になるよ!』って事ですね。

なんじゃあ、そら! ですよね。

改定の表向きの建前は『(種子の)知的財産権の保護』ともっともらしいのですが、本音は『種苗会社の利権保護』、もっとぶっちゃけると『搾取奴隷の製造』ですね。

 

国民の為には働かない国家の意義はなんなのでしょうか?

 

ハッキリとそう言う話が出た訳ではありませんが、恐らく『TPP批准条件』に自家採取権の剥奪があるんでしょうね。やり方があまりにも性急過ぎます。

 

某自由の国や利益至上企業体にやりたい放題されまくっている国に独立国家を名告る資格はあるのですかね?

 

しかし、いろいろ知れば知るほど憂鬱になっちゃいますね。とりあえずぼくはじぶんのできる事(野菜を育てる)を地道にがんばります。

農薬と自閉症

 先日参加した有機農業の勉強会で聞いた話に『農薬と自閉症』に関する内容がありました。じぶんのなかで腑に落ちる感覚もあり気になったので帰ってからいろいろと調べてみました。

要約するとグリホサートと言う成分を含む除草剤(商品名ラウンドアップ)が自閉症の増加に関連しているのでは?との疑念があるらしいのです。このグリホサートは植物の代謝系を遮断・破壊する効果があり、ほとんどあらゆる植物を枯らしてしまいます。ただ『人の代謝系とは違う系統を破壊する成分なので、ひとには害がない。』と言うのが、製造会社の言い分になります。

元々は雑草用の除草剤として使われていました。が、遺伝子組み換え技術によって『ラウンドアップ耐性農産物』が作られるようになり、遺伝子組み換え大豆やとうもろこしなどにも散布されるようになりました。(それら耐性種子の特許はおなじ会社が持っています。種と薬を制すればすべては意のままですね!)

ひとの代謝系とは違う。とは言え、ひとの身体のなかには無数の微生物が共生しています。摂取した農産物の残留成分がその微生物を殺す。結果、自閉症や鬱などの精神障害や癌や免疫系の疾患が増えているのではないのか?と考えられているのです。腸に住む他人(微生物)を殺す事のなにがダメなのか?有機栽培農家の目線からひも解いてみます。

 

 有機や自然農法をしていると土壌微生物のちからを目の当たりにします。勿論、農家さんによって考え方や捉え方の差はありますが(微生物の事とか全然考えていない人もたくさんいます)、少なくともぼくは『できるだけたくさんの種類の生物がいる畑=良い野菜が育つ土台』と考えて、田畑のお世話をさせてもらっています。その考え方は体験的に、感覚的に 間違えていない。と年々つよく感じています。

 

なぜなら、りんもく舎の畑には農学上野菜栽培に必要とされる各種栄養素のほとんどが足りていないと思われるからです。(土壌分析などしていないのでたぶんにはなりますけれど…)

だって、もうずっとマトモに施肥をしてはいないのですから

与えているのは米糠と籾殻を主体とした発酵肥(ぼかし)と刈り取った雑草、炭素資材(廃菌床)をほんのちょっとだけです。やり方も『野菜に肥料を与える』のではなく、『土に生きる微生物に餌を与えている』感覚なのです。

それでほとんどの野菜は強く元気に育っています。

学問上 栄養は全然足りないはずなのに、なぜ?

その答えが微生物(バクテリアや菌)なのではないでしょうか?

菌やバクテリアが野菜に必要な栄養素を届けている。仲介をしている。(エンドファイトと言います。)

おなじように科学的には証明されてはいないのかもしれませんが『ひとが栄養を取り込む為に、菌やバクテリアが身体に共存しているのではないでしょうか?』

 

共存、共栄、共生 という生きとし生ける者の大切な繋がり。

 

野菜を育て自然を観察すればするほど『自然の懐の深さ、完全性』に感嘆をします。単純で複雑、脆弱で強固、繋がり合い絡み合い、循環する。

 

 人も自然の子。だから、ひともひとだけでは生きていけない。身体のなかにもたくさんの命が共存していて、そんな彼らを殺してしまえば、多様性がなくなった土では野菜が病気や虫に負けてしまうように、不調になって当たり前 なのだと思います。

近頃はやりの滅菌、抗菌、殺菌なんかは菌の悪い側面しか見えていない視野狭窄になったひとが増えたせいだと思います。なにかを強制的に排除すればバランスは崩れる。当たり前。生きる糧、身体の元を疎かにする。バランスが崩れて当たり前。

目玉が ¥マーク になってちゃそのうちエライ目に合いますよ。本当に

 

PS:危険性から各国で禁止・規制強化され始めているラウンドアップを先進国で唯一(他の国で使えなくなった分を引き受けるかのようなタイミングで)ドンドン規制緩和している美しい国があるらしいですよ。

ホント、目の前の人参に飛びついてちゃエライ目に合いますよ。

LIVE

 昨夜 ザ・クロマニヨンズのライブに行ってきました!お客のノリも良く、演奏も尻上がりに盛り上がっていくライブで楽しかったです!一年ぶりに再会したヒロトとマーシー、コビーにカツジは相も変わらず格好良かったです。

15歳の夏にブルーハーツと出会って、早四半世紀!!そりゃぼくも年をとるもんだ。

40のおっさんが頭フリフリ ピョンピョン跳ねる。

そりゃ筋肉痛にもなりますわ。

こぶしを突き上げながら『今年もがんばったぞ!』『また一年がんばって会いに来るぞ!』と心の中で叫んでおりました。

楽しい仕事

 先日『農の寺子屋』へ一緒に参加した近所の有機栽培農家『黒姫農園』の渡辺さんの所へ忘れ物を取りに行きました。僕と同じようにテンションがあがっていたみたいで2時間くらい農業の事について語り合いました。

渡辺さんは就農が同期で二人共有機栽培、しかも近所と言う事もあって本当に再々会っては『新規就農あるある』で盛り上がっています。お互いの得意分野や見えている景色が違う事もあり、渡辺さんとの会話はすごく為になり楽しいです。出逢いに感謝。

新規就農三年目。うまく行かない事だらけ打ちのめされる日々ですが『三年前よりも今の方が農業楽しい』そう思えています。その気持ちがあれば少しづつでも成長出来ると信じています。

 

畑では季節外れの菜の花が咲いています。(トウタチしやすいアスパラ菜)

農の寺子屋

 昨日 中条村へ有機農法の勉強会『農の寺子屋』の集まりに行ってきました。講師をされたのは『まごころふれあい農園の久保田さん』 信州有機農家の草分け的な存在で、数年前に農業普及センター絡みで講演を聞いたことがあり、是非 再会してみたい方でした。

数年ぶりにお会いした久保田さんは相変わらず若々しく、少年のような瞳が印象的でした。実体験を通した有機農業の話は、日頃 畑や田んぼで疑問に思っていたことへの『腑に落ちる』答えや今後のヒントになり、本当に面白かったです。

そして、ココでも近頃やたらと出会うキーワードにぶち当たりました。

『多様性』 そして 『自分の成長』 です。

 これまで農業を続けてきた経験と直観を通して、少しずつ気が付きつき始めていた多様性の大切さ。生命の総量と種類の豊かさが、健全な圃場の証であり、あらゆる生命が縦横無尽に絡み合い共生しあう事の重要性。ぼんやりとした空想や理想ではなくて、多様でなければいけないはっきりとした理由がわかり始めています。

なぜ、じぶんが百姓になったのか。その『なぜ』がすこしづつみえてきました。

もう一つのキーワード 『自分の成長』

畑や田んぼを始めて10年。書物を読み、話を聞き、畑や田んぼで観察し、作物の声に耳をすませ、感じ、考え、悩み、じぶんなりの答えを求めてきました。農業技術の面は確かに成長をした実感があります。でも、なにかが足りない。との想いもあります。もっとエネルギーの満ちた、澄んだ野菜やお米を育てられると言う確信があります。

なにが足りていないのか?

薄々 気が付き始めていました。でも正直に書けば、答えを直視する事をわざと避けていました。認識する事が苦しいからね、

 

 

野菜の成長には、僕自身の成長が必要です。

自分自身の声を無視することなく、受け入れ、澱まず張らず、きちんといまを生きる。考えただけで、そーとー面倒臭そうです。

でも、ちゃんと自分が成長することができたなら、もっともっとすごいお米や野菜に出会えるハズ。その伸びしろを考えたなら、そろそろ重い腰を上げなければいけない時期に来ているとぼくのなかのアンテナはキャッチしています。

冬籠もり

 朝は夜明け頃に起き出して、前夜に袋詰をした野菜を発送・配達先別に仕分・箱詰する作業をします。近頃は夜明けがだいぶ遅くなって6時頃からです。信濃町は晩秋に差し掛かっていて寒い。

日中は畑や田んぼの冬ごもりの準備をコツコツと進めています。今日はトマトハウスの片付けをしました。吊り下げ式の仕立をしているので、1株づつ吊り下げ紐を外し、それからハンマーナイフをかけました。きれいさっぱりです。

ココに刈り取った大豆や小豆を運び込んで乾燥させます。雪が来る前に脱粒を済ませたら、ハウスを覆うビニールを外して片付けます。間に合うかな?

 

 昨日次男の誕生祝を戴いた方へ新米を持っていきました。そこで『鈴木君は冬はどうするの?』と言われて『冬は働きたくないんですよね。』と返しました。すると『農家は冬は働きに出なきゃ』と言われました。

農家は雪解けから根雪になるまで、夜明けから真夜中まで働いています。冬くらいゆっくりしたっていいんじゃないの?と、僕は思っています。勿論、乾物やお米の出荷、書類整備など完全に休む訳ではないけれど、外にまで出て働かなくても…と思っています。

熊のようにたっぷりと脂肪を蓄えて、冬は穴の中でグーグー寝ていたいです。雪が溶けたら、また、一生懸命働けるようにね。

晴耕雨読が理想の生き方です。

お歳暮

 今年も新米の収穫が無事に終わり例年通り日頃お世話になった方や友人達にお歳暮としてお届けをしています。

奥さんからは『雄ちゃんは気前が良すぎる。そのお米の価値をわかってないひともいるんだよ。農家だからお米いっぱい余ってるんだろ?くらいに思う人だっているんだよ。』と

自然栽培でお米を育てる苦労を、身近で嫌というほど見ているから気前良く配る事が安売りをしているみたいで悔しくなったようです。

そんな事を言われたモノだからどれくらい渡しているのかな?と計算。十数軒へ合計250kgくらい!

うわっ!スゲーな!

ウチのお米の全収穫量の1/5 くらいでした。…お米余っている訳でもないのにね。浅ましくも正規単価で売った時の金額を計算。

うわっ!家族旅行行けるじゃん!

 

こう言う計算はしちゃいけないね。

新米は気持ちなのだから、気持ちに値段を付けたらアカン。『今年も太陽と土と水が恵みを与えてくれたよ!』『今年も一年ちゃんと汗水流したよ!』『来年もがんばるよ!』それを伝えたい気持ちがいちばん大切なのです。

伝えたい気持ちが伝わらないからと言って文句を言うのはやっぱりオカシイ。お米も田んぼも文句の一つも言わずに、ぼくに生きる糧を与えてくれます。それを独り占めしちゃ、ダメだよね。

幸せはグルグル回せば、いつまでもなくなりません。

 

奇跡のリンゴ

 秋になり農作業も一段落。秋の夜長に読書をする余裕がでてきました。自然のサイクルは本当にうまくできています。

本棚から久しぶりに『奇跡のリンゴ』を取り出して、読んでみました。で、相変わらず号泣しちゃいました。コレなんなのですかね?気持ちが胸の奥から溢れ出て来て止まりません。

日本の有機農業の種は(故)福岡正信さんが蒔きました。

戦後すぐ、化学合成肥料と農薬が農家の負担を軽減し、救い神のように崇められていた頃、福岡さんはキチガイ扱いされながら人為無為と自然栽培を実践されていました。

その福岡さんの著書『わら一本の革命』に感化され第二世代の有機・自然栽培農家が各地に芽吹きました。その世代の方々が地道に努力され、第三、第四世代の僕たちがいます。

『奇跡のリンゴ』を読んで、何故 涙が溢れるのか?

『本当は僕たち地球人 全員で考えて出さなければいけなかった答え』を、木村さんがその身をボロボロになるまで削り、導き出してくれた。その苦労を想うからではないかと思います。すみませんとありがとうございました。の間。

いま現役の僕らは100年先もこの星で生きていけるように、次の世代へきちんとバトンを渡していきたいと思います。

一粒の種が百万倍に増えるように願って

かわいいと面倒臭い

 11月の声を聞いた途端 強烈な霜が降りました。畑一面バキバキに凍っています。歩くたびにサラサラと氷が砕け、葉っぱの折れる音。霜の降りた日は快晴。空は高く青く澄んでいます。

 

4ケ月になる下の息子は近頃とても表情が豊かになりました。上から覗き込むとニコニコと仏さまの様な無垢な笑顔が帰ってきます。めちゃんこかわいいです♡

でもお父ちゃんは人間が全然出来ていないので仕事や用事でバタバタとしている時にビービー泣かれたりすると『勘弁してくれ!』『面倒臭いなぁ』と思ってしまう時もあります。

結局、かわいいと面倒臭いはもれなくセットなんですよね。面倒臭い時を乗り越えなければ、かわいい笑顔には出会えません。かわいい笑顔が見たければ面倒臭い事も引き受けなければなりません。

コレって、すべての事に共通する様な気がします。苦しさがなければ喜びにはたどり着けないし、努力しなければ結果はついてこない。

短いスパンで見れば『苦しいだけ』や『無駄な努力』なんかに思える事も、時を経ることで花開く時がママあります。

畑で汗水を流す。野菜の気持ちをくみ取ろうと格闘する。風雨で徒労に帰す。すぐでる結果もあれば、未だ形にならない事も多い。

でも、やり続けた事は地層のようにじぶんのなかに積もって行くのだと思います。

だから、(それなりに)頑張らなきゃダメなんですね。残念ながら