百姓日記


くまったぞ

 家の近くに今年から借りた畑があります。数日前、野良仕事をしていると向いの畑の知り合いのおじさん(70歳のIターン養蜂家)が「鈴木君、これなんの足跡?」って声をかけてきた。

収穫直前に迫ったジャガイモがきれいに掘り返されていて周りには足跡がいっぱい。

でかいな。クマ?

そこは元罠猟師の鈴木。雨で不明瞭になった足跡に蹄の跡を見つけました。うーん。コレは雄の単独猪ですね。それにしても大きい。

でも、こっちのは?それに猪にしては芋の掘り方が丁寧だな。

胸がドキドキ。

でも、見なかった事にしました。

で、昨日。ウチの畑から地続きの耕作放棄地に大きな足跡と糞。

…完璧にクマですね。

まいったなぁ。

くまったなぁ。

酷暑

 全国に降らせた大雨の後から一滴の雨も降らないまま10日以上酷暑の日々が続いてる。野菜も全般的にバテてる。もちろん、ぼくもバテてます。

昨日はあまりの暑さに嫌になり配達の終わった午後から海に行ってきました。釣り&泳ぎに

2時過ぎに海につき車から下りると速攻汗だくになる。水着に着替えて、海にドボン。ぬるい!って言うか、暖かい。…

ココ日本海ですけど…

海には生命の影がほぼ無く、植物性プランクトンのカスで視界も不良。こりゃダメだと釣りをする事すら諦めてウチに帰る。

日中は無茶苦茶暑い信濃町だけれど、夜は過ごしやすい気温に落ちてくれる。さすがに高原です。

キャベツ定植したいのだけれど、雨当分なさそうだなぁ。うーん。

困る。

トンネル

 ↑ きゅうりトンネル

 

 暑い日が続きます。夏野菜もグイグイ大きくなってトマトやナスなんかも採れだしました。今年は畑の面積を増やしたから収穫もたいへんです。

蔓性の野菜は支柱に網を張って、そこに蔓を這わせながら育てます。アーチ状の支柱の下は、丁度木洩れ日のようになります。

野菜トンネルもなかなか悪くないですよ。

 ↓ いんげんトンネル

 

4年生

 豪雨一転酷暑が続いています。昼の気温は生命の危機を感じるレベルで周りの農家さんは朝夕しか外に出ていません。夕立が欲しいなぁ。

 

雨降りの後の高温で雑草(野菜も)が一気に大きくなりました。今日は田んぼ周辺の畦の草刈りをしました。稲もグッと大きく育ち、小学4年生くらいになりました。

まだ、親の手がいるけれどじぶんで出来ることも増えてきた。そんな感じです。今週中には田の草取りにはいりたいなぁ。

夏本番

 産褥入院していた妻と息子が助産所から戻ってきた。あわせて京都から母親が世話に来てくれる。

仕事の合間に息子の寝顔を眺めてニヤニヤしちゃう父です。長男はヘルパンギーナに罹患し妻の実家に隔離。お母ちゃんにも弟にも会えずにフラストレーションが溜まってます。すまんなぁ。

大雨の後 信濃町は夏本番を迎えました。暑い。死んじゃう。

僕の方は疲労が溜まり、朝が起きれなくなってきた。五時の目覚ましでフラフラしながら起き上がる毎日。これから野菜出荷本番なのに大丈夫でしょうか?

なんね。疲労具合が例年のお盆過ぎくらいの感じです。妻曰く、雪解けが1ヶ月はやかったからその分疲れてるのじゃない?ってこと。まぁ、そんな感じかな?にしても、暑い。季節も1ヶ月早まっている感じです。秋の訪れも1ヶ月くらいはやくなるのか?このまま夏が続くのか?

どーなんでしょ。

気候にあわせて夏野菜もどんどんとれ始めました。きゅうり、ナス、トマト、いんげんなどなど

もう少しでとうもろこしや早生の枝豆も収穫です。

ぼくの身体はどーなるのでしょうか?

 淡路島の友人(自然栽培農家)から電話があった。今回の豪雨で夏作の野菜がだいぶ酷い目にあったようで落ち込んでいました。そーよなー。手塩にかけて世話をして「さー、これから」って時にワヤになる。その辛さ、同じ農家としてよくわかります。

 

今日は久々の天気。山の上に入道雲がポカリと浮き、気持ちの良い夏の空です。暑いけどね。

久々に畑へ出ると野菜も雑草も一気に大きくなっていました。雨と気温と太陽があればグングン大きくなります。いちばん最初に定植したとうもろこしが見違える程大きくなっていて、あと10日くらいで収穫になりそうです。

もう、そんな季節か

 

腐海の森

 宮崎駿監督の名著『風の谷のナウシカ(マンガ版)』を読むとその世界の深淵に触れたような叙述に感嘆します。殆ど神話の世界。寓話の世界。見方を変えればキリストやブッダの物語のようにぼくは感じます。人であるナウシカが人でありながら伝承の中で神になっていくような、そんな感覚を受けます。(勿論、ぼくの勝手な解釈ですけど…)

物語は毒をだす腐海の植物とそれを守る虫や粘菌の世界を舞台にしています。物語が進む中で木々と虫、粘菌の繋がりや愛が語られていきます。大地の毒を吸って吐き出すことで土を浄化する木々。その(毒による)痛みを、食べることで癒そうとする虫たちの愛情。

なんかね。ぼくには野菜と虫の関係もおなじように感じるのです。

バランスのとれた土と環境の元では、野菜は虫に余り食べられません。勿論、まったく被害がない訳ではないのですが、野菜の生育を阻害するほどの甚大な被害は起きません。病気に関してもおなじです。反対に生物層が薄い土地であったり、肥料に過不足がある場合、バランスの崩れた場合では、虫や病気が多く発生します。特に効きすぎる化学肥料や未熟な有機肥料を使った場合などでは、被害が見事に顕著になります。どうしてなのか?

 

難しいけれど、ぼくの(今のところの)解釈はこんなです。

 

腐敗と発酵。どちらも有機物の分解の過程。

激烈に、急激に分解する時は腐敗し、穏やかに、緩やかに分解する時は発酵します。おなじ分解と言う作用なのに、この違いはどこから来るのか?

適切に育てられた有機野菜は腐敗しにくい(日持ちする)と言われています。

ある天然酵母を使うパン屋さんの本に、こんなことが書いてありました。『世界にとって不要(有害)なものを出来るだけ早く無害化するために腐敗するのではないか?』と。

そう考えると、不自然・不適切に育てられすぐに腐敗する野菜は、人にとって有害なのではないのか?毒を取り込んで苦しんでいる野菜の痛みを和らげるために、虫たちは野菜を食べるのではないか?害虫と思われていた虫は、実は(間接的に)人を守ろうとしているのではないか?(この野菜は人が食べるものではありませんよ!)と。

実は、毒を出す腐海の木々は人が汚した世界を浄化してくれているのとおなじように

そんな所にまで想いは及びます。

うーん。なんだか、やっぱりうまく説明できません。

ので、アボリジニの言伝を最後に

『植物はひとに食べられるために生まれてきた。動物はひとが崩した世界のバランスを整えるために生まれてきた。』と

なんか、やっぱり神話ですね。

PS:まとまりがなく、すみません。

2世2号

 梅雨明け宣言の舌の根も乾かないのに戻り梅雨でドボドボの雨。ここ二日間降りっぱなしです。極端過ぎなんですよね。天気。

そんな悪天候の昨夜、2世2号が誕生しました。😁

夕方、10分間隔になった陣痛。助産所に連絡をいれると「経産婦だし急に進むかもしれないから来て」とのこと。軽く食事をしてから車に乗り長野市内にある助産所へ。

長男の時よりも余裕がある奥さんと前回はあーだった、こーだったと話しながら向かう。

6時前に助産所に着き検診。陣痛を促進するために奥さんは、階段を登ったり降りたり。少しづつ陣痛の間隔が短くなり8時頃に布団の上へ。義父義母に連れられて息子も到着。

初産の時はここからがながかったから油断をしてたら一気に進み。気がつけは二階で遊んでいた息子が神妙な泣きそうな顔しながら傍らで母ちゃんの事を心配そうに眺めてる。

夜10時に母子共に無事産まれました。

産道を通るときに負担がかかった息子2号は酸欠で全身デスラー総統(わかるかな?)みたいないろになっていました。ホント、生まれて来るって命懸けだ。今回は大丈夫か?と思っていましたが、ぼくもしっかりと涙がでてしまいました。

出産ってすごいですよね。誰に教えられた訳でもないのに、熟れた果実が木から落ちるように時期がくればちゃんと生まれてくる。ひとも自然の一部なんだなぁと思いました。

で、出産に関しては男親は屁の役にも立ちません。ただオロオロして明後日な気遣いをしてるだけ(-_-;)

亜里、僕ちん 本当によくがんばりました。お疲れさまです。

ありがとう。

 

わたしは誰でしょう?

 普段 毎日のように食べている野菜。毎日食べているはずなのに案外売られている時の姿しかわからない人が多い。 

ウチの農園はここらではめずらしい草生栽培・自然農をしているから結構たくさんの方が見学に来る。で、雑草と一緒に育っているからどれが野菜なのかがわからない。

まぁ、当たり前か。僕も昔はわからなかった。

 

ジャガイモとトマトは親戚だって知ってた?

大根とキャベツは血がつながってるって知ってた?

食卓に並べられた野菜だけを見てたらわからないよね。

ナス科、アブラナ科、キク科、セリ科etc 同じ科の野菜は八百屋で見かける姿は違えど、種の時、発芽した時、咲く花はそっくり。

親戚なんだなぁってわかる。

おもしろいよ。

さて、見開きの写真はなんの野菜でしょう?

解った人はすばらしい。(とうもろこしじゃない方ね。)

農家の手

 あんまり雨の降らない梅雨だなぁと思っていたら、まさかの梅雨明け宣言!まじか!二週間くらいしかなかったじゃん!そんで、ほとんど雨降ってないやん!しかも、まだ六月ですぜ!

もう、訳がわかりません。人参いつ蒔いたらいいの?(発芽に水が必要な人参は、梅雨明け寸前最後の雨前に蒔きます。)

そして茹だるような暑さ。

30℃超えてます。高原信濃町で30℃こえは例年ならば年に数日なのですが…避暑に行きたい。そんな茹だるような暑さのなかで野良仕事は続きます。草や土をいじる手は細かい傷がつき、洗ってもとれない灰汁や泥が染みつきます。例年とおなじ農家の手。

 ヘトヘトに疲れて家に帰ると汚れた父を見て二歳の息子が「父ちゃんばっちい」って。それを聞いて普段は温厚な奥さんが烈火のように怒る。「父ちゃんはばっちくないよ。お母ちゃんと透太がごはん食べれるのは、お父ちゃんが必死になって働いてくれてるからなんだよ!」って。

ありがたい奥さんをもらったものです。

父ちゃんばっちいよね。でも、ばっちい手をしたじぶんが、実は父ちゃん結構気にいってるんだ。

あー。生きてんなー。って実感できるんだ。

田んぼの生き物

 入梅して数日間雨が続いたもののその後は晴れの日が続いてる。今のところ空梅雨だな。ヘンな時期に天気の辻褄が合いそうで怖いです。

畑の野菜はいまひとつ調子が良くない。天候のせいもあるけれど、ぼくのミスも多分にある。まだまだ未熟者なので子供たちには迷惑をかけまくりです。なんとか、頑張って欲しい。

 

 血の繋がったほうの息子は日々畑で遊ぶことが多い。自然、野菜や虫やカエルに興味がでてくる。昆虫図鑑を見ながら「これはなに?」と質問攻めの日々。図鑑を眺めながら「そー、言えば、この虫畑で見かけないな。この虫近頃は田んぼで見ないな」と言うのが多い。

 ぼくは京都の片田舎で育ち、子供の頃は実家が自給用に少しだけ田んぼをしてた。(いま思えば手植え、手刈りだったなぁ。父ちゃん母ちゃん頑張ってたんな)だから、いまの息子と同じように田んぼや畑が遊び場でした。その頃の田んぼには、ドジョウやザリガニ、カエル、タイコウチにコオイムシ、ミズカマキリやタガメ、ゲンゴロウなんかが普通にたくさん住んでた。

いまはカエルやミズスマシ、アメンボを見かけるくらいで水棲昆虫の種類が本当に少ない。土地が違うせいもあるとは思うけれど、根本的に生命の総量が薄くなって感がある。

耕地整理の影響もあるとは思うけれど、いちばんはやっぱり農薬のせいなんだろうな。

雑草を殺す。害菌を殺す。害虫を殺す。殺しに選択はなくて、無差別殺戮。益菌も益虫も殺す。それらを餌とする両生類や鳥類も間接的に殺す。

生命の循環がなくなった田んぼでは、稲は育たない。だから、化成肥料をくれ、さらに農薬や除草剤に頼る。

 

 ちいさな虫たちがいなくなること、大したことじゃないと思う?安く、安定したお米を収穫する事と引き換えに、人にとって無益と思われる命が失われていく事。仕方がないと思う?目先の事に囚われて、足下の命を見過ごす事。しょうがないと思う?

感傷なんかじゃなく、ぼくはなんか違うと思う。ちいさい命が失われていく事は僕ら人間が生きていく土台が失われていく事と同じ事なのだと思う。

稲も野菜も地表に見える部分よりも目に映らない土の中が大事。土台がしっかりしていれば虫や病気に負けない。複雑な生命が持ちつ持たれつする事で、土台はがっしりとしっかりとする。ホントだよ。

土台を失った自然がいつまでひとの命を支え続けられるのか?ひとが生まれてから何百万年も続いてきた生命の輪がプツリと切れる。そんな時代に僕らはいきているのかも知れません。

 

 

夏至の憂鬱

 はやいもので六月も半ばを過ぎました。21日、遅い夕飯を食べてたら「あっ、今日夏至だ。」と思い出し少し憂鬱な気分になりました。

長野に越してくる前は夏至に対して特に深い想いもなく「今日が一年で一番日がながいのだなぁ」くらいでした。

ここ信濃町は黒姫山の裾野にあり標高700㍍弱あります。なので夏がみじかい!冬がながい!のです。

百姓鈴木は元々が南方系のにんげんでして、暑いの大好き寒いのが苦手。体感的に冬が一年の半分のここ信濃町に来てからは、日の短くなる夏至は少し憂鬱な気分になってしまいます。

でも、たぶん、ここから違う土地に移ったら、雪のない冬に寂しさを感じたりするのでしょうね。

ひとはないものねだりですね。

木漏れ日

 朝野菜を収穫して梱包したら宅配便の出荷と近郊の方への配達をしています。

信濃町は高原の避暑地として町内にいくつかの別荘地があります。今朝はそのなかのひとつへ野菜配達をしました。空は晴れ渡りトンネルのようになった木立ちのなかの道を車で走り向かいます。

めちゃ気持ちがよい。

梅雨が明けたら、もう夏だ。

おたまじゃくし

 小豆と奥手の枝豆の播種が終わり夏作野菜の植え付けもだいたい終了しました。これからは早出し野菜の収穫と果菜類の世話。それから雑草管理が仕事のメインとなります。

…雑草管理。

つまり、まぁ、修行ですな。

田植えから三週間。稲は活着も済み少しだけ大きくなりました。でも、まだ年長さんくらい。親の世話は欠かせません。

植え付け一週間後に田の草取りに入り、その一週間後にもも一度入る予定が…天気悪くて…いや、本当は僕がちょっと逃げてて、先日やっと2回目入りました。タイヤチェーンを連結したモノを2㍍くらいの棒に結わえて、それを引っ張ります。

チェーンはズシリと重く、泥濘む田に足をとられツライ。まさに修行です。

田んぼでは大小さまざまなおたまじゃくしが泳いでる。気持ちよさそうです。頭上には数羽のツバメが飛び交っています。日本の原風景。

おやつを届けてくれた奥さんが「(ぼくの)見た目、完全に東南アジアだね」とのこと。そーかー。

野菜出荷始まりました。

 はやいもので梅雨入りの季節になりました。春蒔きの野菜たちもボツボツと収穫開始。去年までは7月から開始していた野菜の出荷を今年はこの時期から始めました。と言っても練習に近い感じで、作付け量は大したことありませんけど

今週の宅配野菜は、キャベツ、水菜、からし菜、ケール、サニーレタス、スナップエンドウ、コカブ、らっきょなんかになります。葉物野菜が中心でちょっと見栄えが良くない。もう少しすればきゅうりとかズッキーニが採れ始めるので、それまでは草食獣のように葉っぱを食べましょう。

お天気商売

 ここの所天気予報が全然当たらない。もともと信濃町自体が妙高山と黒姫山の裾野に辺り、山の天候に近くて天気の読みにくい場所ではあるのですが…本当に当たらない。

農業はお天道様次第な仕事なので種まきや植え付け、草刈りや耕起のタイミングもその後の天気予報(降雨、気温)を睨みつつになります。

そんな中、5月末に定植したナスがなかなか活着しない。もう植え付けから2週間も経つのに水をうまく吸えずに萎びた感じのまま、発根が促されていない。どーしたものか?寒さのせいなのか?なんなのか?ちょっと心当たりがあるから尚の事心が凹む。

あまりにも萎びて干からびて可愛そうなので水をくれようかと思いつつ天気予報の雨予報を信じて数日。全然当たりません。仕方なくエンジンポンプで散水をしました。

ナス、元気になってくれるかなぁ?父ちゃんが未熟者でごめんね。 

反面、ハウスのなかのトマトはどんどん大きくなってきました。

苺と息子

 今日は雨予報。梅雨の始まりかな?夜明けからハウスでトマトの吊り紐を設置してたら雨がポツポツ。8時過ぎに家に戻り朝食。今日は息子とお出かけの約束。

春から行きはじめた保育園がつまらないらしく(未満児保育で息子だけサイズが大きく、力一杯遊べないかららしい)ここの所登園を嫌がってた。父ちゃん母ちゃん共に忙しくてなかなか構ってあげられていない。それでも保育園から帰ったら、毎日畑で1〜2時間は遊ばせてはいるのだけれどね。

で、久々に一日息子と遊ぶ事にしました。

ネットで調べて初映画へ。「きかんしゃトーマス」

でも、あんまり楽しくなかったみたい。残念。それから公営の屋内遊技場に行って、すべり台とかボールプールで遊んできました。

家に戻ってから畑で苺を収穫。株数の割には少ないけれど、いまが最盛期でそれなりには採れてます。

市販されている苺をほど大きくもなく甘味も薄いけれど、苺らしい香りと甘酸適和でおいしいです。息子も大好き!

父ちゃん、この時期はなかなか一緒に遊んであげられないけど透太のために苺育てているんだよ。

修行開始!

 以前からだいぶ怪しくなっていたスマホが壊れました。…当分写真のアップはありません。野菜の販売もそろそろできそうなのに、携帯ないのはつらいなあ。商売になりませんわ。

高原の信濃町では朝晩はまだまだ寒い。日の出とともに畑に行くのだけれど朝イチはなかなかエンジンかからず。苗に水をくれたり、朝露に濡れた草を刈ったり。今朝も一番遠い畑へ草刈りに行っていたのですが、数日 目を離した隙ににんにくの芽がズルっと伸びていました。徒長した芽をポキポキと手折って、晩ごはんのおかずに持ち帰ります。手折った茎からはポタポタとにんにく汁が…手、凄いにおいになりました。

日が高く上がって、気温が上昇してから田んぼへ。

で、今年も始まりです。

修行・苦行の除草作業。田植えの済んだ田んぼで2条動力除草機を操作しながら行ったり来たり。行ったり来たり。ぬかるんだ田んぼに足をとられ、機械が明後日の方へ行かないようにバランスをとって制御する。初夏の日差しがサンサンと照りつけ、泥はねと汗でグダグダ。

つらい。

3枚の田んぼを合わせるとほぼ一日作業。これを1~2週おきに7月末まで…

修行です。

 

炭鉱のカナリア

 百姓鈴木はその昔ヒッピーをしておりました。10代後半から30歳まで…足かけ10年。永い永い放浪生活。バイクにキャンプ道具を積んでふらふらしながら季節労働(北海道‐鮭、日本アルプス‐山岳警備員、四国‐蜜柑援農、沖縄‐サトウキビなど)をして、幾ばくかのお金を貯めて海外へ。そんな生活を続けていたんですね。

で、なぜか?ぼく以外の有機農家さんにもおなじような経歴のひとがすごく多いのです。元旅人だったり、元協力隊員だったり

なぜなんでしょう?

それぞれが別の生き方をして、求めるものがあって旅に出て(ぼくの場合は求めるものがなくてですが)、見たモノや感じたコト考えた内容は違うはずなのに、おなじような選択をしている。

なぜなんでしょう?

ぼく自身の事で言えば、旅に出たのも農家と言う生き方を選択したのもじぶんで選んだと思っていました。でも、たぶん、社会の大きな流れに乗っているだけなのかも知れません。炭鉱のカナリアみたいなものです。毒ガスがあれば真っ先に死んじゃう立場。敏感なひと。

旅をする人、協力隊に参加した人、共通しているのはじぶんの意思で他と違う選択を過去にしたひとたち。ドロップアウトしたひとたち。違う価値観を感じたひとたち。

路傍の片隅で社会を眺めていたら農家と言う生き方にたどり着いたのでしょうか?そのアンテナがなにかをキャッチしたのでしょうか?

選択と言うものは、じつは社会が求めているのかもしれません。

うまくは説明できませんが

田植え終了

 火曜日に残った一枚のたんぼの田植えをしました。午後から黒姫農園さんの田植え手伝い予定なので早朝からがんばりました。3時間ほどで機械植えは終了。乗用式はやっぱり楽です。欠株や畦近くなどの補植は済んではおりませんが、体調が全快しておらず水に浸かることは避けたいので後日おいおいですませます。

野菜に比べてお米は栽培センスはあまりいりません。

要るのはなによりも『忍耐』です。

除草剤を使用していないので、除草管理が今後のメイン作業になります。田植えから一週間後を目途に最初の除草に入り、その後は1~2週間おきに7月下旬まで計4~5回の除草にはいります。動力除草機を使うとは言え、めちゃたいへんな作業です。ほとんど修行の様相を呈します。(いまから想像するに恐ろしくなります。)

ふー