アフリカの夕陽

 よく『農家になる前は、なにをしていたのですか?』と聞かれます。で、答えに詰まってしまいます。(たぶん職業を聞かれているのだろうなぁと思いつつ)

ぼくは18才から30才まで国内外をふらふらとしていました。それを『旅人』って言うにはちょっと気恥ずかしいし、なにかをしたくて、なにかを観たくて、って旅人らしい想いも特になく、その資格もなさそう、なので『ヒッピーをしてました。』と言う事にしています。本当は『ヒッピーよりもドリフター(漂流者)』の方がしっくりするのですけどね。

目的はなく、目標もなく、気概もなく、ただ全力で逃げ回っていただけの日々。たいしたことなどなにひとつやらなかった日々。

 それでもこの歳になって『若い頃、ふらふらしてて良かったなぁ~』と思えています。旅で観た景色や感情、感覚、記憶なんてものは、もうとっくに脚色された別のモノになってしまっているけれど、そのすべてが澱のようにぼくのなかに積もり、今のぼくを作っています。

人生で過ごした時間は、決して嘘にはならないのですよね。

先日、農作業中にフッとアフリカの夕陽を思い出していました。エチオピアからケニアに向かうバスの屋根の上(車内はヤギで満員)、満載の荷物に寝転がりながら暮れてゆく世界を眺めてる。

真っ赤な泥の道がスーっと遠くまで延びて、その先の大きな地球に半熟卵みたいな真っ赤な太陽が沈んでゆく。空には一番星が瞬いて、世界はとても静かで平和でした。

じぶんをかたちづくるもののひとつに『あの日の太陽』がきっとあるのです。

畑の野菜、田んぼの稲、息子の笑顔、建築途中の小屋 いまのすべてが、その全部、全部、全部が澱のようにこれからのぼくを作っていきます。