アフリカとアラスカと

 暑い日差しの下でじゃがいも掘りをしました。それにしても暑い❗元々、田んぼだった畑で育てたじゃがいもは、あんまりたくさん採れませんでした。湿気がちょっときついのかもしれません。

 

 じゃがいも掘りをしながら前回ブログに書いたアラスカの事、それに付随してアフリカの事をを思い出していました。

 

 僕は18歳から30歳まで国内外をフラフラとしていました。特に目的意識もなく、全力で逃走する日々。20歳の時になんとなくな流れでアジアを放浪し、その後も結構いろんな国を訪れました。でも、20代半ばまでの前半部分の旅は、殆ど『スタンプラリー』みたいなもんでした。

ガイドブックを読んで、ガイドブックに載っている街や観光地を点々と繋ぐ旅。勿論、そこで出会った人や風景や感情も大切なモノなんですけれど、ただ、決められた道を辿るような旅行でした。

26歳。アフリカの旅はひとつの転期でした。アフリカは『忍耐力と適応力』を問われる大地でした。ガイドブックは殆ど意味を為さず、すべての情報を自分の足で得なければ動くことさえままならない土地。

灼熱のスーダンを越え、エチオピアの片田舎まで来た時に、余りの理不尽さと食事の合わなさ、アフリカ人の適当さ(実はめちゃくちゃやさしくて、素直な子供みたいにピュアな人達だと、その後に気がつきました。)、そして、南京虫の猛攻でボコボコになった身体に、精神が悲鳴を上げました。

『もう、日本に帰りたい。』

半泣き状態でアフリカになど来た自分を恨みました。でも、勿論だけれど エチオピアの訳のわからん村から直ぐに日本に帰ることなど出来ません。限界まで追い詰められた僕が出した答えは『諦めよう』でした。

『帰ることは(物理的に)出来ない。ならば、全てを受け入れて前に進むしかない。』他の選択肢はなかったのです。

そう開き直ってからは異常な勢いで日々が楽しくなりました。いまでもその時の感覚を覚えているのですけれど、本当に尋常じゃないレベルでテンションが上がったんです。あれ?なんだったんですかね?限界を超えて『これ以上は無理』と判断した脳が、自衛の為に脳内麻薬をドバドバ垂れ流していたんじゃないかと思います。

毎日楽しくて、ニコニコしてたら次から次に楽しい事がやって来た。それまで不審の思いしかなかったアフリカ人も皆最高に素敵な奴らでニコニコしながら出会いと別れを繰り返しました。夢の中にいるような、そんな日々でした。(まぁ、最終的に上がれば下がるが世の習いで、その後 酷い落ち方したんですけどね。)

アフリカは自分の全てを総動員して前に進む『本当の旅』を僕に味会わせてくれました。そして『旅も人生も(ポジティブに)諦めて進むしかない』事を教えてくれました。

その体験が今の自分を支えています。

人生を終える決断が出来ないのなら、どんなに自分の事が嫌いでも、今の生活が嫌でも、こんなハズじゃなかったと思っていても、諦めて、受け入れて、前に進むしかないないんです。他の道はないんですよ。

話が長くなったのでアラスカの話は次回にします。