アフリカとアラスカと4

 いや、ホントに長いな。興味のない人は無視して下さい。農業ブログではありません。

 

9割大丈夫だけれど失敗すれば100%沈没=限りなく死。+ 不確定要素込み

6、7割の確率だけれど、万全の体制で挑めば、自力でなんとかなりそうな水路。

二つの選択を目の前にして、僕は後者を選びました。9対1の確率のサイコロを、神様に振らせたくはなかったのです。

カヌーを左手の波が弱いラインを通り抜けやすい位置に動かし深呼吸。胸元まで競りあがりそうになる恐怖を黙殺しました。ここでビビっても『なにひとつ得な事はない。』100%完璧な状態、100%な自分で波間に入る事が、いま一番求められている事。恐怖に捕らわれて、パニックになったらお仕舞い。失敗したら死ぬだけ、生きるか、死ぬか、それ以外の道がないなら、いま 全力を尽くせる状態にするだけ。6、7割の成功確率をほんの少しでも高める為に、心を穏やかに静め、少しの状況変化も見逃さないようにピンと神経を張りつめる。

加速度的に早くなる流れに乗り、空に向かってそびえ立つ大岩に向かう。岩に当たった水の流れが盛り上がり、カヌーが少し空に近づく、次の瞬間エレベーターに載った時のような感覚で、カヌーは波の谷間に滑り落ちる。

2メートルを越す波の壁に阻まれて、僕の視界には水の壁と青い空しか見えない。頭から波しぶきを被り、カヌーのなかに水が雪崩れ込む。パドルを叩きつけ、左右に漕ぎ、兎に角 波の隙間をバランスを崩されないように流される。翻弄される。

どれくらいの時間だったんだろう?数秒か、数十秒か、数分か、駒送りの映像を観ているような時が過ぎ、僕の視界にはさざ波と太陽と青い空と森が映った。ゴウゴウと後方から濁流の音が聞こえる。

生き延びた。

ずぶ濡れの身体が安堵を感じて緩んだ後で、途方もない恐怖感に襲われました。声を出して咽び泣きたいくらいの恐怖。押さえていた感情が溢れ出した瞬間。その後の数週間は、目を閉じると波の壁を瞼の裏に見ました。

リアルな死を目の前にして、結末にとらわれることなく、全力で、100%完璧な状態の自分でぶつかっていく準備ができた事が、僕のなかのなにかを変えました。

腹を括る。結果は、知らね。

人生もそれでいいのではないかと思います。

 

 農家は儲からない。でも、自分が百姓として生きていきたいのだから、それでいいんじゃないか。他の選択肢があると思うから苦しむ。歩きたい道以外を歩きたくない自分自身を諦める。ちょっとでも売上を増やすために全力で(時々、手を抜いて)頑張る。結果は、いまこの瞬間には関係ねぇ。

まだ見えぬ結果だけに捕らわれてしまえば、息が詰まる。逃げ道があると思うから本気になれない。全力でやって、それでもダメなら、ダメだと受け入れる。それだけ。考えようが、考えまいが、いつか答えは向こうからやってくる。

僕らに出来ることは、いまを全力でやる。それだけしかないのだと思います。そして、いまを全力で駆け抜けていれば、いつかさざ波と太陽と青い空と森が目に映るのではないかと思っています。

昨日もねぇ。明日もねぇ。今しかねぇ。