美しさの基準

 夕方の収穫をしていたら奥さんと息子達が畑へ散歩に来ました。夕暮れ時、久しぶりに葉物野菜を育てている畑を見た奥さんが『雄ちゃん、畑が美しすぎる。野菜達が本当に気持ち良さそう。』と言ってくれました。

そうなんです。自分で言うのもなんなのですが、今秋の葉っぱ野菜畑は、本当に気持ち良くて美しいのです。

柔らかな冬草が畑全体を覆い、その中から野菜達がピョッコリと顔を出してる。僕の理想としている『野原みたいな畑』にかなり近づいている感じです。

でも、美しさを感じとる基準って、きっと、万人に共通ではないと思います。雑草がめったやたらと生えて虫がたくさんいる。そんな畑など畑とは認めない。そんな考えの人もきっとたくさんいるのです。

ちょうどいま僕が読んでいる本『川漁師 神々しき奥義』と言う本にこんなくだりがありました。

『川岸をコンクリートで固めて、平坦に、均一に、整然と整備した景観に美を感じる人もようけおる。でも、わしら漁師からしたらそんな川はただの大きな排水溝でしかない。』と

川を整備して人間の尺度での美しさを得る。その一方で産卵場を奪われ、餌場を奪われ、微生物が死に、それらを餌にしていた小魚が死に、小魚を食べていた水鳥りや大魚が死に、最後には川が死ぬ。

きっと美の尺度は人と野菜では違うのじゃないかなぁと僕は思います。

野原のなかでたくさんの友達に囲まれて育つ野菜達が僕はとても美しいと感じています。例え、虫食い穴があったとしてもね。