イライラの理由

 外は寒い北風が吹いて、小雨がパラついています。こんな日は危急の仕事でもない限りは暖かいビニールハウスでの仕事に限ります。

先日刈り取ってハウスに運び入れておいた小豆の鞘取りをしています。晩成の大納言小豆は、ここ信濃町では登熟に少し時間が足りなくて(霜が降りる。)、すべての鞘が完熟になりません。それで小豆枝から完熟鞘だけを取ります。

非常に手間がかかります。まぁ、アホの所業です。

昨日は奥さんとその友人達がおしゃべりがてら、鞘取りをしてくれていました。そのお礼にと畑の野菜をいくつか渡しました。と、その時、畑に捨ててあるコカブを拾っているのです。勿体ない。からと

まだ、全然食べられる。でも、農家の気持ちとしては『美味しい野菜を、美味しいタイミングで食べて欲しい。』それが一番の願いです。だから、ちゃんと畑から抜いたピカピカのコカブを食べてもらいたいのです。こう言う事は時々あります。捨てられる野菜を皆さん勿体ないと思ってしまうのですね。気持ちはわかります。間違えてもいません。

でーも、正直な話、僕はイラっとしてしまいます。

キズ物もハンパ物も採れた野菜全部が人の口に入ればそれに越したことはない。そんな事は勿論わかっています。わかっていても、そこまで手が回らないのが現実です。労働効率の悪いモノはある程度切らないと普通の仕事すらままなりません。それでも不効率だけれども廃棄する野菜が少しでも減るようにと努力もしています。(りんもく舎は、畑の野菜の9割を人の口まで届けています。専業農家でこの割合はかなり高いと自負しています。)

先日もお米の脱穀をしていた時に来ていた知り合いが落ちている稲穂(落ち穂)を拾って『勿体ないよ。』と…

正直『またか』と思いました。

『拾いたければ拾えばいいよ。それに落ち穂は、鳥や鼠の取り分だから』そう言いながら、このイライラの原因を考えていました。(畑に捨てられた野菜も来年の肥料になります。ちゃんと循環するようになってます。)

農薬と化成肥料が現れるまで人の労働の大部分は食料の生産に費やされていました。江戸時代、全人口の7割は農民でした。時代が進み化成肥料と農薬と機械化のお陰で重労働な食料生産から手が離れ、それぞれが自分の好む、別の仕事につけるようになったのです。

そうやって一次産業から離れたスマートな人たちが『やっぱり有機栽培だよね。農薬なんて要らないよね。』と言います。りんもく舎は僕のワガママで自然農、有機栽培をしています。それでも同じ農家として、安易に農薬の使用を批判されると腹が立ちます。『農薬を使おうが、化成肥料を使おうが、機械化しようが、それでも、めちゃくちゃ厳しくて見返りの少ない仕事をしてんだぞ!あんたらが食べるものを育てるためにな!』って怒りがわいてきます。

じぶんの手を泥で汚さない人が、地に這いつくばり泥にまみれた人に『もったいない。』と追い討ちをかけます。だから、ぼくはイラっとします。

例え、それが見当ハズレだとはわかっていてもね。