謙虚と敬意

 前日の白菜に続き今日は大根とキャベツの雪下貯蔵を進めました。と言っても畑のすべてを、と言う訳ではなくて半分くらいを貯蔵しました。残りは天候を見て順次進めていく予定です。(急に寒くなった時の為に、保険をかけかけです。)

僕が有機農家になる切っ掛けを与えてくれたのはヒッピー時代の友人でした。彼が京都で自然栽培をしていて、その畑がとてつもなく衝撃的だったんです。なんと言うか生命力に満ちた場所で畑と言うより熱帯雨林ジャングルみたいな所でした。

そのパワーに憧れて、自分でも土をいじるようになりました。

友人には直接教えを乞うた訳ではないのですが、畑について迷った時など相談したりもしました。でも、言葉よりもじぶんのなかにある『あの畑の記憶』が、農家をする上でとても重要な部分を占めています。

ぼくよりもだいぶ先を歩いていた友人の言葉の数々は、随分時が経ってから突然『あ~、そう言う意味だったのか。』とわかり始める事が多くあります。

ある時、友人が『自然に対する敬意と尊敬の念がなければ、自然農自体が成り立たない。』と言いました。その時は、なんとなく判ったような気がしていました。

それから月日が流れ、僕の農家としての技術も知識も増えました。結構な数の人が見学や冷やかしに、教えを乞いに、僕の畑に来ます。自分で言うのもなんだけど、結構田畑はうまくいってます。天狗になりそうな時、友人の言葉を思い返します。

どれだけ天才的な農業センスがあろうが、技術を持とうが『育てているのは太陽と土と水で、育っているのは野菜やお米自身』なんだと。自分が主人みたいな気持ちではダメなんです。あくまでも僕は従なんです。付き従う者なのです。

野菜やお米が育つための手伝いが僕の仕事なんだと思っています。僕が育てている訳じゃない。本心からそう思っています。