農業技術

 前回に引き続き中洞牧場さんの『幸せな牛からおいしい牛乳』のお話。

本を読んでいて『うん、うん。そう、そう』と思う記述がありました。中洞さんいわく酪農技術と言うのは本来は必要のないことなのだ。と

適切な面積で適切な量の牛を飼い、適切な量と質の搾乳をする限りにおいて、酪農の技術はいらない。と 

経済性を重視して狭い面積で過剰な数の牛を飼い、無理をさせて大量の搾乳をする。その結果として、病気などの不備が出てくる。それを補完(隠す)するために技術が必要になってくるのだ。と

本当にそう思います。

農業も利益を上げるために多肥を投入し結果、病気や害虫にやられている。それを補う為に農薬や農業技術が必要となっています。

本来は土と太陽と水と野菜の力を存分に発揮させてあげられる状況を整えて、必要以上に採らない、欲しがらない。そうするだけで農薬も技術も必要なんてないはずなのですよ。

ひとは只 世話をするだけ。

でも、それじゃ儲からない。

たくさん採れなければ野菜の単価はどうしたって高くなる。そうすると売れない。売れないと生活できない。だから、仕方なく、化学肥料と農薬を使う。無理してたくさん採って、薄利多売する。無理して育てれば土は弱る。土台の土が弱れば、弱い野菜しか育てられない。だから、野菜の声を聞かず農業技術でごまかして、さらに肥料と農薬を使う。そんな堂々巡り。

でもさ、農家だけが悪い訳じゃない。霞を食って生きている訳じゃない。

 

ホントなにから手を付けていけばいいかわからない。社会を急におおきく動かすことなんてできない。それはわかってる。でも、できないからこそ、僕はじぶんの思い描く畑や田んぼで野菜やお米を作り続けていきたい。

そして、なんとかかんとか超低空飛行でも生活と再生産を続けていきたい。百姓であり続けたい。

本当にちいさな力。吹けば飛ぶよな、ちいさなちから。

でもさ。そんな馬鹿な農家が日本中にちょっとづづでも増えていけば、いつの日か社会は大きく変わってるかもしれない。それまではがんばる。

つもり