炭鉱のカナリア

 百姓鈴木はその昔ヒッピーをしておりました。10代後半から30歳まで…足かけ10年。永い永い放浪生活。バイクにキャンプ道具を積んでふらふらしながら季節労働(北海道‐鮭、日本アルプス‐山岳警備員、四国‐蜜柑援農、沖縄‐サトウキビなど)をして、幾ばくかのお金を貯めて海外へ。そんな生活を続けていたんですね。

で、なぜか?ぼく以外の有機農家さんにもおなじような経歴のひとがすごく多いのです。元旅人だったり、元協力隊員だったり

なぜなんでしょう?

それぞれが別の生き方をして、求めるものがあって旅に出て(ぼくの場合は求めるものがなくてですが)、見たモノや感じたコト考えた内容は違うはずなのに、おなじような選択をしている。

なぜなんでしょう?

ぼく自身の事で言えば、旅に出たのも農家と言う生き方を選択したのもじぶんで選んだと思っていました。でも、たぶん、社会の大きな流れに乗っているだけなのかも知れません。炭鉱のカナリアみたいなものです。毒ガスがあれば真っ先に死んじゃう立場。敏感なひと。

旅をする人、協力隊に参加した人、共通しているのはじぶんの意思で他と違う選択を過去にしたひとたち。ドロップアウトしたひとたち。違う価値観を感じたひとたち。

路傍の片隅で社会を眺めていたら農家と言う生き方にたどり着いたのでしょうか?そのアンテナがなにかをキャッチしたのでしょうか?

選択と言うものは、じつは社会が求めているのかもしれません。

うまくは説明できませんが