百姓日記


根雪

 天気予報を見ながら『やばそー』と思っていたら予想通り大雪です。この先の気温も低い予報なので、こりゃ根雪確定ですね。まぁ、そんな時期と言えばそんな時期です。

朝から除雪機で雪かき。50センチくらいでしょうか。屋根の上は70センチくらい。最初っから積もりました。外飼いのマメちゃんは雪も気にせず、いつも通りはしゃいでおります。

犬は喜び庭駆け回り、猫は炬燵で丸くなる。

童謡そのままです。

間に合った

 週末からかなり強い寒波が降りてきそうです。寒さが長引きそうなので、このタイミングでまとまった雪が降るととうとう根雪になってしまいそう。と、言うことで畑の冬支度をセッセと進めておりました。

雪下用の野菜はすべて土に埋め。残りは倉庫貯蔵へ。ハウスの天幕を外し、トラクターで起こしました。来春早めに作付する畝にはハンマーナイフモアをかけて野菜屑や雑草を砕き冬の間の分解を促進させます。

パタパタと駆け回ったおかげで、なんとか大まかな冬準備は済みました。よーし。雪よどんと来い❕ですね。

そろそろ

 先日夜半から降りだした雪が少し積もりました。朝の散歩時はかなりの雪化粧でした。日中晴れたので雪はすぐに消えてなくなりましたけど

今週末からかなり強い寒気が下りてくるようで週間天気予報では最低気温-8℃予報が数日続いています。この寒気のタイミングで雪がそこそこ降れば根雪になりそうです。

ヤバい。まだ、ビニールハウスの片付け済んでないや…急がなくては

土を育てる

 間隔をズラして蒔いた秋冬の葉っぱ野菜たちも最後の五回目を収穫しています。五回目は僕のミス、根切り虫の被害などが重なり発芽.成育率がかなり悪い。あんまり採れなさそうです。

今冬収穫葉物はそろそろ終わりですが、畑の一角に来春用のとうたち系葉物を育てています。種類は、冬菜、雪菜、コウサイタイ、とうたちチンゲン菜などです。

徒長しやすいコウサイタイなどは勘違いして少し菜花を咲かせています。

小豆

 小豆の粗選別が終りました。疲れた~&大変でした。粗選別の済んだ小豆を、今度は本選別して製品にします。これまた手間がかかります。

木のトレー(素麺の入っていた桐箱の蓋がベスト、これが壊れたらどーしよーと心配しています。)に小豆を広げて、転がしながら虫食いや未熟豆を、手作業で拾っていきます。めちゃ手間ですが、作業としては嫌いじゃない。なんか、無心でやれるのですよね。

囲炉裏側のおじいちゃん気分でボチボチと進めます。

うっすら

 前日の昼前からみぞれ混じりの雪が降ったり止んだり。寒い。夜眠る前に窓から外を見ると重そうな雪が降っていました。翌朝起きると田畑は、うっすらと雪が積もっています。

我が家から見える北信五岳 黒姫、妙高、戸隠、斑尾、飯綱 はきれいに雪化粧。もう、冬ですね。

根雪になる前に、はやく田畑の片付けを済ませてしまわなければ

謙虚と敬意

 前日の白菜に続き今日は大根とキャベツの雪下貯蔵を進めました。と言っても畑のすべてを、と言う訳ではなくて半分くらいを貯蔵しました。残りは天候を見て順次進めていく予定です。(急に寒くなった時の為に、保険をかけかけです。)

僕が有機農家になる切っ掛けを与えてくれたのはヒッピー時代の友人でした。彼が京都で自然栽培をしていて、その畑がとてつもなく衝撃的だったんです。なんと言うか生命力に満ちた場所で畑と言うより熱帯雨林ジャングルみたいな所でした。

そのパワーに憧れて、自分でも土をいじるようになりました。

友人には直接教えを乞うた訳ではないのですが、畑について迷った時など相談したりもしました。でも、言葉よりもじぶんのなかにある『あの畑の記憶』が、農家をする上でとても重要な部分を占めています。

ぼくよりもだいぶ先を歩いていた友人の言葉の数々は、随分時が経ってから突然『あ~、そう言う意味だったのか。』とわかり始める事が多くあります。

ある時、友人が『自然に対する敬意と尊敬の念がなければ、自然農自体が成り立たない。』と言いました。その時は、なんとなく判ったような気がしていました。

それから月日が流れ、僕の農家としての技術も知識も増えました。結構な数の人が見学や冷やかしに、教えを乞いに、僕の畑に来ます。自分で言うのもなんだけど、結構田畑はうまくいってます。天狗になりそうな時、友人の言葉を思い返します。

どれだけ天才的な農業センスがあろうが、技術を持とうが『育てているのは太陽と土と水で、育っているのは野菜やお米自身』なんだと。自分が主人みたいな気持ちではダメなんです。あくまでも僕は従なんです。付き従う者なのです。

野菜やお米が育つための手伝いが僕の仕事なんだと思っています。僕が育てている訳じゃない。本心からそう思っています。

 

変態がふたり

 家から車で五分の所に同期就農の有機農家がいます。同期ってだけでもすごいコトなのに、ふたりとも少数派の有機栽培農家なのです。神の采配なのでは?と、本気で思ってしまうくらいお互いの足りない部分を補っています。彼がいなかったら今頃どうしていたのか?想像がつかないくらい、物理的にも精神的にもお互いで助け合っています。ゲイップルみたいな発言ですが(笑)

今年は彼の畑の白菜が調子が良くなくて、雪中用に我が家の余剰白菜を回すことにしました。

白菜の収穫前、ふたりして白菜の株元の土を触りながら話をしました。『この草の枯れた感じとか、団粒構造とか、いいよねぇ。』と僕。『スゴイ!ですね。最高っすねぇ。』と彼。

白菜の収穫中、根っこについた土を見て『この根張りと菌糸の感じ、すごくない?』と僕。『こっちの根っこなんて茸生えてますよ❗なんじゃこりゃ。』と彼。白菜はソッチノケで、興味を持つのは根っこの方、土の方です。まぁ、他人から見たら変人です。

で、彼が帰ったあと、僕はなんかモヤモヤした気持ちに。彼に白菜をあげたのは全然構わない。むしろ、役に立てて嬉しい気分。モヤモヤしているのは白菜の根っこについた土(雪下貯蔵は根っこを付けたままで土中に埋めます。)の方。

土を持っていかれたことが、なんか、財産を奪われたような気分になってるんです。『上物はどうでもいい。土が…7年育ったうちの土が…』そんな気分なんです。って言っても、全部集めても一輪車一台分くらいの微々たる量なんですけどね。

普通の人なら白菜の方に気持ちが持っていかれるハズなのに、変態の僕は土の方なんです。それがなんか笑えたし、いいなぁと思いました。

で、翌日彼に会ったときに『白菜より土の方が略奪された気分になっちゃったよ~』と言うと、『僕は、なんかシメシメって思ってましたよ~。』って、返されました。軽トラの荷台にこぼれた土を集めて、畑に入れたらしいです。

彼も変態でした。

二匹の変態農家ですね。

鮭遡上

 午後から雨予報。そのつもりで午前中いっぱい雪下野菜の準備を進めていました。昼前、空は晴天です。雨降るのか?今日は午前中だけ働く気でいたので午後は家族揃って新潟へ『鮭の遡上』を観に行くことにしました。

鮭の遡上観覧は我が家の恒例行事です。家から一時間半。上越市の桑取川へ。橋の上から見ると川には大量の鮭がいました。白いカビが生えた身体で本能に従って、流れを逆流する鮭達。

息子は『いま、一番大切な時なんだよね。』と図鑑で読んだ知識を眼前にして黙って川面を見つめています。命を繋ぐ。その為に泳ぎ続ける鮭達に今年もパワーをいただきました。

帰る前に漁協に寄り筋子を三腹分買いました。3000円。安い❗

帰ったらバラして醤油漬けにします。

雪下野菜

 穏やかな気候も昨日まで週間天気予報でも今週末からマイナス予報が続いています。今年から冬場の雪下野菜にもチャレンジしようと思っていて、雪下用の野菜をたくさん作付けしました。

雪下野菜にもいくつか種類があって、畑に植えたまま雪の下から掘り出すタイプ。収穫した野菜を積んでおいて、コモなどで防寒対策をして雪に埋めるタイプ。それから土を掘って野菜を埋めてしまうタイプなどがあります。

りんもく舎では、人参とコカブは植えたまま、キャベツ、白菜、大根は土中保存をしようと思っています。手間の面から考えると野積みするのが一番楽なのですが、信濃町の冬は寒さがハンパなく厳しいので、地上だとどれだけ防寒しても凍みてしまいます。なので土中保存です。

とりあえず、下準備にと、野菜たちを埋める溝を土寄せ機で掘っています。

お歳暮

 ここのところ天気が良くて、野良仕事がはかどります。陽気がいい。を通り越して、昨日など蒸し暑く感じるくらいでした。ちょっと気持ち悪い。今日からはガクンと気温が落ちてきました。暖かな気温に慣れてしまっていて、実際以上に寒く感じます。

午後いっぱい お米の籾すりをしました。我が家にある籾すり機は最小サイズなので時間がかかります。& ずっと傍につてないといけない。

すり上がったお米は、コイン精米所に持ち込んで白米にしました。お客さんからの注文分と我が家のお歳暮分、合計150㎏くらい。箱詰めして発送したり、近所の人には手渡ししたりしました。

『今年も一年がんばりましたよ。』そんな気持ちと共に、お歳暮です。

人間基準

 天気が良くて暖かいと野良仕事がはかどります。今日も朝からゴリゴリ進めました。

ケールを育てていた畝の防虫ネットを外して、支柱を抜き束ねる。ついでに蔓豆の支柱も外す。枯れた雑草をハンマーナイフモアでガシガシと砕く。ついでに向かいの畑の葉っぱ野菜を育てていた畝の雑草も砕く。

フト手を止めて、考える。

『こっちは、刈らなくてもいいんじゃないかな?』と、思いました。

りんもく舎の畑は草生栽培と言って、雑草と野菜を一緒に育てています。別に雑草を刈るのが面倒臭くてそうしている訳ではなくて、雑草が生える事で土を肥沃にして、野菜が勝手に育つ環境を育てているのです。

草刈りをするとはスッキリした気分になります。刈り揃えられた芝生が美しく感じるように、コンクリートで固められた川の護岸に秩序を感じるように、掃除した部屋に安堵を感じるように、人は整えられた環境に安心感と満足感を得ます。

自然農を志している僕にも、そう言う人間ならではの感覚がない訳ではありません。野菜が負けないように雑草の制御をしなければならない時にも、やり過ぎないように意識的に気をつけています。

調和のとれた自然は、パッと見 複雑にカオスのように見えるものです。本当の意味では、整っているのだけれど、人の目にはそうは見えません。

葉っぱ野菜を育てていた畝には、来年はナス科野菜を植える予定です。植え付けらは5月の下旬。だから別にいま草を刈っておく必要はありません。むしろ、やさしい冬草が土を覆うことで環境は安定して、土壌生物の棲みやすい状態を保ってくれます。

刈り揃えた草に満足する僕の感情よりも安定した状態で循環させておくほうが野菜にとっても良いはずです。

人の感覚は疑ってかからなきゃいけない。いつも、そう言い聞かせているのに自分本意になっておりました。

2020田んぼ

 ここ数日11月とは思えないくらいの穏やかでポカポカの日が続いています。野良仕事がはかどります。

今日は青空の下 田んぼの秋起こしをしました。三月下旬の塩水選&温水消毒から始まった今シーズンの田んぼ仕事もこれにてお仕舞いです。

今年は道中の天候不順が甚だしかったのだけれど、終わってみれば豊作でした。例年よりも背丈がかなり高かったのと、稲穂が先端までしっかりと熟していて未熟米が少なかったです。

あと、草取りを二回しか行わなかったのに、記録的に雑草が少なかったです。この田んぼでの稲作も五年目になり土壌残存肥料分が極限まで少なくなった影響かも知れません。

こう言う体験をするとワザワザ肥料を入れて、お米を徒長させて転ばしたり、雑草を繁茂させたりする慣行栽培に疑問符が芽生えます。太陽と水と土が与えてくれる分で満足していたら、自然はずっと穏やかに与え続けてくれるのになぁ。と、再認識をさせてもらえました。

兎に角、田んぼとお米の神さんありがとう。

七五三

 昨日は長男の七五三でお参りに行ってきました。ここら辺の人は、長野市の善光寺や戸隠神社に参るひとも多いのですが、我が家では近くの神社が良かろうと実家の近所の諏訪神社へ行きました。

美容室で袴のレンタルと着付けをお願いして、馬子にも衣装の長男を連れて神社へ。写真を撮ってもらい参拝までの時間を散歩しながら過ごしました。

近頃ヤバいくらいに話を聞かない息子はフラフラしまくり。借り物の袴が汚れてはと奥さんはアタフタしていました。

生まれてから五年。早いなぁ。

『父ちゃん父ちゃん』と鬱陶しいくらいまとわりついてくれるのも、あと少しでしょうか。

ネット上では『このご時世、子供を持つことはリスクでしかない。』だとか『こんな未来のない世の中で子供を育てるのは、子供がかわいそうだ。』などの意見を散見します。

『まあ、確かに』と思わないこともありません。でも、こんな未来のない世の中で、僕と奥さんに未来を見せてくれているのが長男と次男です。彼らの存在が生きる意味を与えてくれます。

我が家に来てくれて、ありがとう。

カチンコチン

 初冬なのに我が家の暖房器具が壊れた。緊急時用の反射式ストーブと実家から借りてきたファンヒーターでなんとか応急対処中です。

そんな状況のなか、今朝の気温は低かった!今年一番の冷え込みでした。霜の降り方から-5℃くらいになってたんじゃないかなぁ。霜が降りた朝は寒いけれど、きれいです。自然の厳しさはうつくしさとおなじですね。

朝イチは霧が出ていたけれど、10時過ぎからは完璧な快晴です。暖かい日差しの下で野良仕事しました。

イライラの理由

 外は寒い北風が吹いて、小雨がパラついています。こんな日は危急の仕事でもない限りは暖かいビニールハウスでの仕事に限ります。

先日刈り取ってハウスに運び入れておいた小豆の鞘取りをしています。晩成の大納言小豆は、ここ信濃町では登熟に少し時間が足りなくて(霜が降りる。)、すべての鞘が完熟になりません。それで小豆枝から完熟鞘だけを取ります。

非常に手間がかかります。まぁ、アホの所業です。

昨日は奥さんとその友人達がおしゃべりがてら、鞘取りをしてくれていました。そのお礼にと畑の野菜をいくつか渡しました。と、その時、畑に捨ててあるコカブを拾っているのです。勿体ない。からと

まだ、全然食べられる。でも、農家の気持ちとしては『美味しい野菜を、美味しいタイミングで食べて欲しい。』それが一番の願いです。だから、ちゃんと畑から抜いたピカピカのコカブを食べてもらいたいのです。こう言う事は時々あります。捨てられる野菜を皆さん勿体ないと思ってしまうのですね。気持ちはわかります。間違えてもいません。

でーも、正直な話、僕はイラっとしてしまいます。

キズ物もハンパ物も採れた野菜全部が人の口に入ればそれに越したことはない。そんな事は勿論わかっています。わかっていても、そこまで手が回らないのが現実です。労働効率の悪いモノはある程度切らないと普通の仕事すらままなりません。それでも不効率だけれども廃棄する野菜が少しでも減るようにと努力もしています。(りんもく舎は、畑の野菜の9割を人の口まで届けています。専業農家でこの割合はかなり高いと自負しています。)

先日もお米の脱穀をしていた時に来ていた知り合いが落ちている稲穂(落ち穂)を拾って『勿体ないよ。』と…

正直『またか』と思いました。

『拾いたければ拾えばいいよ。それに落ち穂は、鳥や鼠の取り分だから』そう言いながら、このイライラの原因を考えていました。(畑に捨てられた野菜も来年の肥料になります。ちゃんと循環するようになってます。)

農薬と化成肥料が現れるまで人の労働の大部分は食料の生産に費やされていました。江戸時代、全人口の7割は農民でした。時代が進み化成肥料と農薬と機械化のお陰で重労働な食料生産から手が離れ、それぞれが自分の好む、別の仕事につけるようになったのです。

そうやって一次産業から離れたスマートな人たちが『やっぱり有機栽培だよね。農薬なんて要らないよね。』と言います。りんもく舎は僕のワガママで自然農、有機栽培をしています。それでも同じ農家として、安易に農薬の使用を批判されると腹が立ちます。『農薬を使おうが、化成肥料を使おうが、機械化しようが、それでも、めちゃくちゃ厳しくて見返りの少ない仕事をしてんだぞ!あんたらが食べるものを育てるためにな!』って怒りがわいてきます。

じぶんの手を泥で汚さない人が、地に這いつくばり泥にまみれた人に『もったいない。』と追い討ちをかけます。だから、ぼくはイラっとします。

例え、それが見当ハズレだとはわかっていてもね。

粉雪、初雪。進歩したのか?進化したのか?

 今朝、粉雪が舞いました。初雪です。11月の10日。ちょっと早いなぁ。まぁ、でも、寝雪になるには、まだ一月はあるでしょう。

昨日は寒さに震えながら畑の片付けを進めました。霜で枯れたナスの支柱を外し、ハンマーナイフモア(草をバラバラにする機械)で茎枝を砕きます。ついでに防風用のソルゴーも砕きました。

畑の景色は一変です。

 先日、有機で稲作をしている4軒の家族で集まって『収穫祭』をしました。大人が8人、子供が7人と大集合です。

4軒のお米を持ち寄り、焚き火&羽根釜で13合分を炊きました。持ち寄った大量のおかずと共に、すべてしっかりとお腹に収まりました。おいしかった。

食後は、子供達は映画を観て、お母さん達は女子会。男共は外で火にあたりながら熱燗を呑みました。

いろんなことを話しました。

そのなかで『人の進化』についての話もしました。友人は『これだけ進化した人ならば、もっとより良い生き方が出来るハズだ。』と言います。

僕の認識とはだいぶ違いました。そもそも『人は進化したのか?進歩したのか?全生物の長が霊長類なのか?』僕には、疑問符だらけです。

『同族から奪い合う。』『同族で殺し合う。』『自らの手で自らの未来を壊し続ける。』これが進化と言うのでしょうか?

僕には、人が進化の最終形態だとは思えません。万物の長だとも思えません。むしろ、すべての生物の赤子が人なのではないか?と思っています。

赤ちゃんだから、皆はわがままを赦してくれている。他の生命の包容で、なんとか人は生きている。と考えています。

近頃は、その包容も限界に達してきて『そろそろ大人になってよ!』って、言われていますけどね。

世界に対する認識は、人それぞれです。誰かが間違いで、誰かが正しい訳でもないでしょう。僕は農家だから自分の力を過信していません。どんなにがんばっても、僕の指先にお米は実りません。それが現実です。

自然と言うゆりかごの上で、太陽や土や水やお米に養われている。それが農家です。

 

二匹と七匹

 仕事終わりに冷えた身体を温めようと近所の温泉に家族で出かけました。二歳になった次男がやっと父ちゃんと兄ちゃんと一緒にお風呂に入れるようになったので、普段一時も休まることのない奥さんにひとりでゆっくりお湯に浸かってもらうことにしました。

服を脱いで湯船に浸かるまではいい。ひっくり返らないようにだけ注意して、お兄ちゃんと遊ばせる。周りの人に迷惑がかからない程度に、はしゃぐのは許す。と言うか、そうでもしないとこちらが無理。問題は出るときです。

弟を拭いていると濡れた兄が勝手に脱衣場へ。交代でお兄ちゃんを拭いていると脱衣場で弟が大暴れ。羽交い締めにして服を着せ、離すと床で転げ回る。兄も弟も…疲れる。飼い犬の方が、余程言うことを聞きます。

帰り道、山裾の森のなかを走る町道を走っていると道路の真ん中にでっかい猪が居ました。まだ、縞模様全開のうり坊を6、7匹連れているお母さんです。丸々と太った母ちゃんは、貫禄たっぷりで80㎏くらいはありそうです。(僕は4年間猟師をしていたので、目測でだいたいの重さがわかります。)

この時期に、あのサイズのうり坊を連れているとは…たぶん、出産時期が遅かったのでしょう。これから寒くなるから子供たちが冬を越せるのか心配になります。

まぁ、でも、あの貫禄たっぷりのお母さんのことです。ちび達も恐らく一匹の欠員も出さずにここまで育てているのですから、きっと大丈夫でしょう。二匹のチビにあたふたとしている僕よりも彼女の方が立派にみえました。

畑や田んぼを荒らす猪。『この野郎💢』と思わせられた事も多々あります。それでも、あの親子が無事に冬を越せることを祈っちゃう。人間の不思議なところです。

家のすぐ近くにリアルな野生が残っていて、それがなんだか嬉しく思えた出来事でした。

お疲れさまです。

 乾燥が甘くて遅れ遅れになっていたお米の脱穀がやっと終わりました。

反収は7俵弱くらいです。思いの外、豊作の年となりました。今年の稲は、例年よりも背丈が高くてコシヒカリなどは、ちょっとビックリするくらいでした。こりゃ、倒臥する田んぼが多かったのがよくわかります。

稲を干す足場を解体して、畑で使う以外の藁を藁カッターで裁断して田んぼに戻します。あとはトラクターで秋起こしをすれば、今年の田んぼ仕事も終わりになります。田んぼとお米と、ついでに僕にも『ありがとう』と『お疲れさまでした。』

 

 先日、ちょっと必要になり昔の写真をひっくり返しました。久しぶりに観る昔の写真は、なんだか笑けてきました。マーシー(田代まさしではありません。ブルーハーツの真島昌利です。)に憧れていた10代の僕は、ビリビリのジーンズにバンダナを巻いて、完全にアホの格好をしていました(笑)。

ひとに歴史あり、ですね。

15才。『なにかをしたいけど、なにをしたいかがわからない』年頃の僕は、夏の終わりに北海道へ旅に出ました。二泊の船旅、小樽と札幌に二泊して、また戻っただけの訳のわからんショートトリップ。

小樽のビジネスホテルでの夜。なんか、なにかが起きるのではないかとドキドキしてた。『なにか変わりそうで眠れない夜』でした。

なーんにもなかった。なーんにも変わらなかった。でも、あの意味のない小旅行が18才から12年間続く放浪人生への第一歩だったんですね。そして、その放浪はいまの僕にも繋がっています。

世界は変わる。ゆっくり徐々に少しずつ

なにか変わりそうで眠れない夜。君の胸は明日張り裂けるだろ。諦めるなんて、死ぬまでないから

マーシーが歌ってた通りだったね。

真っ白

 夜明け前に起き出して台所で玄米珈琲を飲む。『寒っ❗』

今年一番の冷え込みです。

外が明るくなり始めてから散歩と畑の見廻りへ。一面 霜が降りて真っ白です。稜線から登り始めた朝日に照らされて、霜がキラキラと輝いています。きれいです。

放射冷却でがっつり霜が降りた日は、素晴らしい快晴になります。空は澄んで高く、遠く雪を戴いた妙高山が美しいです。

さーて、今日はなんの仕事を進めるかな。