いただきます

 先日、五泊六日の日程で淡路島の友人宅へ行ってきました。20代前半に沖縄八重山の離島で出会い、以来四半世紀のながい付き合いのつづく親友でもあり自然農の師匠でもあります。黒姫に越してくるまえの数年間、京都金閣寺裏にある九龍城みたいな違法建築風のおなじボロアパートに住んでいました。

当時のぼくは10年以上に及ぶヒッピー生活に疲れ果て、かと言って社会生活にも馴染めずにアパートを拠点に北に上ったり南に下ったりしながら無為な日々を過ごしていました。そのアパートに住んでいた三年間、猟期にあたる冬のあいだは彼と一緒に罠猟師をして、京都近郊の山々を練り歩いていました。(当時の猟果は、互いに五分五分)

縁あって、ぼくは長野へ彼は淡路島へと移住します。雪深い長野黒姫ではくくり罠による猟は物理的に無理なこともあり、また原発事故の影響を考えてもここで猟師を続ける選択肢は、ぼくにはなくなりました。彼の方は、淡路島でも益々と猟に嵌り、解体技術ふくめて猟師として年々レベルアップを続けます。毎年送られてくる大量の猪肉の質の高さからもそれは容易に感じることができました。

 冬野菜の出荷が粗方終わった先日、不意に“ひさしぶりに命と向き合いたい”とおもいました。で、冒頭の淡路島遠征につながります。到着前日、師匠からLINEがあり“子猪が捕れたから生捕りにしておいた。着いたら捌け”と。再会の挨拶もソコソコに師匠のお宅へ、庭先に目隠しをして、手脚を縛って転がっている猪の元へ。20kgくらいのかわいい当才(一歳未満)の牡です。毛皮に手を置くと脈動と体温を感じます。

鶏は何羽も〆ていますが四足獣は14年振り、心のなかに一瞬の躊躇が浮かびます。息を吸い、こころを落ち着かせて喉元から一気にナイフを突き刺す、胸骨裏の動脈を探って切り抜く、一息にトドメが刺せない、ぼくの躊躇がイタズラに猪を苦しめてしまった。命の息吹が消えたあとで後悔の念がうまれる。“もっとうまく殺せたハズなのに”

毛皮を湯剥きして、内蔵を取り出し(ひさしぶりすぎて手順がわからない)四肢を切り離す。リンパを取り除き、骨から肉を外す、余分な脂や罠がかかって傷んだ左脚を整形して、骨と残滓は煮込んで犬の餌へ。14年ぶりの猪の解体は、おもった以上に時間がかかったし手順もめちゃくちゃ、情けなさばかりが残る。

“滞在中にもう一頭、ちゃんと屠殺して解体したい”

どうかもう一度チャンスを下さい、と初日を終える。