絶望の国

 元々『国』には期待をしていない。政治的な立ち位置で言えば『アナキスト』そんな僕です。

資本主義の末路、国家の衰退 随分と昔に、そんな流れに気がついていました。だから、自衛の手段として、自給自足を始めました。外部からの資源(エネルギーや農薬や肥料)に頼りきる怖さを思い『自然農』を志向しました。

そんな僕ですら、近頃のこの国の有り様に絶望を感じてしまいます。

『知らない』『記憶にない』

これは、まぁ昔から政治家の慣用句。そんなに驚かない。

今は、証拠を突きつけられても強弁で押し切る。末端を切り捨てる。嘘もごり押しすれば通ってしまう。嘘に合わせて事実や正義が簡単に歪められてしまう。

驚くような事の連続で、政治家もマスコミも国民も情報に麻痺してる。

事実上 破綻した年金問題も『不都合だから報告書を受理しない。』で終わらせちゃう。受理しないからと言って事実は変わらないよ。選挙に都合が悪いからと日米交渉の合意事項は『選挙後に公表する』と、平気でのたまう。

これ、裏情報でもなんでもない新聞に書かれている内容なのですよ。

なによりも絶望を強くするのは『そんな政権を支持する国民が過半数いる。』と言う事実です。

考えることを止めた国民が6割。

戦後70年。ここに『完璧な奴隷が生まれました。』

未来が音をたてて崩れて行く。それが今現在であり、絶望の正体なんです。人は希望さえあれば、泥水をすすってでも生きていける。希望のない絶望の国で、どうやって生きていくのですか?

なんてこった。