百姓建築8 息子

 建築中の倉庫の屋根をかけ終えたら『これでとりあえず雨は凌げるな』と、一安心してしまい一週間以上そのまま放置。その間、田畑の片付けをぼちぼちとしておりました。そして、昨日からやっと外壁の作業に取り掛かりました。

材木屋で数年間放置されていた野地板を格安にて譲り受け、規格寸法通り板を貼り付けられる部分はバンバンと一気に作業を進めました。一日半で扉面以外の三方外壁の板を張り付け終え、奥さんに『早!アッと言う間だね!』と…

『せやねん。素人はパッと見た目判断やねん。面倒臭くて、時間がかかるのはここからやねん。』

その目測通り、軒や梁材周辺は木材の加工がたいへんで一気にペースダウン。作業をしていると保育園が休みの息子が木っ端を手に持ち、近くでなにやら必死に工作をしています。

父ちゃんはウンウン唸りながら、息子はキャッキャしながら

そんな二人で時間を過ごしていると息子が『お父ちゃん見て見て 透太も小屋作ったの』と

そこには立派な小屋が建っていました。

『透太ね。いろいろ考えて作ったの!窓は500個あるんだよ。』って、得意顔の息子。

 

 『出来る事』と『出来ない事』の線引きをするのは、いつだって自分自身なのだ。って、ぼくは思っています。大工じゃないから家を建てられない。車屋じゃないからエンジンをバラせない。農家じゃないから野菜を育てられない。官僚と政治家しか社会の問題に取り組んじゃいけない。

社会の役割分担が細分化して、専門家以外には手が出せない。って、思いこまされてないか?そんなこと全然ないからね。

好奇心を持って、興味を持っていれば、自分の力でなんだってできる勿論、最初からうまくいくわけはない。それでも、たくさん失敗してもやり続けていけば、なんだってできるようになる。父ちゃんはそう思ってる。

たくさんの好奇心を持ち、いろんなことに興味を持って、『なんくるないさぁ。なんだってできるさぁ!』 そんな息子になって欲しいなぁと、父ちゃんは思っています。

知識は過去の経験。知恵は未来への力。