百姓日記


ハウス野菜

 3月末に播種した葉物野菜がずいぶんと大きくなってきました。成育の早い小松菜などは、あと一週間くらいで食べ頃になりそうです。

温度が高く、安定した状況で育てているのでハウスの野菜は見た目も味も素直になります。路地物に比べておとなしくて野菜の顔は余り覗いてきません。それを良しとするか、風味が足りないと思うかは、ひとそれぞれですかね。

間口5m奥行き25mのハウスは、春先は野菜やお米の育苗に使い、その後はトマトを育てています。三列ある畝の余っている一本で春先のみ葉物野菜を育てています。大した量もないので、ほぼほぼ自家消費用にしています。

今年は雪解けが早くてとうたち菜がはやめに切り上がりました。路地物の収穫が始まる五月下旬までは、ハウス野菜は我が家の貴重な生鮮野菜になります。

 

鉢上げ

 7日に腹巻き催芽をはじめて、14日に箱蒔きしておいたトマトとナスの一部を鉢上げしました。発芽率は、まぁ、例年並みでしょうか。あとは五月末の定植まで40日くらいポリポッドで育苗します。

夏野菜の育苗って、結構手間がかかります。家庭菜園なら苗を買ってきた方が手間が省けます。そもそも苗を作るよりも種を畑に直蒔きした方が健全な株に育ちます。では、なぜ?そうしないのか?と言うと、種が高く無駄蒔き出来ない。あと、ここら辺の高原性の気候では高温性夏野菜の直蒔きが可能になる時期が遅すぎて(5月上旬くらい)、収穫期間がものすごく短くなる。からです。

自然の摂理に逆らうやり方で『どーなんかなぁ』と思いつつ矛盾のなかに譲れる部分と許して貰える部分を探しながら農家をやっております。

とりあえず、元気に育ってください。(GW過ぎまでは遅霜の恐れがあります。)

筋蒔き

 3月末に塩水選(塩を入れた水に籾を浸けて、比重で種籾を選別する方法)と温水消毒(60℃くらいの温水に種籾を浸けて、熱で病原菌を殺菌するやり方)をして、そのまま小川に三週間浸水。

たっぷりと水を含んだ種籾を湯上がり後のお風呂に二晩浸して、催芽させます。鳩胸状にパンパンに膨らんで、すこし根が出た種籾を、やっと今日育苗箱に筋蒔きをしました。

積み上げた育苗箱を2、3日 ブルーシートで覆って芽だしが揃ったらプールに移します。五月末の田植えまで順調に育って下さい。

定植

 雨の切れ間を狙って3月27日に、は種育苗していたスティックセニョール(茎ブロッコリー)を定植しました。根っこさえついてしまえばキャベツの仲間は寒さに強いので、まだ霜の下りる危険性があっても降雨前に定植すれば大丈夫です。

同時期には種したその他のキャベツ類(キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、ケールなど)とレタス類(レタス、サニーレタス)なども明日定植する予定です。

4月も半ばを過ぎて、野良仕事が本格化してきました。稲の筋蒔きや夏野菜の鉢上げ、定植準備などなど やることがたくさんあります。

季節の移り変わりを感じます。

そー言えば、信濃町の桜も数日前から咲きだしました。例年よりも10日から2週間くらい早い感じですね。

味噌つくり1

 今日から毎春恒例の味噌造りです。一番忙しい最終日(三日目)は応援が来てくれますが、初日、二日目はりんもく舎夫婦のみでの作業となります。初日の今日はお米を蒸して、麹つけして、発酵器で麹を作ります。奥さんの体調が余りよくないので麹つけまでは、ぼく一人での作業になります。

味噌造りは、結構待ち時間があります。一日浸水させたお米の水切りに一時間半。蒸しに一時間強。その間、やることがありません。そこで黒豆の選別をして時間を潰しています。本当は冬の間に終わらせておく仕事なんですけどね。

残り30㎏くらいの粗より豆があります。手間かかるなぁ。

四ヶ月

 昨日の晩御飯は『広島風お好み焼き』でした。お好み焼きは数少ないお父ちゃん専任のご飯です。大阪風(普通の)も作りますが、家族に人気なのは広島風です。キャベツがなかったので最後に一玉残っていた白菜を使いました。(お好み焼きはキャベツの他、白菜でも可。なんならもやしでもOKです。)

白菜を収穫したのは去年の11月末。土に埋めて雪下貯蔵をしていました。雪がなくなったので3月上旬に掘り出して、倉庫で保存。収穫してから丸々四ヶ月過ぎた白菜ですが、やや傷みの出た外葉を剥けば、ほぼ問題ない品質です。(水分が抜けて少し萎れてますけどね。)

四ヶ月前の野菜がまだ食べれるなんて。りんもく舎の農業に自信が持てます。(自画自賛)

 

後輩気分

 18歳からヒッピー生活を送り、勿論その頃は誰よりも若くてお子ちゃま気分、後輩気質でした。精神的に未熟なので結構大人になっても下っぱ気分が抜けません。しかーし、40歳を越えて数年。近頃出会うのは、だいたい年下。

普通に気軽な会話をしていて『おー、俺のほうがだいぶ大人なのに、こんな程度の話しかできなくてすまん。』と思うことシバシバです。すごく立派な農家さんだなぁと思っていたら同い年だったり…なんで?僕には貫禄が出てこないのだろう(涙)。

先日も27歳の子と話をしました。子供の頃は27歳と言えば十分大人に感じていました。27歳当時の自分もそこそこ大人だと思っていました。でもね。40オーバーのおっさんには、若いし青い(悪い意味じゃなくてね。)です。

たぶん、10年後のじぶんも44歳を見て『若いし青いなぁ』と思うものなのでしょう。精神年齢が実年齢を追い越す時は来るのかなぁ?でも、それはそれでなんかやだ。

出来れば、一生バカで青くて臭くて純粋な中学生(レベル)くらいでいたいです。

坐骨神経痛

 穏やかだった三月から一転して、肌寒い日が続いている四月です。まぁ、そーよね。あのままスンナリいくはずないよね。黒姫では、これで普通です。

7日にトマト類の催芽をしました。濡れたキッチンペーパーに種を包んで、ジップロックにいれてから腹巻きに突っ込んで体温で温めます。種が割れ根っこが出てくるまでの数日間。親鳥気分を味わいます。健やかに催芽しておくれよー。

菌床堆肥を畑に運んでから数日間腰痛が激しくなりました。腰の痛みが少し引いたと思ったら今度は臀部から太股、ふくらはぎにかけてピリピリとした痛みが…坐骨神経痛?

身体が資本の農家なので歳だしもう少し労らないとダメですね~。

 

花冷え

 近頃穏やかだった気候が嘘のように昨日、今日と冷え込みました。花冷えって奴ですかね。体感温度は相対的なものなので真冬は-3℃でも『今日は暖かいなぁ』なんて思っていたのに、一度暖かさを感じたあとでは+2、3℃でも寒ーく感じます。年を取ると寒さに弱くなった気もします。

幸い順調に野良仕事が進んでいるので、昨日、今日と室内で確定申告をやっていました。なんとか終了です。疲れた。

そろそろ夏野菜の芽だしをしないといけません。シーズンが始まるとホント時間の進め方がはやくなります。

 

納豆

 畑から出たモノは極力畑に戻したい。常々、そう考えています。正直、おなじ肥料分を施肥するならば外部から買った方が余程楽なんです。けれど、これはもう気分の問題なのです。その土地から出たモノをその土地に戻す。ただ、それだけで僕の気分が良いんです。効率だけを考えるなら農家なんてやってないですから!コンビニでレジ打ってる方が余程楽で儲かります(笑)。

毎年、休耕中の田んぼで乾豆を育てています。青大豆と黒豆と小豆。昨年は、総量で200㎏くらいになりました。それを冬の間に選別して出荷しています。選別する時に出たクズ豆が20㎏くらい。いつもはそのまま畑の畝に撒いたり、籾殻燻炭を作るときに一緒に炭にして畑に戻したりしていました。

今年は、そのクズ豆で納豆を造ってみる事にしました。まずはボカシ(有機物を発酵させた肥料=菌の塊)を仕込み、ボカシの上に稲藁を敷いてから煮て軟らかくした豆を置いて、更に稲藁を被せて最後に毛布をかけます。

ボカシの発酵熱を熱源にして稲藁に棲む枯草菌(バチルス)を活性化させて大豆に食いつかせて納豆化。僕の目論見が正しければ4、5日後にはネバネバしてくる予定です。ちょっと楽しみ。

出来上がった納豆は、ボカシと一緒に畑に鋤き込む予定です。(枯草菌は土壌微生物を活性化させる力があります。)

さーて、どうなるかなぁ

 

菌マンション

 暖かで穏やかな気候のお陰で野良仕事がはかどっています。このままのペースで余裕を持って一年過ごせればいいなぁと思う今日この頃です。

天気が良いと人間の方の負担は少なくて良いのですが太陽がギラギラしているとやれない仕事も結構あります。畑に元肥を入れたり、根っこや枯れた茎葉などの残滓を鋤き込む為の耕起もそのひとつです。

自然農では、畑に棲む菌をどれだけ増やせるか。が、とても重要になります。土のなかに棲む微生物(菌や細菌など)は、それぞれの特性に添って、地表に近い所や深い所、含水分量の多少でそれぞれが住み分けをしています。土のなかに微生物のマンションがあるみたいな感じですかね。

トラクターや管理機で土を起こすと、そのマンションを破壊してしまう事になります。りんもく舎では自給自足用に野菜を育てていた時は、マンションを破壊しないように不耕起栽培をしていました。

ただ不耕起栽培には、いちいち手間がかかるのです。手間をかければ、野菜の単価が上がります。でも、りんもく舎は選ばれた人にしか手に取れない野菜を育てたい訳ではありません。そこで畑と野菜と協議しながら落とし処の折衷案を模索しています。

そのひとつが畑全面を起こさず畝の一部だけを起こす『部分耕起』をしています。畝肩と通路のマンションを残し、微生物が水平移動することで壊れたマンションへの再入居しやすい状況を作る訳です。(ちょっと説明が難しいですね。)

合わせて、土を起こすタイミングにも配慮をします。適度に水分がないと菌は弱りますし、湿りすぎていると土が固く絞まってしまい好気性菌が死んでしまいます。それに太陽光の紫外線は、医療用の殺菌装置があることからもよくわかるように菌にとってはかなりの脅威になります。

そんな、こんなを計算しながら天気予報と土壌状態と作業手順をグルグル考えながらの毎日です。

 

 

始動

 三月とは思えない暖かで安定した気温の毎日です。去年12月頃からずっも季節が一月前倒しになったような天候です。なんだか不安な気分になります。

先週は友人と義父に手伝ってもらってハウスの天幕を張りました。屋根が出来たので、早速ボカシ(有機物を発酵させた堆肥)を仕込み、春作用のキャベツやレタス類の育苗をしました。

雪下野菜を育てていた畑をトラクターで起こして、緑肥(有機物量の多い植物を育ててから畑に鋤き込んで肥料にします。)用の麦を蒔きました。それからハウス内に自家用の葉物野菜を蒔き、路地に出荷用の葉物野菜を播種しました。

暖かな気候と共に、一気に農家モードに突入です。

手紙とか写真とか

 家の改装で一階にあった荷物を二階に運んでいました。改装が済み荷物を戻すついでに流行りの断捨離(笑)を決行しています。

たくさんある昔の手紙や写真や旅日記を取捨選択しながらスリムにする。10冊弱ある海外旅最中の日記は、表紙を見ただけでお腹いっぱい。中身を見てもないのに恥ずかしさが込み上げてきました。『読むには、まだはやい。』です。あと数十年経って、酸いも甘いも噛み締めた後。余生の楽しみに と、再び段ボールのなかへ戻しました。

次に、手を伸ばしたのは『手紙』

当時の友人からのものもあれば、誰だこれ?な人からの手紙もあり、元恋人からの読むのが恐ろしくて手がつけられないモノなど…全部を開けて再読するには、まだ生々しい感じです。

そーか、人の記憶は10数年(古いもので25年前)では石化しないのですね。女の人の場合は過去の関係はキレイサッパリ消去するみたいですが、女々しいぼくは数十年後の赤面用に半分くらいを残しました。

年代別にバラバラになった写真は、かなり勢いよく廃棄。風景とか、本当にどうでもいい。18歳から十数年 旅をしていた影響もあって、写真の数はかなりあります。そして、当たり前だけれど昔のじぶんは若い❗です。ひさしぶりにたくさんの記憶のなかの人達と写真を通して再会をしました。

人生でひとはどれくらいの出会いをするのでしょうか?どれくらいのひとと会話を交わすのでしょうか?これまでで500人くらいかな?1000人くらいかな?そのなかでいまも交流を持っているひとは、本当にほんの一握りです。殆どのひととは、もう会うことはありません。

みんな、なにしてるのかなぁ?

元気にしているのかなぁ?

そんな事を思いました。『一期一会』って、本当なんですね。歳をとって、言葉の意味に気がつく今日この頃です。

 

魚釣り

 暖かい日が続いています。三月いっぱいはゆっくりしようと思っていたのだけれど、地面が見えちゃうとソワソワして、少しずつ野良仕事を進めています。

トラクターのエンジンオイルとギアオイルを交換して、雪下用野菜を植えていた畑をトラクターで起こしました。緑肥用の麦を蒔く準備をしました。

一昨日は午後から海釣りへ。

2時過ぎに海について防波堤から投げサビキ。幸先良く一投目から尺(30㎝)上の鰺が釣れました。その後も一投一釣のペースで同サイズの良い鰺が釣れました。時々、鯖と鰯も混じります。

都合三時間で鰺30匹くらい。鯖5匹、鰯10匹釣れました❗楽しい。

たくさん釣れて楽しんだあとは、後処理がたいへんです。鱗を落とし、三枚に下ろし、鯵は刺身と干物に。鯖は味噌煮にして、鰯はツミレ汁にしました。

また、行きたいなぁ。

雪融け

 例年よりも三週間ほどはやく雪融けとなりました。10年前にここ信濃町に引っ越してきた頃は、だいたい4月頭に田畑の土が見える。感じだったのですけどね。年々、春の訪れがはやくなっている感じです。

冬のあいだに終わらせたい仕事を一覧表にして書き出しているのですが、まだだいぶ残っています。確定申告も済んでいないし…ヤバイなぁ。

地面の出た畑を犬の散歩がてら見回っています。『ココはなにを植えようか?』そんな事を考えながら、ワクワクしています。さーて、今シーズンはどんな一年になるでしょうか。

百姓建築 収支

 1月からスタートしていた二部屋分の改装がほぼ終了しました。改装箇所は、押し入れ、床の間の撤去。床下断熱。壁の改修(漆喰orパネリング)、フローリング新設と畳の更新。そんなところです。

ぼくが農業を始めた切っ掛けは『そろそろ資本主義も行き詰まるなぁ』と感じていたからです。全うに考えて、有限なこの地球で『膨らみ続けなければ幸せになれないシステム』が永続するなどと思うことこそが、まぁ、幻想だよね。と

お金の価値が徐々に下がり続ける未来は簡単に想像がつきました。その下落速度にぼくの稼ぎが追い付けるのか?甚だ疑問でした。お金を稼ぐ能力がある人は、その方向で戦えばいい。ただ、僕には、その才能はない。だったらたくさんお金を使わなくても生きていける能力を得たい。と思った訳です。

食べ物を買う代わりに、食べ物を育てる。その先に農家と言う生き方がありました。外部からの仕入れが途切れても影響の少ない自然農を選択したのもおなじ考えの先にありました。『食っていれば、とりあえずは死なない。』生活の基本を押さえて、一安心。ただ、それだけじゃ心許ない。生きるための知恵は、どれだけあっても困ることはありません。

百姓とは、百の姓(せい)を持つ人のこと。姓とは、つまり職業のことなのです。農のスペシャリストが農家ならば、ぼくは生活のゼネラリスト 百姓を目指しているのです。なんでもじぶんで出来る人になりたいのです。インターネットで仕入れる表面的な知識ではなく、生活に根ざした知恵を手に入れたいのです。

二部屋分の改装にのべ2週間程度の労働と資材費に20万くらいがかかりました。これをプロに依頼していたら、おそらく60~70万の仕事になります。その差額が現金化されないぼくの報酬になります。外貨を稼がなくても、稼いでいるのとおなじことなのです。

勿論、プロのようにきれいな仕事ではありません。歪みや隙間もあります。その代わりじぶんの住む家の構造を知れました。漆喰を塗る技を手に入れました。たくさんの失敗や遠回りを経験することができました。そのすべてが全部、ぼくの物になるのです。

使えばなくなるお金。永遠に使える知恵。どっちがお得でしょう?

ぼくにお金を稼ぐ才能はないから代わりにじぶんのなかに地層のように知恵を積もらせていきたいなぁ。と思っています。

 

研修旅行3 那智勝浦、伊勢神宮

 紀伊半島先端の潮岬で重く力強い黒潮の地球の脈動を感じてから那智勝浦へ。滝の手前で車を停めて、熊野古道を数㎞歩いて那智大社へ。境内にある大楠の木に小宇宙を感じ、那智の滝にパワーをいただきました。

途中から降りだした雨のなか宿泊地の伊勢に到着。スマホで調べた料理屋へ。地物の魚料理が中心で、どれもこれも魚の個性が生きていて旨い‼️近頃は何処に行ってもどこでも食べられる様な地域色のない料理が多いけれど、大満足の感激レベルの食事になりました。

翌日は伊勢神宮の外宮と内宮をまわりました。コロナ禍の影響でどこも人手が少なく、雨上がりのしっとりと濡れた神聖な雰囲気のなか、きもちのよい空気を胸いっぱい吸い込みました。

人と会う喜びと刺激を受け、土の上で眠り、地球の鼓動を感じ、神聖な空気に包まれる。なんだか、出来すぎな旅行になりました。

黒姫に近付くにつれて空気の味が懐かしいものへとかわっていきます。犬たちもだんだんと元気になっていきました。

はやく土に触りたい。

研修旅行2 紀伊半島

 三泊居た淡路島を後にして、次の旅先 紀伊半島へ向かいました。天気は快晴❗気持ちいい。南紀白浜までは高速を繋いで走り、その先は海沿いの国道を行きます。夕暮れ時、人里離れた道路脇にいい感じの場所を見つけてゲリラキャンプ。

ゴロタの浜で焚き木を広い、石積で竈を作り焚き火。買ってきた干物やピザや餅を焼きながらお酒を飲みました。波の音と満点の星、少し肌寒く、火にあたる頬が熱い。最高じゃぁないか。

夜半、磯で夜釣りをしていた人が戻ってくる気配に文太(秋田犬)が反応して唸り声。間髪を入れずに黒豆(ボーダーコリー)が呼応。二匹で並んで防御線を張ります。なんだか人間ふたりと犬二匹がおなじ群になったような。そんな不思議な時間を過ごせました。

旅の疲れを抱きながら波の音と犬の息づかいを感じながら深く深く眠りにつきました。

研修旅行1 淡路島

 雪下野菜の出荷が終わり春作準備が始まる前の時間を使って、西の方へ五泊六日の研修(名目)旅行に行ってきました。お供は黒豆(犬)と友人有機農家とその飼い犬(文太)。軽自動車でふたり+2匹の凹凸珍道中です。

最初の目的地は淡路島。

途中途中のSA.PAで犬の運動をさせながら向かったので丸8時間かかりました。親友兼師匠と二年半ぶりの再会。生まれてから一度も会えていなかった長男君や奥さん&娘さんふたりにも会えて嬉しい気持ちで満たされました。

親友宅に隣接する畑にテントを張りたくさん話をして、おいしいご飯とお酒を飲み、畑を見学し、ひさしぶりに猪猟を手伝い、何人かの興味深い人たちも紹介してもらうことができました。

 

いつも思うのだけれど、人生には、いまのぼくが必要としているヒントや言葉や目印が歩く道の先に在ります。考える事を諦めず、感じることを止めず、いつもアンテナを張り続けてそれに気付くことができるぼく自身でこれからも在りたいと思いました。

次に会う時にも胸を張って出会えるじぶんで居たい。そう思いながら淡路島から次の目的地へと向かいました。

 

 

 

オセロ

 一月半ほど前から長男とオセロをしています。『おなじ色で挟めば、なかのコマが反転する』その簡単なルールを覚えるのには、時間はかかりませんでした。しかし、そこは、それ。子供のことです。先を見越した打ち方にはなかなかなれません。

四隅ハンデをして、打つこと3週間。息子は負け続け。でも、腐りません。毎日、4、5局打ち続けました。3週間ほどで四隅ハンデでは、僕が勝てなくなりました。そこからが早かった❗

数日の内に三隅ハンデをクリア。近頃は二隅ハンデでも勝てない。一隅ハンデでも五分五分の勝率。で、昨日 写真の負けっぷりを期しました。…あかん。平手で負けるのも時間のうちの予感がします。うーん。