腐海の森

 宮崎駿監督の名著『風の谷のナウシカ(マンガ版)』を読むとその世界の深淵に触れたような叙述に感嘆します。殆ど神話の世界。寓話の世界。見方を変えればキリストやブッダの物語のようにぼくは感じます。人であるナウシカが人でありながら伝承の中で神になっていくような、そんな感覚を受けます。(勿論、ぼくの勝手な解釈ですけど…)

物語は毒をだす腐海の植物とそれを守る虫や粘菌の世界を舞台にしています。物語が進む中で木々と虫、粘菌の繋がりや愛が語られていきます。大地の毒を吸って吐き出すことで土を浄化する木々。その(毒による)痛みを、食べることで癒そうとする虫たちの愛情。

なんかね。ぼくには野菜と虫の関係もおなじように感じるのです。

バランスのとれた土と環境の元では、野菜は虫に余り食べられません。勿論、まったく被害がない訳ではないのですが、野菜の生育を阻害するほどの甚大な被害は起きません。病気に関してもおなじです。反対に生物層が薄い土地であったり、肥料に過不足がある場合、バランスの崩れた場合では、虫や病気が多く発生します。特に効きすぎる化学肥料や未熟な有機肥料を使った場合などでは、被害が見事に顕著になります。どうしてなのか?

 

難しいけれど、ぼくの(今のところの)解釈はこんなです。

 

腐敗と発酵。どちらも有機物の分解の過程。

激烈に、急激に分解する時は腐敗し、穏やかに、緩やかに分解する時は発酵します。おなじ分解と言う作用なのに、この違いはどこから来るのか?

適切に育てられた有機野菜は腐敗しにくい(日持ちする)と言われています。

ある天然酵母を使うパン屋さんの本に、こんなことが書いてありました。『世界にとって不要(有害)なものを出来るだけ早く無害化するために腐敗するのではないか?』と。

そう考えると、不自然・不適切に育てられすぐに腐敗する野菜は、人にとって有害なのではないのか?毒を取り込んで苦しんでいる野菜の痛みを和らげるために、虫たちは野菜を食べるのではないか?害虫と思われていた虫は、実は(間接的に)人を守ろうとしているのではないか?(この野菜は人が食べるものではありませんよ!)と。

実は、毒を出す腐海の木々は人が汚した世界を浄化してくれているのとおなじように

そんな所にまで想いは及びます。

うーん。なんだか、やっぱりうまく説明できません。

ので、アボリジニの言伝を最後に

『植物はひとに食べられるために生まれてきた。動物はひとが崩した世界のバランスを整えるために生まれてきた。』と

なんか、やっぱり神話ですね。

PS:まとまりがなく、すみません。