寝汗と熱量

ブログの更新をやめてから早一年が過ぎました。

昨冬から春にかけて就寝時の寝汗が止まりませんでした。真夜中に起きると布団は寝汗で湿り気持ち悪く身体も冷え切ってしまう、そんな日々を数カ月の間、繰り返していました。熱を出し発汗するにもエネルギーは必要で寝ている最中も身体は休まらずエネルギーを放出し続けているものだから激やせしてしまいました。

“このまま死んじゃうのでは?”と状況を見守っていましたが、春になって気温が上がってくると寝汗は止まりました。治ったと言うよりは季節が変わったからの物理現象です。

喉元過ぎればなんとやら、で寝汗をかき続けたことを気には留めてはいたのですが、春からの生活は特にこれまでと変化もなく過ごしていました。が、ハタと気がつくと“なんだかじぶんのなかにある情熱が失われた”感覚にすこしづつ気がつきはじめました。

“伝えたい” その感情が胸の底から湧き出るようにしていつもありました。教条的な性格だからだし寂しがり屋だから人と共感したいのかも知れない。じぶんの正しさを人に訴えかけたい面倒臭いタイプです。でも、一方でぼくが田畑を通して眺めた世界を“代弁者”として伝えなければいけない、そんな気持ちに突き動かされてきたのも事実です。約束かも知れません。

自然と文明社会の距離はどんどんと加速度的にはなれています。自然の産物であるはずの文明が独り歩きをはじめてしまってから自分たちがどこからやってきたのか?どこからうまれてきたのか?を知らない人が増えました。そして自然を自分たちの尺度で解釈しはじめました。

農家は自然から恵みを得て、文明側に手渡しすることを仕事にしています。社会と自然のちょうど中間の位置に立っています。

パーマカルチャーを実践している友人がいます。とても良い素晴らしい空間を創っています。愛情と情熱がつまった空間だな、と来訪するたびに刺激をもらいます。どうすれば人類と自然が共に歩み続けられるか、の実地学問がパーマカルチャーなんだとぼくは感じています。最小単位(家族)が生き続けられる方法の模索。ぼくがやっている農業は、もうちょっと雑だし人類寄りです。でも、それでいいのじゃないかな?とおもっています。

化成肥料と農薬を使う慣行栽培 と 自己完結型のパーマカルチャー その中間の農法。

どれかだけが正しい訳ではない。慣行栽培で育てられた作物でおおきくなった僕が完結型循環農法を目指しつつ現状に合った有機農家をしている。中途半端な立ち位置だけれども、そのあたりが居心地がいい。

ブログ再開します。