年初から大地が揺れる。波乱の年の幕開けでしょうか?
1月2日、友人のお寺へご飯をいただきに行きました。凍える寒空の下で不安な時を過ごす人達がたくさんいる一方でテレビからは箱根駅伝が普段通り流れてくる。ガザの虐殺が他人事なのとなにもかわらない。マヒする事で日々をやり過ごす。
11日に災害支援NGOの車両運搬員として輪島に入りました。被災した造り酒屋の倉庫にて被災者と数日寝食を共にしました。輪島市街は無傷な所はひとつもなくて三分の一は完全に倒壊していました。明後日の方向に傾いた信号機が明滅をくり返す。あらゆる場面が歪んでいて平衡感覚が狂ってゆく。
なにもできませんでした。
帰り際、造り酒屋の店主からありがとうと言われました。なにひとつ、なにもできませんでした。
倒壊した家屋で亡くなった人達と生き延びた人達。両者には、なにも違いはありません。只の運なのだと感じました。被災地と箱根駅伝の沿道に、なにも違いはありません。
自分の為に、これからなにができるか?を考えたいと思いました。
金沢市街は、まったくの平常で輪島の惨状が嘘のようでした。
地震のあとの空が嘘のようにうつくしかった、店主の言葉を思いだしました。