百姓日記


自分のため

 暖かな冬で雪が少ない。道路には積雪はなく田畑のうえには申し訳程度に30cmくらいの雪が乗っかっている。少なすぎる。

冬の貯蔵野菜は粗方出荷を終え暇な時間が増える。暇な時間が増えると頭ばかりが動き心身のバランスが悪くなる。毎年冬は憂鬱な季節で鬱っぽくなってしまう。エネルギーの体内暴走。これじゃあイカンと東京の出荷先に挨拶へ行き、淡路の友人の所へ猪猟の手伝いに行ったりしていた。

そんな折、町内の大工の友人から“ゆうちゃん、古民家改修の仕事手伝ってくれない?”と声をかけてもらった。ありがたい。仕事の内容は、解体とか片付けとかの雑用全般である。技術はないけれど身体はそこそこ動くからうってつけである。

現場で一緒に働くのは、これまた友人の大工さんです。彼が木組みや木工などの専門分野を、ぼくが土壁を壊したり廃棄物を仕分けたり。お互いに黙々と働きつつ時折取り留めもなく世間話をする。お昼休憩は近くにある親方の家でご飯を食べる。三人でご飯を食べながら社会のことやこれからのことを話し合う。同じ目線で感覚で世界を捉えている仲間との会話はおもしろく、興味も尽きない。ふたりとも誠実で前向きだなぁ。

会話のなかで時々“社会のため”だとか“未来のため”だとか“ひとのため”ってワードがでてくる。

東京の取引先の方からも言われたっけ“ひとのために働けば活力が湧いてくる”と。

ぼくは“だれかのため”に働いたことがない。全部が自分のためなのである。少なくともひとのためには働かない。言葉のアヤなのかもしれないけれど、誰かのためってのがすきじゃない。ひとのためにならなければ止めてしまうの?そんなに軽い気持ちじゃないとおもってる。全部が自分のためにやっているっておもってる。ひとの考えはわからない。自分の考えならわかってる。ひとの気持ちはわからない。自分の気持なら目玉飛び出るくらいわかってる。ひとの心はわからない。自分の心なら時々わからなくもあるけれど、だいたいわかってる。じぶんはじぶんでしかない。どんなに足掻いても他人にはなれない。自分がまわりと共にあり影響しあえるならうれしい。それをひとは“ひとのため”と言うのかもしれない。

出てくる言葉が違うだけで、おなじことを言っているのかもしれない。

猪罠猟

 淡路島来島の初日から師匠が用意してくれた仔猪を屠殺し解体までを体験することができた。久しぶりすぎて手際の悪さに不満が残る。たった三年間だったけれど京都に住んでいた頃に罠猟師をしていたから獣の命を懸けた猟が簡単なことではないと知っている。それでも恵まれるなら滞在中にもう一度経験したいとおもった。

夕方に師匠と一緒に近くの山の谷筋沿いへ罠を仕掛けに行く。谷底の小川の向こうが竹林で筍を食べにくる猪が多いと獣道の多さから推測ができる。数ある獣道のなかから地形を読みコレとおもう場所に14年ぶりに罠をかける。罠猟の免許は返上しているからあくまでも師匠の猟の手伝いで二箇所にかけた。

その晩から翌日にかけて雨が降り続く、ひとの痕跡と匂いを消してくれと捕獲の期待が高まる。翌日諸用を済ませて午後から師匠のかけた罠を見廻る。あちらこちらの山へ15ケ所ほど廻ったけれど空振り。当たり前だ!猟はそんなに甘くない。日が傾いた夕刻、先日かけた場所へ。半分諦め気味の師匠から“見といで”と言われひとりで谷へ降り竹林のなかへ。薄暗い竹林のなかで猪と目が合う。胸がドキっとする。“あー、この感覚はひさしぶりだ” 罠にかかった獣と出会う時は、いつも唐突だ。

師匠を呼びに戻る。“マジか!”と喜んでくれた。ふたりで現場へ戻り再度猪を間近で眺める。結構おおきい。80kgくらいだろうか?胸の鼓動がはやくなる。60mくらい離れた場所にかけたもうひとつの罠を一応確認に行く。斜面の上にいた猪と目が合う。“マジか!” まさかの二頭目。二日前にかけた二本の罠に二頭かかる。これは本当に有り得ない幸運で、師匠とふたりで“奇跡じゃん!”と興奮気味に讃え合う。

高揚した気を取り直してトメの準備にかかる。まずは最初にかかった大きな方を。久しぶりに対面するおとなの猪は、迫力満点。頭を下げて鼻でつちを跳ね上げ、キバをガチガチと噛み鳴らし威嚇してくる。逆立ったタテガミが身体をさらにおおきくみせる。高揚と興奮と恐怖が入り混じった感情が身体を包む。本当はじぶんでトメたかったけれど猪の大きさに怯み、師匠におねがいした。

輪っかにしたワイヤーを木の棒の先につけて怒り狂う猪の鼻先へ垂らす。ワイヤーに噛みついた瞬間に引き絞り連結したロープを渾身のちからを込めて木に縛りつける。罠のかかった前足と鼻面にかけたワイヤーで猪の動きに制限をかけて棍棒を眉間に打ち下ろすダンっと乾いた音がして猪は昏倒し横向きに倒れる。師匠が素早い動きで猪の元へ駆け寄り喉元からナイフを突き刺してトドメを刺す。一瞬の出来事。猪の目から命が消えてゆく。鮮やかすぎる。14年前に京都のやまで一緒に罠猟をしていた頃に比べて師匠の動きには一切の躊躇がない。経験を積んだ者の深さが垣間見えた。

放血を手早く済ませてから二頭目に取り掛かる。こちらは30kgくらいの子供。これならば、とじぶんで止め刺しをすることにした。前脚にかかったワイヤーに木の棒をかけて動きを制御してから後ろ脚を掴みひっくり返す。喉元からナイフを一気に突き立てる。胸骨裏の動脈を切る。手際が悪い。猪の意識が残っているのかブフッブフッと血の混じった泡を口角から流しながら断末魔の声を出す。不甲斐なさを感じながら猪の命が消えてゆくのを見守る。

腹を抜き、冷却のために小川に猪を浸ける。作業を終えた頃には、日はとっぷりと暮れて、深く暗い森がある。

山の神様と猪の命に感謝を捧げた。

 命を奪うことに“かわいそう”って感情を持たなかった。そこには“ありがとう”しかなかった。

殺すことと生きることはおなじものの別のかたちで、奪うことでしかぼくらは生きてゆけない。かわいそうの感情を抱かなかった自分は、まだ大丈夫だとおもった。野菜を育てている時、野菜たちが“いま食べて”って語りかけてくる時が往々にしてある。命は循環する。食べることは途切れることではなく、受け継ぐことなんだとおもう。猪の命は、そんな当たり前のことを再確認させてくれた。ぼくはじぶんの手を汚し続けたい。生きることを感じ続けたい。

たった二本しかかけていない罠に、たったの3日の期間で、二頭の猪がかかる。猟をしたことがある人ならわかることだけれど、普通は有り得ない出来事。淡路島の森が、神様がぼくにプレゼントをしてくれたんじゃないか、とおもう。ぼくはまだ自然に愛されている、そんな気持ちになった。

いただきます

 先日、五泊六日の日程で淡路島の友人宅へ行ってきました。20代前半に沖縄八重山の離島で出会い、以来四半世紀のながい付き合いのつづく親友でもあり自然農の師匠でもあります。黒姫に越してくるまえの数年間、京都金閣寺裏にある九龍城みたいな違法建築風のおなじボロアパートに住んでいました。

当時のぼくは10年以上に及ぶヒッピー生活に疲れ果て、かと言って社会生活にも馴染めずにアパートを拠点に北に上ったり南に下ったりしながら無為な日々を過ごしていました。そのアパートに住んでいた三年間、猟期にあたる冬のあいだは彼と一緒に罠猟師をして、京都近郊の山々を練り歩いていました。(当時の猟果は、互いに五分五分)

縁あって、ぼくは長野へ彼は淡路島へと移住します。雪深い長野黒姫ではくくり罠による猟は物理的に無理なこともあり、また原発事故の影響を考えてもここで猟師を続ける選択肢は、ぼくにはなくなりました。彼の方は、淡路島でも益々と猟に嵌り、解体技術ふくめて猟師として年々レベルアップを続けます。毎年送られてくる大量の猪肉の質の高さからもそれは容易に感じることができました。

 冬野菜の出荷が粗方終わった先日、不意に“ひさしぶりに命と向き合いたい”とおもいました。で、冒頭の淡路島遠征につながります。到着前日、師匠からLINEがあり“子猪が捕れたから生捕りにしておいた。着いたら捌け”と。再会の挨拶もソコソコに師匠のお宅へ、庭先に目隠しをして、手脚を縛って転がっている猪の元へ。20kgくらいのかわいい当才(一歳未満)の牡です。毛皮に手を置くと脈動と体温を感じます。

鶏は何羽も〆ていますが四足獣は14年振り、心のなかに一瞬の躊躇が浮かびます。息を吸い、こころを落ち着かせて喉元から一気にナイフを突き刺す、胸骨裏の動脈を探って切り抜く、一息にトドメが刺せない、ぼくの躊躇がイタズラに猪を苦しめてしまった。命の息吹が消えたあとで後悔の念がうまれる。“もっとうまく殺せたハズなのに”

毛皮を湯剥きして、内蔵を取り出し(ひさしぶりすぎて手順がわからない)四肢を切り離す。リンパを取り除き、骨から肉を外す、余分な脂や罠がかかって傷んだ左脚を整形して、骨と残滓は煮込んで犬の餌へ。14年ぶりの猪の解体は、おもった以上に時間がかかったし手順もめちゃくちゃ、情けなさばかりが残る。

“滞在中にもう一頭、ちゃんと屠殺して解体したい”

どうかもう一度チャンスを下さい、と初日を終える。

自然の姿

 自然ってなんだろう?

農家になってまいにち田畑で過ごすようになり、そこからうまれる農作物を販売して生計をたてている。りんもく舎が日々やっている農のかたちをひとに伝えるとき、すこし言葉に詰まってしまう。おおきな枠では有機栽培農家なのだけれども、ちっぽけなプライドが邪魔をして、ただの有機栽培ではないのだよ、と相手に伝えたい欲求が顔を出す。でも、一言で簡単に伝えられくらい農の世界は浅くはない。仕方なく“自然農寄りの有機栽培”とか言ったりしていました。けれども自然農って単語にも正直違和感がありました。(ホントに面倒くさい奴だ)

田畑は自然そのままの原野ではないし、お米や野菜は野生種ではなく、ひとの手で改良された栽培種なのです。その上 ひとの意思で種を蒔き苗を植える。不自然な場所で不自然ないのちを不自然に育てる。農業はどこまでいっても自然にはなれない。なのに“自然農”だなんて大きなかおで言ってしまっている。

そもそも“自然”ってなんなのか?すらぼくにはわからない。

そんな想いを抱いたまま自然の定義をかんがえ続けていました。種を蒔き苗を植えつちを触り、春をよろこびと共に迎え夏の暑さにうんざりし秋の収穫を祝い冬の寒さに凍える。たくさんの歓喜たくさんの挫折をたくさんの時のながれのなかで経験し乗り越えながらかんがえ続けました。

循環こそが自然なのではないか?

はじめて農に触れたその日から無意識下で感じていた答えが、ジグソーパズルのピースがひとつずつピタリとはまるような感覚で埋められてゆきます。命は循環を続けます。野菜を含めた植物が命のスタートで動物は他の命を引き継ぐことでしか、その命を持続することができません。命は命を受け取ることで循環を続けます。では?植物の命は、なにによってはじまるのか?植物は、太陽のひかりからエネルギーを得て、無から有を生み出します。

月は地球のまわりを回ります。地球はそれ自体が回転をし太陽のまわりを回ります。太陽は天の川銀河をまわり、銀河系は宇宙を回ります。大気は循環し海流も循環をします。水は水蒸気となり空へと昇り氷となって地に降りまた水になります。かたちを変えながら循環を続けます。陽子は原子核を回り、子は親から産まれ、そのバトンを子へと引き継ぎます。命は命を引き継ぎ、次の命へと変化します。

循環こそが自然の本質で、自然とは循環するもの、なのではないか。

循環する世界のなかで、ひとつだけ循環を断ち切るモノ、止めてしまうモノがあります。それがひと(の欲)なのです。

100点満点ではないけれど、りんもく舎の畑や田んぼは、循環のなかにあることを目指し続けてきました。たくさん欲しい訳じゃない。立派な野菜が欲しい訳じゃない。甘い野菜が欲しい訳じゃない。りんもく舎は“ずっとずっと欲しい”とおもい続けてきました。それもある意味では、りんもく舎の欲のかたちなのです。

ずっとずっとこの星の上で生き続けてゆきたいから、循環のなかにある農を目指しています。たとえそれが人間社会のなかで受け入れられないとしても、この農を止めるつもりはありません。

うつくしい空

 年初から大地が揺れる。波乱の年の幕開けでしょうか?

1月2日、友人のお寺へご飯をいただきに行きました。凍える寒空の下で不安な時を過ごす人達がたくさんいる一方でテレビからは箱根駅伝が普段通り流れてくる。ガザの虐殺が他人事なのとなにもかわらない。マヒする事で日々をやり過ごす。

11日に災害支援NGOの車両運搬員として輪島に入りました。被災した造り酒屋の倉庫にて被災者と数日寝食を共にしました。輪島市街は無傷な所はひとつもなくて三分の一は完全に倒壊していました。明後日の方向に傾いた信号機が明滅をくり返す。あらゆる場面が歪んでいて平衡感覚が狂ってゆく。

なにもできませんでした。

帰り際、造り酒屋の店主からありがとうと言われました。なにひとつ、なにもできませんでした。

倒壊した家屋で亡くなった人達と生き延びた人達。両者には、なにも違いはありません。只の運なのだと感じました。被災地と箱根駅伝の沿道に、なにも違いはありません。

自分の為に、これからなにができるか?を考えたいと思いました。

金沢市街は、まったくの平常で輪島の惨状が嘘のようでした。

地震のあとの空が嘘のようにうつくしかった、店主の言葉を思いだしました。

農と業

土をいじりはじめて14年、専業農家になって8年が過ぎようとしています。自給自足に憧れて借家の前の野原を開墾してはじまった農のある暮し。あの頃から人類は進歩したのだろうか?退化したのだろうか?どうなんだろう。

社会情勢は混沌の色を日増しに濃くしてゆく。暗闇に向う黄昏の世界の中でなんとか僕と僕のまわりの人達が生き延びられる土台を築きたいとちっぽけな安心を得たいと思ってきた。それでも眼前に迫る漆黒の闇を思うと心がギュっと萎縮してしまう。

コロナ狂騒曲は歪んだ社会構造と自分達の生命にすら無関心な人達が殆どを占めるこの国の現状をまざまざと見せつけられた。国民の8割が思考停止をして、よくわからない毒を云われるがままに身体に受け入れる。僕が有機農業をやっている意味なんてないな、そんな無力感に襲われる。

みんな一生懸命に生きているハズなのに頑張れば頑張るだけ空回りして幸せに手が届かない。他者に自分の存在を証明してもらうことに血道を上げ、イイネの数で一時の安心を得る。一生それを続けるつもり?

自分の心は自分のモノで自分の心を満たすには自分の足で歩き自分で満たすしかない。

自己満足ならば一生なくならない。

気がついた人達と気がつかないと決めた人達。道はふたつに大きく離れてゆく。

僕たちの未来に闇があるとしても光を求め続けたい。

寝汗と熱量

ブログの更新をやめてから早一年が過ぎました。

昨冬から春にかけて就寝時の寝汗が止まりませんでした。真夜中に起きると布団は寝汗で湿り気持ち悪く身体も冷え切ってしまう、そんな日々を数カ月の間、繰り返していました。熱を出し発汗するにもエネルギーは必要で寝ている最中も身体は休まらずエネルギーを放出し続けているものだから激やせしてしまいました。

“このまま死んじゃうのでは?”と状況を見守っていましたが、春になって気温が上がってくると寝汗は止まりました。治ったと言うよりは季節が変わったからの物理現象です。

喉元過ぎればなんとやら、で寝汗をかき続けたことを気には留めてはいたのですが、春からの生活は特にこれまでと変化もなく過ごしていました。が、ハタと気がつくと“なんだかじぶんのなかにある情熱が失われた”感覚にすこしづつ気がつきはじめました。

“伝えたい” その感情が胸の底から湧き出るようにしていつもありました。教条的な性格だからだし寂しがり屋だから人と共感したいのかも知れない。じぶんの正しさを人に訴えかけたい面倒臭いタイプです。でも、一方でぼくが田畑を通して眺めた世界を“代弁者”として伝えなければいけない、そんな気持ちに突き動かされてきたのも事実です。約束かも知れません。

自然と文明社会の距離はどんどんと加速度的にはなれています。自然の産物であるはずの文明が独り歩きをはじめてしまってから自分たちがどこからやってきたのか?どこからうまれてきたのか?を知らない人が増えました。そして自然を自分たちの尺度で解釈しはじめました。

農家は自然から恵みを得て、文明側に手渡しすることを仕事にしています。社会と自然のちょうど中間の位置に立っています。

パーマカルチャーを実践している友人がいます。とても良い素晴らしい空間を創っています。愛情と情熱がつまった空間だな、と来訪するたびに刺激をもらいます。どうすれば人類と自然が共に歩み続けられるか、の実地学問がパーマカルチャーなんだとぼくは感じています。最小単位(家族)が生き続けられる方法の模索。ぼくがやっている農業は、もうちょっと雑だし人類寄りです。でも、それでいいのじゃないかな?とおもっています。

化成肥料と農薬を使う慣行栽培 と 自己完結型のパーマカルチャー その中間の農法。

どれかだけが正しい訳ではない。慣行栽培で育てられた作物でおおきくなった僕が完結型循環農法を目指しつつ現状に合った有機農家をしている。中途半端な立ち位置だけれども、そのあたりが居心地がいい。

ブログ再開します。

おひさしぶりです。

2023年明けましておめでとうございます。

blogの更新を止めて二ヶ月、それでもサイトには時々訪れてくれる方がいます。すみません。そして、ありがとう。

開設から三年、三日坊主のぼくだけどそれなりに更新を続けてきました。誰かに向かって語ると言うよりも自分自身に向けての日記みたいな内容でした。なが~いひとりの時間のなかで溜まりに溜まって、澱みに澱みまくったじぶんをさらけだす。きっと承認欲求も強かった。

一昨年から『つちの学校』と言う農業体験教室をやり始めました。幸いある程度たくさんの人達が参加してくれて、その場でたくさんの事を話しました。じぶんの脳内を整理して、人に伝えることは結構エネルギーを使います。それから、りんもく舎の野菜セットを購入してもらっているお客さん向けに『りんもく通信』と言うお便りを隔週で入れています。こちらは通号で40回を越えました。内容はblogのテンションが高いとき並の勢いです。

月一の学校と隔週のお便り、百姓仕事がピークの時期に強い気持ちを持って伝え続けることは、かなりのちからを要します。読む方は五分でも書く方は、そうはゆきません。

中途半端な内容の更新するためだけのblogは、じぶんが削れてゆくだけ。読んでくれる人にも失礼です。なにより全方向に全力は無理だと判断して、自然とblogから遠ざかりました。

もう少しじぶんのペースでキチンとした内容の話を書きたい、とおもっていた時に、友人からnoteと言うプラットホームサイトを教えてもらいました。今後はそちらに表現していきたいと思っています。もし、こちらのサイト、blogに来て『もうちょっと読んでみたい』と思われましたらどうかnoteで『りんもく舎』を探して見てください。

よろしくお願いします。

では、2023年も皆さんにとって、ぼくにとって良い一年になるように願って

秋深し

 しっかりと着こんで朝晩の散歩に出掛ける季節になりました。9月29日にスタートした今期の稲刈りは、10月5日に終わりました。かなりはやく、かなりがんばりました。7日以降の長期予報が渋り模様だったので最後は目一杯でした。

雨風と共にやってきた寒波で夏野菜はほぼ終わりました。お疲れさまです。これからの仕事は畑の片付けと貯蔵用の根菜(さつまいも、里芋、人参など)の収穫なんかですね。

風車

 一昨日 海に釣りに行ってきました。季節外れに暑い日だったのだけれど海岸に出ると西日がスゴイ❕ジリジリとした暑さで『なんなんこれ?』って感じでした。異常気象の常態化ですね。

いつも行く釣り場は上越から西に30㎞くらい進んだところなのですが、道中何ヵ所か道の駅があります。その点々とある道の駅には申し合わせたように風力発電用の風車が建っています。一ヶ所につき一機づつね。で、この風車が回っているのをぼくは見たことがありません。

発電するのにたったの一機のみ。しかも殆ど回ってない。絶対メンテナンスコストの方が高いよね。

日本の行政には、こう言うことが多すぎるとおもいます。雰囲気と適当な理由だけでエコだから風力発電とか言って、設置したんでしょう。

本当に本質から解離して、むしろ増悪してるよなぁ。日本らしいです。

シャインマスカット

 就農するまえの数年 農事組合法人にて農産物の販売営業をしていました。長野県北信地方と場所柄から野菜よりも果物の取り扱いが多かったです。そのときに学んだことは、産地によって果物の仕立て方が違う、という事でした。

昔から果樹栽培が盛んだったところでは風土も合っているからでしょう、おいしくて高品質の果物が収穫されます。だから単価も高い。一方の後発産地では、元来果樹栽培に向いていない地域なので、あまりおいしくない。だから単価も安目です。そのため後発産地では量を作ることで利益をだす仕組みになっていました。

ぼくの見聞きした限りだと先進と後発を比べるとおなじ面積で三倍くらいの違いがありました。おなじ面積でたくさん作れば果物の味は更に落ちます。が、質よりも量なのです。

加えて、ベテラン農家(高齢)さんと若手農家さんでは、若手の方がたくさん作る傾向がありました。ベテランさんの方がじぶんの作る農産物にプライドを持っている事が多かったです。

 先日義父母が孫にとシャインマスカットを買ってきました。高かったらしいです。知り合いのぶとう農家さんも『シャインマスカットが高く売れて儲かる』という話をしていました。

高かったシャインマスカットを一瞥して『おいしくなさそうだなぁ』と思いました。粒のサイズもバラバラでだらしなくまとまりがない。シャインマスカット特有のマッドな深い緑白色ではなくて、やや黄色がかった薄い緑。食べてみると案の定、おいしくない。

日本では、こう言う事が多すぎるとおもいます。

おいしい品種を手間隙かけて更においしく作る。徐々に知名度と評判が上がり卸価格も上がる。高値で売れるものだから後発の烏合の農家がバンバン大量に粗悪品を作り、流通させる。で、高いのに奮発してシャインマスカットを買ったお客さんが値段に見合わない味に落胆して、もう買わない。→大量に育てられたシャインマスカットは行き場を失い安価で売られる。→つられて高品質のシャインマスカットも安くなる。

そんな事をずっと繰り返しているのが農家と農協と販売店なのです。今さえ良ければいい。とか先の事を考えられない。とか、日本人の特性なんですかね?もったいないなぁ。

ピーマン

 お盆すぎから気温がグッと下がって秋めいてきました。朝晩は肌寒いくらいです。ここ数年九月頃まで暖かかったので不思議な感覚ですが、まぁ高原の信濃町では元々こんな感じです。

気象庁が認定した6月下旬から7月初旬にかけての異常高温の影響がジリジリと出ているのか、今年の夏野菜は全体的に微妙な感じです。成り始めも遅かったけれど切り上がりも早くなりそうです。

そんな状況下で唯一素晴らしい成りをしているのがピーマンです。元々ピーマンを育てるのが苦手だったのですが、いろいろと試行錯誤を繰り返して、ここ数年はそれなりに良いモノを育てられるようになってきました。そんなピーマンが今年はスゴイ❕樹形良し、実成り良し、果形良し、味良しで、現状のぼくが育てられるMAXだとおもいます。

あまり主役になる野菜でもなく、世の中の子供たちにも人気がないけれど、今年のピーマン良いですよ~。(ウチの子供たちは取り合うくらい大好物です。)

野菜大好き

 外から持ち込まず土の持つちからを引き出して育てているりんもく舎の野菜はおいしいと自負している。毎日じぶんの所の野菜を食べていると段々と外で野菜を食べられなくなってくる。でも、自己評価とおなじくらいお客さんがおいしいと思ってくれているかは、よくわからない。

トマトやとうもろこし、枝豆なんかのわかりやすく甘い野菜にたいしては『あま~い』『おいしい~』とよく言われるが、ぼくからすると小松菜とかピーマンとかいんげんなんかの渋め野菜のおいしさに反応して欲しいのだ。スーパーで売ってるものとは、まったく別物だとおもうのだけどなぁ。

そんなこんなで自信をなくしそうになることもあるけれど、我が家のチビふたりは、野菜がめちゃくちゃ好きだ❗とうもろこし、枝豆、トマト、アスパラガスなどのわかりやすいのは勿論、ピーマンや茄子なんかの子供が好まない野菜もパクパクと食べてくれる。父ちゃんには残しておいてくれないくらい。

離乳食から父ちゃんのお米と野菜を料理上手なお母さんが心を込めて作ってくれていたのだ。当たり前と言えば当たり前なんだけれど、野菜の味がわかる息子に育ってくれてうれしい。

秋葉物播種

 8月20日 朝の散歩に出かけると肌寒い。長袖が欲しくなりました。夏も駆け足で終わりでしょうか?例年ですと25日頃に行う一回目の葉野菜の播種を、少し早めて今日行いました。なんとなく今年は寒くなりそうな予感がします。(昨年も寒い予想に反して、めちゃくちゃ暑かったのでぼくの勘は当てになりませんが…)

たった5日の差なのですが秋の葉野菜の播種タイミングはかなりシビアです。日照も気温もどんどん下がる時期になるので、昔から『秋の播種は一日遅れると収穫が一週間遅くなる』なんて言われています。

これから九月中下旬まで6回に分けて種まきを行います。おいしく元気に育ってくれるといいなぁ。

ヨトウムシとかネキリムシ

 今年の秋作のキャベツは悲惨です。育苗もうまくいかず定植してからも夜盗虫や根切虫にやられています。欠株があまりにもおおかったので補植もしました。その補植株もまたかじられると…うーん。

むかしはこんなに苦労しなかったのですけどね。記憶にありません。だいたいヨトウとかネキリもこんなにいなかったです。時々アレっ?てかんじで食べられていたくらいです。なんで増えたのだろう?なんでかじられるのだろう?ぼくの農法が悪いのか、気候の変動が激しいのか…たぶん複合原因だとおもいます。

ヨトウムシ=夜盗虫は、なまえの通り夜に土からでてきて野菜の若芽や葉っぱをかじります。ネキリムシもやっぱりなまえの通り若苗の根(茎)をかじり倒してしまいます。で、土のなかに持ち帰り食べます。

虫が増えたのも苗がうまく育たないのも、たぶんきっとどこかでナニかをミスしたんですね。どうしてなんだろう?なぜなんだろう?畑で起こるふしぎなことに日々考えてばかりのこの頃です。

夏の終わり

 blogの更新ひさしぶりです。

お盆も過ぎて『夏の終わり』な雰囲気が漂う信濃町です。茄子やピーマンなどの夏野菜はピークを迎え、とうもろこしやきゅうりなんかはそろそろ終わりです。近頃は雨や曇りの日が多く、時々射す太陽光も殺人的ではなくなってきました。季節は移ります。

夏の終わりを迎える世間より一足先に農家は秋の野菜をスタートします。キャベツの定植&補植はおわり、先週から白菜の定植をすすめています。定植してすぐにシトシト雨が降ってくれると一安心します。環境激変の初期に雨が降って、場を馴染ませてくれると活着もはやまります。さーて、今年はどんな白菜とキャベツになるでしょう。

農業についていろいろ考えてしまう今日この頃ですが、純粋にやさいだけを見ていたらかなりおもしろいとおもう今日この頃です。奥が深い。

天候不順

 相変わらず田畑の様子がおかしい。いや、ホントおかしい。季節が一月くらいズレている感じです。いまの時期になんでこんな風になってるのだろう?そんな事だらけです。

田んぼの稲は梅雨明け前(気象庁は梅雨明け宣言を出しましたが、天候的には完璧に梅雨明け前の状態です)、登熟直前の一番青々としてなきゃいけないタイミングなのに、若々しく雄々しい感じが全然していない。うちの田んぼはそれでもまだマシなのだけれど、他所の慣行栽培田では症状は更に激しい。なんだこれ?今年は不作だな、きっと

いつもなら採れはじめでドンドンと収穫量が増えていくキュウリやズッキーニ、トマトになす、なんかもポツリポツリと採れるばかりでグッとくる勢いがありません。

ホント、なんなんだろう?これは?

梅雨明け直前、これから夏本番の7月下旬なのに感覚的には夏の終わり頃 なんですよね。ホント、なんなんだろう?これは?

戻り梅雨

 梅雨入り宣言以降ほとんど雨が降らないまま梅雨明け、以降週間天気予報には☔マークが出るものの降らない。夏の強い太陽光に焼かれて土はカラカラに乾いてる。ギリギリで生きてる野菜たちのことを考えると雑草を抜くこともできない。(環境が変わるから)

参った。

 昨日久しぶりに少しまとまった雨が降りました。助かった。

草刈りと秋作の準備を進めていきます。

四才

 昨日は次男の誕生日でした。四才か、はやいなぁ。絵本も遊びも食べ物も、長男の時のように親の思い通りにはならず、長男の成長に引きずられて早々といろんな経験をしてきました。まぁ、可哀想な反面 次男ならではの立ち回りの巧さやズルさを持っています。

義父母と家族で誕生会をしてから昨夜もホタル観察にでかけました。以前と比べて、かなり少なくなってはいるけれど水路に沿って明滅を繰り返していました。

毎夜ホタルを観察しておもうのは、暗闇がすくないってことです。街灯が多すぎなんですよね。こんな道、夜には誰も通らないだろってところにも街灯があります。光を頼りにカップルが出会うホタルは、まぁたいへんですよね。

こう言う、ちいさな積み重ねが生き物の居ない、棲みにくいこの国を作っちゃったんでしょうね。

うみ

 まだ六月だと言うのに茹だるような暑さ、立ちくらみしながらの野良仕事です。こりゃあかん、と言うことで 午後から海にでかけました。

4時過ぎに糸魚川手前の釣り座に到着、日はまだ高くて暑い。ギラギラ。潜りの道具も持ってきたのだけれど夕マズメまであまり時間がないので釣りに専念することにしました。

今日の釣りは『泳がせ』です。

まずは、ちいさな魚を釣って、それを餌にしておおきな魚を狙います。

心配していた餌用の小魚ですが、たくさんいました。豆アジと豆サバです。釣り上げた小魚は生け簀に入れて生かしておきます。夕方、西日がかなり傾きかけた頃から地合に突入。ヒラメとキジハタを二匹釣りました。涼しい風が吹き抜けて、頭上には満点の星空。なんだか気持ちがよくて9時頃やってから納竿しました。