百姓日記


里芋

 何度か強目の霜が降りたので里芋を掘り上げることにしました。久し振りに行った一番遠い畑では枯れ草がボサボサに茂っていました。

被さった枯れ草を取り除き、マルチを剥がしていきます。毎度の事ながらマルチの後処理は面倒くさいです。ゴミもたくさん出るし出来ればマルチは使いたくないのですが高温性の野菜はどうしても地温上昇の為にマルチが必要になります。

スコップで根っこを切り、株をひっくり返して親芋からコイモとマゴイモ収穫していきます。夏の気温があまり高くなかったので収穫量に不安がありましたが、平年並みには取れそうです。

親芋も食べられる品種(赤芽セレベス)なので親芋も持ち帰りエンジンポンプの水で洗います。根っこや芽を切り、製品とB品と種芋に分けて乾燥。毎度の事ながら寒い時期の水仕事で辛いです。

でも、里芋美味しいから仕方がないかぁ~。

 

切干大根

 8月下旬に蒔いた一発目大根の肌が汚くて『売り物にするのはちょっとな~』な感じでした。肌が汚いのは秋の気温が例年よりも高めに推移した影響で土壌微生物の動きが活発だったからではないかと思っています。

肌が汚いのは成長初期段階で線虫や虫に齧られたせいで、大根にストレスがかかります。ストレスを受けた大根は味に雑味が出てしまいます。

生食用としては売り物にしたくない大根をどーしよーかなぁ?と思って、奥さんの友人たちに『切干大根作りません?』と声をかけました。皆さん30代の子持ち主婦。食べ物に気を使いたい世代。『じゃあイベントね。』と快諾してくれました。

子供たちを保育園に預けた後、九時からスタートして、大根を抜き、洗い、千切りや輪切りにして干していく。大体40㎏の大根を加工するのに丸々三時間半かかりました。切った大根はビニールハウスのなかで干します。

美味しくできるといいなぁ。

休日

 日曜は仕事を休み家族皆で新潟まで鮭の遡上を見に行きました。二時間ほどかけて名立川河口へ。が、川の水がひどく濁っています。近所のおじさんに聞くと先日の台風の影響で上流に崖崩れがあり小雨でもすぐに濁ってしまうようでした。

それでも川面に目を凝らすと時々鮭の背鰭や尾びれ見え隠れします。少し上流に行ったヤナの下では何匹かの鮭が浅い瀬を登っていくのが見えました。長男も楽しそうで良かった。また、二週間後に来てみようと話し合って帰路へ。

帰り道 名立の道の駅の広場で海を眺めながら持参したお弁当を食べました。日が射し風もなく気持ちのいい時間。それから公園で息子二人を遊ばせたり(二人とも泥だらけ😓)買い物したり、最後に温泉に入って家族の休日を楽しみました。

脱穀

 コシヒカリの脱穀が終わりました。これで今シーズンの脱穀はすべて終了❗疲れました。が、これで一区切りの一安心です。

今年は稲刈りシーズンの天候がハチャメチャで台風で稲木が倒れたり、その後の天候も安定しなくて、丸々1ヶ月以上もはざかけしたりとたいへんでした。餅米のすべてとうるち米の2割くらいは廃棄せざるを得ず、残念でしたしお米にも悪いことをしてしまいました。

早速 籾すりをして精米したピカピカの新米はやはり美味しかったです。天日干しが安定しなかった分 例年よりはお米の香りが薄かったですけれど、ピカピカの新米を食べれて嬉しかったです。

自然栽培での田んぼは本当にたいへんな手間隙がかかりますが、主食を得る安心感はやはり別格です。

脱穀は済みましたが田んぼの仕事(片付けや秋起こしなど)はまだまだ続きます。

さーて、もう一踏ん張りがんばりますか。

 

百姓建築7 屋根

 不安定な天気のなか『棟上げ』を済ませてから屋根材に取り掛かりました。尺スパンでタル木を入れていきます。前後左右にどれだけ屋根を出すのか?どの位置で材を繋ぐのか?施工と材木の歪みを実寸で徐々に強制しながらの作業。思ったよりも時間がかかります。

途中の晴れ間1日で脱穀をしました。取り敢えず一枚の田んぼは終了。なんとか新米が食べられそうです。

タル木が済めば、次はコンパネを張り付けて、その上にポリカの波板を取り付けていきます。

屋根作業で丸3日かかりましたが、なんとか終了❗これで多少の雨なら大丈夫です。

小屋に時間を割いた影響で農作業がかなり置き去りになっています。これから遅れを取り戻して、そのあとから壁に取りかかります。

バリバリ

 雨降りの1日だったのでハウスの片付けをする事にしました。

4月に天幕を張り、まずは稲の育苗。それと平行して野菜の育苗をして、五月下旬に各苗を田植え&定植して空いた所へトマトを植えて育てていました。そのトマトもだいたい終了したので吊り下げ紐を外し、山になった残査と周辺の雑草を畝に積み上げて、一気にハンマーナイフで砕きました。

この後は、刈り取った豆(小豆、大豆、黒豆)を乾燥する場所にしてから降雪前に天幕を取り去って冬籠もりの準備を済ませます。

因みに写真は白黒ではありません。砂ぼこりでボヤけているだけです(笑)。

 

散歩

 今日は久々に半日の子守りです。曇り空だけれど雨は大丈夫そうだったので、散歩に出かけることにしました。風は肌寒く上下共しっかりと着込みました。

長男はスライダー(いつの間にか普通に乗れるようになっていてびっくり❗)で、次男は乳母車に乗せて出発。田んぼの側を通って金魚池へ。それから小川沿いを散歩。黒姫山や妙高山が紅葉して、もう晩秋の装いです。

それから畑に続く農道を歩いて畑で一休み。コカブを抜いて生でガジガジ噛りました。

長男も次男も泥だらけ&鼻水タレタレでしたが楽しい散歩になりました。

 

百姓建築7 組立

 ここのところすっきりとした天気が続きません。半日晴れて午後は雲って翌日は雨。そんな繰り返しの天候です。

気温も総じて高く、葉っぱ野菜は生育過多な感じです。土壌微生物の活動も活発なのか根菜(大根、コカブ)の肌が汚いです。肌が汚いのは虫害なんかで野菜にストレスがかかっているって事で、味にも雑味がでます。山の紅葉もきれいではないですね。

そんな、こんなで、ここ二日は小屋建築の続きに汗をかきました。

仮組の済んだ木材を一旦ばらし、柱を立ててから梁を載せていきます。一応 一人でも持ち上げられるサイズの梁にしましたが、それでも重い。一本上げては休み休み進めていきました。

結構歪んでます😓。

それでも筋交いを入れれば、かなり頑丈に仕上がってきました。あと半日かけて残りの筋交いを入れたら次は屋根に取り掛かります。雨続きなのではやいところ屋根を貼りたいですね。

与えたり奪ったり

 友人や知人、近所の人に出会うたびに『台風大変だったね。お米大変だったね。』と声をかけてもらっています。ダメになったお米の話をすると皆さん心底辛そうな顔で『あんなに頑張っていたのにね~』と気遣ってくれます。ありがたいですね。

台風が去って幾日か過ぎて、少し冷静さを取り戻してきました。

今日も秋冬野菜の収穫をしました。風に煽られて所々破れているけれど、葉っぱ野菜達は元気にしています。

ふと『そーなんだよな。いつも、いつも僕は与えられてばかりいるのだよな。』と思いました。

 

 農家は、自然からいつも与えられて生きています。太陽と水と土が、ちいさな種を育み、お米や野菜を育ててくれます。時々、奪われる事はあっても、基本的には、いつだって与えられているのです。じゃなきゃ農業は成り立ちません。それなのに被害に遭う度に『自然は怖い』『自然は恐ろしい』と勘違いしてしまいがちです。

自然は与えもするし、奪いもします。

破壊と再生はきっとおなじモノなのじゃないかなぁ?と気付かされました。

倒れたナスの折れた枝のわきから新芽が芽吹いています。もののけ姫のエンディングみたいだなぁって、ぼんやりと考えていました。

 

百姓建築6 仮組

 7月の下旬時点で『あと丸3日あれば棟上げまで持っていけるかなぁ』と思っていた倉庫建築ですが夏から秋まで本業の農家が忙しすぎて殆ど時間が作れませんでした。

秋作の播種、定植が終わった9月中下旬の数日と稲刈りの終わったココ2日でなんとか『屋根の仮組』まで終わりました。

基礎の歪み、施工の歪みに加えて、材木の歪みもあり かなり怪しい雰囲気が漂っていますけれど、まぁ、かなり頑丈に作っているので大丈夫でしょう。…たぶん。

柱の寸法取りが済めば、やっとこ『棟上げ』です。

19号

 台風19号の残した爪痕処理で忙しく&なかなか活力が湧いてこなくて、ブログ更新久々です。

金曜日の夕方から雨風が強くなり夜の八時に停電。翌朝台風は過ぎ去ったものの停電は継続中。とりあえず畑と田んぼの見廻りに出ました。

畑では背の高い夏野菜(ナスとかオクラ)が風に煽られて倒れまくりでしたが幸いトマトハウスは無事でした。まぁ、切ない最後になってしまったけれど、どのみち初霜の降りるあと2、3週で夏野菜は終わりだったので仕方ないなぁと言った気分。

田んぼに行くとはざかけ中の稲木が半分くらい倒れています。田んぼには15㎝くらいの水が溜まり、そのなかに稲穂が完全に水没。…しばし、唖然。

水の中から稲穂を拾い上げると籾は水を吸ってパンパンに膨らみ半透明に透けています。

あかんかなぁ?やっぱあかんか。

長時間水を吸った籾は発芽モードになってしまい食用には出来なくなります。もうダメかなぁと半分諦めながらも稲木を建て直し、水没した稲穂を干し直していきます。奥さんと義父も手伝ってくれましたがモチ米とうるち米の二割くらいは放棄して、半日かかりました。

長靴に水が溜まり、全身ずぶ濡れで寒さに震える。無駄かもしれない作業を延々と繰り返す。半年かけて育てた稲があと少しの所で無に帰る。正直、力が入りません。何度も投げ出しそうになりました。(奥さんと義父がいなければ投げ出していました。)

停電は復旧せず妻の実家へ避難。テレビを観ると各地の被災状況に唖然。我が家から15㎞ほど離れた豊野町では、千曲川の堤防が決壊してとんでもない事になっています。

そして、いろんな人から『大丈夫?』と連絡がありました。有り難いです。

ダメになった稲を思い凹みました。後悔とタラレバで頭の中はぐるぐるしました。でも、また一から頑張ります。

『やることは判ってる。立ち上がる。立ち上がる。いつまでも、どこまでも、立ち上がる。立ち上がる。』

大好きなバンドの歌詞が頭のなかで鳴っています。

倒れても、転けても、打ちのめされても、立ち上がる。立ち上がる。

 

美しさの基準

 夕方の収穫をしていたら奥さんと息子達が畑へ散歩に来ました。夕暮れ時、久しぶりに葉物野菜を育てている畑を見た奥さんが『雄ちゃん、畑が美しすぎる。野菜達が本当に気持ち良さそう。』と言ってくれました。

そうなんです。自分で言うのもなんなのですが、今秋の葉っぱ野菜畑は、本当に気持ち良くて美しいのです。

柔らかな冬草が畑全体を覆い、その中から野菜達がピョッコリと顔を出してる。僕の理想としている『野原みたいな畑』にかなり近づいている感じです。

でも、美しさを感じとる基準って、きっと、万人に共通ではないと思います。雑草がめったやたらと生えて虫がたくさんいる。そんな畑など畑とは認めない。そんな考えの人もきっとたくさんいるのです。

ちょうどいま僕が読んでいる本『川漁師 神々しき奥義』と言う本にこんなくだりがありました。

『川岸をコンクリートで固めて、平坦に、均一に、整然と整備した景観に美を感じる人もようけおる。でも、わしら漁師からしたらそんな川はただの大きな排水溝でしかない。』と

川を整備して人間の尺度での美しさを得る。その一方で産卵場を奪われ、餌場を奪われ、微生物が死に、それらを餌にしていた小魚が死に、小魚を食べていた水鳥りや大魚が死に、最後には川が死ぬ。

きっと美の尺度は人と野菜では違うのじゃないかなぁと僕は思います。

野原のなかでたくさんの友達に囲まれて育つ野菜達が僕はとても美しいと感じています。例え、虫食い穴があったとしてもね。

不運と不注意

 先月の25日からスタートした稲刈りが7日に終わりました。今シーズンの稲刈りはトラブルの連続で心底疲れました。

最初のトラブルは、二枚目の田んぼの稲刈りをしていた時バインダー(稲を刈って結ぶ機械)のカッターを動かすチェーンが切れて、砕けた破片がチェーンケースまでも破壊するトラブルに見舞われました。

早期の復旧は無理と判断して友人の有機農家からバインダーを借りて、稲刈りを再開しました。

三枚目の田んぼの稲刈り。足りなくなった稲木(稲を干す洗濯干しみたいなもの)の代わりにきゅうり用の支柱で代用。が、やはりそこはきゅうり用支柱。重すぎる稲藁に堪えきれず横棒が落下。スパンを狭くして支柱を止める補助具も追加してやり直し。稲のかけ直しと支柱の補強で一日を潰す。

で、支柱を組んでいた最中 義理兄の使っていた借りたバインダーが故障❗…更に、もう一台借りてきてなんとか刈り取りを終了させました。

その晩 台風通過。

翌日 田んぼに行くと代用きゅうり支柱稲木が倒れておりました。(涙目)

その復旧にもう1日。しかも、手間を惜しんで田んぼに乗り入れた軽トラがスタック…(涙目) トラクターを使って引っ張り出すのに数時間…

もう疲れました。

連続する不運に何度も心を挫かれて、それでもやらなきゃ終わらない農業に恨みつらみが漏れました。

でもさ。冷静に考えてみれば不運と言うより不注意なんだよね。丁寧に気をつけて進めていれば回避できた事なんじゃないかなぁと思います。

不注意が不運を引っ張りこんだ。まぁ、不運ってそんなもんだ。とりあえず脱穀は丁寧に進めたいですね。

お天気商売

 9月25日から始まった稲刈りが順調に進んでいます。農家は、毎朝スマホで天気予報を確認して、その日から数日先までの作業予定を組みます。

雨が降ったら出来ない仕事(耕起とか稲刈りとか)、雨降り前日に済ませたい仕事(播種)とかがあるからね。それと雨中での野菜収穫は梱包の手間がとても増えます。だから、夕方雨予報の時は朝に収穫を済ませたりもします。

先週から今週にかけて毎朝確認する週間天気予報の雨マークが1日、1日と先延ばしになっています。結果、『雨前に少しでも進めたい稲刈り』を毎日フルタイムでする羽目になっています。

疲れました。そろそろ雨下さい。

 

 天気が良く、この時期にしては気温も高めなので秋冬の葉っぱ野菜がグイグイと大きくなっています。『成長が早いのは良いことでしょ?』と思われるかも知れませんが、大きくなりすぎた葉っぱ野菜は販売できません。それに収穫期間が繋がるようにズラして播種した野菜が一時にドッと採れてしまうのも困りものなんです。

いろいろ策を練ってみても、なかなか思うようには進みません。ホント、農家はお天気商売ですなぁ。

 

三日

 あきたこまちの稲刈りが終わりました。二反(2000㎡)の田んぼの稲刈り&はざかけを全部一人で済ませたので、丸々三日かかりました。疲れた~。はやく息子が大きくなって戦力になって欲しいです。

天候次第ではありますが、このまま三週間ほど天日で干してから脱穀します。脱穀してみないときっちりとはわかりませんけれど、おそらく反収穫量は6俵くらいでしょうか?三日の稲刈りでだいたい700㎏くらいのお米が採れる計算です。

700㎏のお米はだいたい10人分くらいの年間のお米消費量になります。塩水選別から始まって、播種、育苗、植え付け、草管理、水管理と大変な手間がかかりますが、10人ものひとを一年間生き延びさせる事が出来る❗なんて、とても素敵な仕事だと思います。

さーて、明日からはコシヒカリの稲刈りだ‼️うーん。疲れる。

みどりの原っぱ

 先日 母親とお出掛けをした長男が食堂の野菜を食べてポツリと『あんまり野菜おいしくないね。』と言って、まったく箸が進まなかったらしいです。

ちゃんと野菜の味がわかる子供に育ってくれているのかなぁ、と思い嬉しかったです。

また、とある日。

近所に住んでいる2才年上のお兄ちゃんの所へ遊びにいってきた息子が『○○君のおばあちゃんの畑には全然虫がいなかった。なんで?』と奥さんに聞いてきたらしいです。

時々、僕たち夫婦の話を聞いているから薬(農薬)を撒かれて虫が死んでしまったと思ったのか、とても悲しそうな顔をしていたらしいです。

 

夕方 野菜を収穫していると息子がやってきて『お父ちゃんの畑には、虫がめちゃいるね。』と言って、笑っていました。

『息子よ。ここには、蛙も蛇も雉も住んどるよ。』

畑では優しい色した野菜が萌え、柔らかそうな雑草が絨毯みたいに土を被っています。

息子が大好きな畑は、みどりの原っぱみたいな畑で、お父ちゃんも大好きなのです。

稲刈り

 きょうは秋晴れ、秋最大のイベント『稲刈り』をしています。まずは早生のもち米(ヒメノモチ)からです。それが終わればあきたこまち→コシヒカリと続きます。

我が家では『はざかけ(天日干し)』で乾燥をするのでバインダーで刈り取った稲を、はざかけ棒に一束づつかけてゆきます。手間はかかりますが天日で干すと機械乾燥にはない香りと味になるように感じます。

以前は、周りの人をたくさん呼んでイベントみたいにして稲刈りをしていましたが専業農家になってからは大体一人でやります。人を呼ぶのはそれなりに大変ですし一人でやる方がきままに天気をみてできるので良し悪しですね。

さーて、今日中にもち米終わらせたいなぁ。

運動会

 土曜日は上の息子が通う保育園の運動会でした。生憎 天気がよくなくて隣接する廃校した小学校の体育館で開催となりました。

年少の息子は、元気よく挨拶が出来たなと思いきや準備体操ではテンションが上がりすぎて常時大笑いしながらウロウロしたり、綱引きではハッスルしまくり、かと思えば玉入れではお友だちの事をボーってしながら眺めているだけと情動の激しい感じでした。

まぁ、でも、仕方がないか。僕の子供だし…

年長さんたちのかけっこや組体操なんかを眺めていると息子とたった二才違いにはおもえないくらいしっかりとしています。あと二年でこんなにしっかりしちゃうんだなぁと思うと、いまの息子との時間をもっと大切に過ごさなきゃと思いました。

倒れたお米

 例年よりも少し早い感じで周辺の農家さんが稲刈りを始めました。コンバイン(稲刈りと脱穀と藁の裁断を一時に行える機械)の動き回る音があちらこちらから聞こえてきます。我が家も来週には餅米を刈りたいと思っています。

車で走っていると所々の田んぼで倒伏した稲が目に入ります。倒れた稲を見るとぼくは少し悲しい気持ちになります。

どんな生物でも一緒なのですけれど、生物の生きる最大の目的は子孫を遺す事にあります。(人は違うって意見もあるでしょうが…)単細胞生物だろうが多細胞生物だろうが、魚も虫も獣も草木も、自分の遺伝子を遺す事が生まれてきた最大の意味なのです。それは稲だって野菜だっておなじです。

稲にとって、一番守らなきゃいけない次世代への種 稲穂が倒れてしまう。これって普通の事じゃないですよね。倒れて水に浸けば腐ってしまうし、獣や虫にも食べられやすくなってしまいます。

じゃあ、なんで稲の倒伏した田んぼがあるのか?

人は欲深い生き物です。だから、同じ面積からちょっとでもたくさんのお米を収穫したいと考えます。それでたくさんの肥料を撒きます。たくさんの肥料分を吸った稲は、希望通りグングンと大きくなります。栄養がたっぷりとあるから根っこを伸ばさないままで、グングン大きくなります。

たっぷりと実った重い稲穂。でも、弱い根っこはその重みに堪えきれずに倒れてしまいます。一番大切な稲穂を危険に晒して

倒伏する田んぼは、だいたい毎年おんなじ田んぼ。その田んぼの作り手農家の稲に対する気持ちが透けて見えます。稲は命ではなくお金なんですよね。

そんな事を考えて、ぼくはいつも少し寂しくなってしまいます。

えっ?うちの田んぼは?って

『あんまりたくさんの稲穂はついてません。だから、絶対に、確実に、ほぼ100%でうちのお米は倒伏しません。倒れちゃうくらいお米が採りたいなぁ』とは、思わないですね。ぼちぼちでええんですよ。

都会と自然

 朝晩の気温が一段と下がり肌寒さを感じる今日この頃です。秋冬野菜の播種、植え付けもだいたい終わりました。収穫も一日おきになり、だいぶ日々の生活に余裕がでてきました。25日頃からは稲刈りが始まります。

 

 先日、知り合いのお寺へご飯を貰いに行きました。家族全員で出掛けたかったのですが僕以外は風邪気味だったので一人で行ってきました。何人かの友人達と集まってタコスパーティー。食後、友人の副住職と宗教についての話をしました。

『宗教っていったいなんだ?』そんな根本的な質問から始まり『どうして?真理なのに解釈の違いが生まれ、分派が起き、互いの正統性を巡って争いが起こるのか?』『寺院や教会にランクがあって、宝物や豪奢な衣服で威厳を得ようとするのか?』

そんな話を幾つかしました。納得できそうな答えもあれば、こじつけ、保身的だなぁと思う返答もありました。坊主だって生身のにんげんなのだから日々矛盾と格闘しているのでしょう。

そんな話のなかで『なるほどなぁ』と思った話。

元々、原始宗教はアミニズム(精霊崇拝)からスタートしています。神道(国家神道とは別の)の八百万神などは、草や木や石や虫や獣など、この世のありとあらゆるモノには神が宿っているとする考え方です。

アミニズムには教義がなく、指導者や開祖もいない。狩猟採集民や原始農民などは『日々食べ物を得て生き延びる』事がすべてだったから自然と生が密接に関わっていた。だから自然発生的に『自然を敬う=すべてのモノに神が宿っている』とする考えに至ります。

ところが生命維持以上の食料が手に入り始めると富の貯蓄が起き、自然と切り離された都市に生きる人たちが生まれました。都市に住む人たちには『根本的、経験的な自然への畏怖』がなく、基準とするべき指針がありません。そこで教義と言う形が発生した。と言う話でした。

おもしろいなぁ、と思いました。

いまの世の中は毎日仏壇に手を合わせる事もなく、食事に対して『(命を)いただきます。』と言わなくなったり、生活に根差した宗教感覚が昔に比べてすごく薄くなったように思います。

それで幸せに近づいたのかと言うと『どうなんでしょう?』依るべきモノのない不安感が世の中に充満しているようにも感じます。

まぁ、僕も無宗教に近い人種だと思います。けれど、ひとよりも土をいじっているだけ『そこに神を感じる』事はあります。

なんだか、なにが言いたいのだかよくわからなくなってしまいました。すんません。