百姓日記


終わったり、始まったり

 ここ数日で急激に夏野菜が弱ってきました。例年よりも少し早い気がします。採れ始めも早かったから辻褄は合うのかな?

トマト類は葉っぱが少なくなり色上がりも遅くて割果の割合がすごく多くなりました。ピーマン類は大株になり、かなりたくさんの実をつけているけれど登熟が遅くてちいさいまま種が固くなっています。ナスも実の生育がゆっくりになり、変形果も多くなりました。だんだんと夏野菜も終わりに向けて歩んでいます。

一方でお盆明け播種の葉っぱ野菜がそろそろ収穫開始になりそうです。

季節は移り変わって行きますね。

播種、定植

 午後から雨予報だったので朝イチから秋冬葉っぱ野菜の三発目播種をしました。季節外れの暑さで汗がダラダラ流れます。

昼休みもそこそこに午後からは白菜の定植。育苗に失敗したため、例年よりも10日遅れの定植です。なんか、今年は育苗失敗が多いです。基本的な事こそしっかりやらなくては…しかし、白菜間に合うかなぁ?

なんのかんので日暮れまで雨は降らず1日フル回転で野良仕事していました。疲れた。

山の天気

 お盆以降グズグズした天気が続いています。稲刈りのために落水をして乾かしたい田んぼもビシャビシャです。水持ちして欲しい時期には水が切れ、要らない時期に雨続き。なかなか農業は予定通りには進みません。

風邪で寝込んでいた間にたまった野良仕事を、雨の隙間にやっています。取り敢えず、草刈り。お盆で終わって以降 全然顔を出していなかったとうもろこし畑では、雑草が伸び放題に茂り2㍍くらいになっていました。半日かけてハンマーナイフ(草をバラバラに砕く機械)で散髪しました。

南瓜や枝豆を育てていた畑も雑草がボサボサに繁っています。ハンマーナイフをかけていると霧が…あっという間に視界が50㍍くらいになりました。信濃町の秋によくある天候なのですが、完璧に山の気候ですね。

身体を壊さないようにボチボチやります。

傲慢

 ブログ久しぶりの更新です。

九月に入り朝晩は肌寒さを感じる高原の信濃町です。先月22日頃からひき始めた風邪はしつこく、40℃オーバーを3日。その後も動くと38、9℃あたりをフラフラして、10日近く病人生活を送っていました。昨日辺りからだいぶ回復しましたが、まだ恐る恐る試運転中です。年ですね。昔のように一晩寝たら治る。が、懐かしいです。

病人中は収穫と出荷作業のみだったので畑はだいぶエライコトになっています。無理しない程度にぼちぼちと復帰させていきます。

昨日は二発目の秋冬葉っぱ野菜のはしゅをしました。新しく借りた畑に畝を立てて10種類程度を播種。完全に無肥料なのでちゃんと育ちますかなぁ?

 

 風邪で寝込んでいる最中に二件ほど立て続けに取引先とトラブルがありました。二件共、発注に関しての事だったのですが、こちらの事前アナウンスを無視する形での発注に怒り爆発💣。『何度も同じこと言わせんな💢』と横柄な態度に

爆発後はお互いに気まずい状況に…

風邪で弱っていて、心にまったく余裕がなかったんですね。専業農家三年目になり需要も増え、取引先も増え(その割に儲かってないんですけれどね😓)、慢心しちゃってたんですね。

間違いは誰にでも(僕にだって)あります。簡単に怒らない。丁寧に、誠実に、腰を据えて、うまくいっている時ほど謙虚に、地道に築いていかなきゃダメだなぁと反省しきりです。

 

適期収穫

 三晩寝ても風邪はなかなか良くならない。苦肉の策で解熱剤を飲んだものの普段はほぼ薬を摂らない身体が受け付けないのか、夜中ヌルヌルとした変な汗と悪寒を繰り返す。翌夕、フラフラの身体を引きずって畑へ。成長の速い果菜類を中心に収穫をする。

なんで、こんな体調の時にまで、そこまでして収穫をするのか?不思議ですか?

お金の為?いえ、違います。勿論、ゼロではないけれど、お金の為だけなら心置きなく放置します。

 

果菜類(実の成る野菜)は、未熟な幼果を食べるモノが多いです。成長も早く、収穫適期を逃すと固くなり食べられなく(美味しくなく)なります。

僕は百姓だから人に食べてもらうために野菜の世話をします。そして、野菜たちもひとに食べてもらいたいと思って育っています。

ホントに? お前に野菜の気持ちが判るのか?そう思われるかも知れません。けれど『食べてもらうことが幸せ』は自然界のなかでは、極当たり前のありふれた感情ではないかと、僕は思っています。

野菜達の美味しい瞬間を、できうる限りちゃんとひとの口に届ける事が僕と野菜達との約束なのです。

 

 それから、もひとつ大きな理由が株に大きな実を付けたまま放置してしまうと樹(株)をすごく弱らせてしまうからです。

種を作る。子供を育てる。って、野菜たちにとっても本当にたいへんな事なのです。『子孫を残す』は生命の最重要命題。だから、一番大切な種(果)を育てることに全精力を注いじゃう。実が大きくなればなるほどエネルギーを吸いとられて本体は弱ります。それを防ぐためにも適期の収穫は重要です。

お客さんにとっては、茄子は只の食材です。けれど、僕にとっては、種から一緒に頑張って大きくなってきた子供みたいな関係なのです。ちょっとでも元気に長生きして、自分達が生まれてきた訳『ひとに美味しく食べてもらう』を完遂させてあげたいのです。

だから、ふらふらしながらも収穫をします。

ただ、このままでは僕の方が先に終了してしまいそうな予感もしますが…

はい。ちゃんと寝て 風邪治します。

薬浸け

 水曜の夕方 大雨の下で野菜の収穫。上はカッパを着ていたけれど意味無し。長靴に3㎝くらい水が溜まりました。家に戻って直ぐにお風呂に入る。夜 梱包をしていると頭がグラグラとする感じ…『ヤバい雰囲気だなぁ』と思いつつ就寝。

翌朝も、余り調子は良くない。と、言うか、これから更に酷くなる予感。取り敢えず、決められた配達と発送をふらふらしながら済ませて、布団で横になる。

体温40℃…

関節が痛い。腰が痛い。咳も出るし、熱くて寝ていられない。

夏野菜は毎日収穫してあげないと株が弱る。だから、よっぽどの事がない限りは休まないのだけれど、夕方 早々に収穫を諦める。

夜 4回着替える。でも、すっきりとしてくれない。翌朝 予約分のみを収穫して無理矢理に出荷。休むけれど、熱くて眠れない。相変わらずの40℃超え❗

夕方、明日から週末なので不本意ながら病院に行くことにした。一時間ほど問診をされたりレントゲンを撮られたり。『眠れないので解熱剤を下さい。夜にしっかりと眠れたら回復すると思います。』僕の希望は届いたのか?どうなのか?

病院から出て、向かいの薬局に行く。

座敷でひっくり返っていると薬剤師さんが薬を持って来ました。…えっ❗7種類もあります‼️ 鈴木人生史上、過去最高の種類です。

内訳は、

1、解熱剤

2、胃腸薬

3、抗生物質

4、促痰、促膿剤

5、抗炎症剤

6、うがい薬

7、抑アレルギー剤

8、鎮咳剤

あっ、8種類だったわ。

風邪に抗生物質って効くのか?抑アレルギー剤ってなんだ?問診表にアレルギーないですって、書いたけどな。あれか?薬 大量だから保険のために付けてくれてるのか?

なんか、そら恐ろしい気持ちになりました。ただの風邪だよ。普通は、寝ておけば治るよ。僕だって、仕事がなければずっと寝てるよ。これだけたくさんの薬を貰った方が患者は安心するのですか?なんだ、ジャブ中毒と変わらんね。薬漬け。

虫食い一つ許さない。病斑一つ許さない。農薬まみれでキレイキレイな野菜が大好きな国民性がよーくわかります。正邪、善悪は陰陽です。良いことだけ、なんてないよ。

たぶん、あれだ。抗薬ウイルスのパンデミックとか日本発祥になるな。分母が不必要に多すぎるもの。自然はうまく出来ているからね。

解熱剤と胃腸薬だけ、いただきます。

散髪

 お盆を過ぎれば秋です。信濃町も朝晩は肌寒いほどになってきました。一発目のいんげんやきゅうりも立ち枯れて、季節の移ろいを感じます。

秋作の準備を播種から逆算して進めています。例年は25日前後に葉物一発目を種下ろしするのですが、今年は冬の訪れが早そうな気配。数日 早めに蒔きたいと思っています。たった数日のズレですが秋の種まきは一日遅れると収穫が一週間遅くなると言われるくらいにシビアです。特に、高原の信濃町では遊びがありません。

ボサボサに雑草が生い茂った通路にハンマーナイフ(草をバラバラに砕く機械)をかけました。散髪した後のように、スッキリしました。

台風とナスのキズ

 土曜日にとうもろこしが終わり、スイカやマクワウリが採れ出しました。信濃町はもう晩夏です。

スイカと言うと夏の一番暑い時期に食べるイメージがあります。でも、普通に育てるとお盆前後が収穫の適期になります。スーパーなどで、7月頃から売られているものは、九州や四国などの暑い地域で育てられたか、もしくは、ハウスで促成栽培されたものになります。

スーパーに行けば一年中ありとあらゆる野菜が売られていて、本当の旬がどんどんボヤけてしまいますね。

 スイカの原産地はアフリカの南東部で、現地では野生のスイカ(写真で見たことがありますが、サバンナにスイカがゴロゴロと地平線の彼方まで転がっています。)を主食にしている部族もいるようです。スイカが主食って…世界は広いです。

先日の台風の影響で収穫したナスの約半分がキズモノです。幼果が風で揺さぶられると支柱や茎に擦れた部分がかさぶた状になります。製品としては売れないので『キズモノ』として大量に袋に詰めて直売場に出します。殆ど、利益にはならないですが、棄てるよりは気分的に楽なので直売場様々です。

秋の気配

 日中の陽射しは酷しいものの朝晩は過ごしやすくなってきました。今朝など、ちょっと肌寒いくらいでした。収穫と出荷作業、田畑の草管理、秋作の準備と相変わらず忙しい毎日です。

伸び伸びになっていた田んぼの畔草を刈りました。だいぶ、繁っていました。田んぼには、稲穂がついています。今年は成育期の天気が良くなくて(曇天&寒い)実付きは余り良くなさそうです。

夜の梱包の時 外で休んでいると秋の虫が鳴いています。

盆も過ぎれば、もう秋ですね。

アフリカとアラスカと4

 いや、ホントに長いな。興味のない人は無視して下さい。農業ブログではありません。

 

9割大丈夫だけれど失敗すれば100%沈没=限りなく死。+ 不確定要素込み

6、7割の確率だけれど、万全の体制で挑めば、自力でなんとかなりそうな水路。

二つの選択を目の前にして、僕は後者を選びました。9対1の確率のサイコロを、神様に振らせたくはなかったのです。

カヌーを左手の波が弱いラインを通り抜けやすい位置に動かし深呼吸。胸元まで競りあがりそうになる恐怖を黙殺しました。ここでビビっても『なにひとつ得な事はない。』100%完璧な状態、100%な自分で波間に入る事が、いま一番求められている事。恐怖に捕らわれて、パニックになったらお仕舞い。失敗したら死ぬだけ、生きるか、死ぬか、それ以外の道がないなら、いま 全力を尽くせる状態にするだけ。6、7割の成功確率をほんの少しでも高める為に、心を穏やかに静め、少しの状況変化も見逃さないようにピンと神経を張りつめる。

加速度的に早くなる流れに乗り、空に向かってそびえ立つ大岩に向かう。岩に当たった水の流れが盛り上がり、カヌーが少し空に近づく、次の瞬間エレベーターに載った時のような感覚で、カヌーは波の谷間に滑り落ちる。

2メートルを越す波の壁に阻まれて、僕の視界には水の壁と青い空しか見えない。頭から波しぶきを被り、カヌーのなかに水が雪崩れ込む。パドルを叩きつけ、左右に漕ぎ、兎に角 波の隙間をバランスを崩されないように流される。翻弄される。

どれくらいの時間だったんだろう?数秒か、数十秒か、数分か、駒送りの映像を観ているような時が過ぎ、僕の視界にはさざ波と太陽と青い空と森が映った。ゴウゴウと後方から濁流の音が聞こえる。

生き延びた。

ずぶ濡れの身体が安堵を感じて緩んだ後で、途方もない恐怖感に襲われました。声を出して咽び泣きたいくらいの恐怖。押さえていた感情が溢れ出した瞬間。その後の数週間は、目を閉じると波の壁を瞼の裏に見ました。

リアルな死を目の前にして、結末にとらわれることなく、全力で、100%完璧な状態の自分でぶつかっていく準備ができた事が、僕のなかのなにかを変えました。

腹を括る。結果は、知らね。

人生もそれでいいのではないかと思います。

 

 農家は儲からない。でも、自分が百姓として生きていきたいのだから、それでいいんじゃないか。他の選択肢があると思うから苦しむ。歩きたい道以外を歩きたくない自分自身を諦める。ちょっとでも売上を増やすために全力で(時々、手を抜いて)頑張る。結果は、いまこの瞬間には関係ねぇ。

まだ見えぬ結果だけに捕らわれてしまえば、息が詰まる。逃げ道があると思うから本気になれない。全力でやって、それでもダメなら、ダメだと受け入れる。それだけ。考えようが、考えまいが、いつか答えは向こうからやってくる。

僕らに出来ることは、いまを全力でやる。それだけしかないのだと思います。そして、いまを全力で駆け抜けていれば、いつかさざ波と太陽と青い空と森が目に映るのではないかと思っています。

昨日もねぇ。明日もねぇ。今しかねぇ。

アフリカとアラスカと3

この話ながいな。まだ、続きます。

 自分と言う人間の総合力が試されるアラスカで僕は得難い経験を強制的にさせてもらいました。

ユーコン河はかなり大きな大河です。中流部以降は川幅数キロ、河口部に至っては数十キロのサイズがあります。平坦な土地を流れる大河らしく、ゆったりとした流れで、殆ど危ない場所はありません。ただ、道中に二ヶ所 危険なポイントがあります。そのひとつが上流にある『fivefinger』です。

『五本の指』その名が示す通り、広かった大河が、その場所だけウエストのくびれのようにキュと狭くなり、川面からは五本の巨大な岩柱が空に突きだしています。重い川の流れは岩に当たり、砕け、大波が渦巻く危険な場所です。

ただ、右岸ギリギリを進めば安全に抜けられる事を、日本を経つ前も現地に入ってからも何人かの人に忠告されていました。

 

 でも、あれはいったいなんだったんでしょう?ちゃんと意識していたはずなのに、穏やかな川の流れに思考が停止していたのか?魔が差したのか?遠くに岩柱を眺めていたら、気がついた時にはドンドン早くなる川の流れに、危険水準を越える所までカヌーは流れていました。

僕が居たのは河の中心辺り、そこから右岸までは数百メートルの距離。早くなる流速から目測しても必死でカヌーを漕げばギリギリ間に合うか、その手前の大岩が作り出す大波に呑み込まれるか?微妙な位置。9割方 右岸には間に合うはず、だけど、もし、たどり着けなかったら100%の沈没。それから、自分の居た位置からは右岸ギリギリの静水面部分が確認できなかったのです。ひょっとしたら、静水面はもっと先かもしれない。そんな不確定要素がありました。

停止していた思考を急回転で呼び起こし、状況を確認する。

僕の左手前方には二本の岩柱に挟まれた水路が、この岩の間も波は酷いけれど、他の水路よりはマシ。6、7割の確率で乗り越えられそうな感覚。

一瞬のなかで僕は判断を下しました。

『左手の岩場を抜けていこう。』と

不確定要素に賭ける方が危険だと判断したのです。

はい。次は4に続きます。

アフリカとアラスカと2

前回の続き

 アフリカからボロボロになって戻った僕は『もう、旅は終わり。これからはまっとうに生きよう』と、沖縄のサトウキビ工場で働きながら考えていました。

その頃の僕は『真面目に就職して、マトモに生活しなければ結婚も出来ないし、幸せにもなれない』と思い込まされていたんですね。10年近くヒッピーをしていたにも関わらずです❗

ホントに日本の教育は偉大です。自制を刷り込み、常識に縛られた従順な人間を産み出す教育の賜物です。常識なんぞ、ただの多数派の意見でしかないと気が付くまでは、まだ時間がかかりました。

 

 『マトモになるぞ!』と思ったものの、半端者の僕にすんなりと社会に合流する事は出来ませんでした。三年間 北や南や山で季節労働をし、時々 短期の海外旅行に行き、気がつけば29歳の初夏にカナダのユーコン河辺に立っていました。

ユーコン川はカナダ(ホワイトホース)から数千キロ先のアラスカ ベーリング海(確か?)に注ぐ大河です。アフリカで味わった『ガイドブックじゃない自分の旅』をも一度味わう為に行きました。

アラスカは人の密度が非常に薄く、その分 自然の濃度が高い大地です。町が所々に点在するカナダ側上流部はまだしも、アメリカに入って以降は、数百キロおきに人口数十人規模の村がポツリとあるレベルになります。強制的に数週間 人にまったく合わない経験はアラスカ以外では、なかなか出来ないと思います。

アフリカの旅では『忍耐力と適応力』が問われました。アラスカの旅では『人間力と総合力(経験値)』が問われる事になりました。

人に出会わない。世界には自分ひとりしかいないような感覚。悪くなかったです。寂しくないと言えば嘘になるけれど、ひとりを楽しむ時間は、悪くなかったです。

数羽のワタリカラスが僕の見て、僕の事を話し合っているのを聞きました。河辺を急ぐおじさんみたいに人間臭いヤマアラシに出会いました。自分のテリトリーに勝手に張られたテントに怒っているムースにも出会いました。熊や山猫にも出会いました。

ここは、人間の社会ではなく、動物の社会なのだ、と感じました。ここでは、僕の方が部外者なのです。だから、河を流れた数ヵ月の間に僕も動物となりました。生きる自由も死ぬ自由もある世界で、すべての時間を自分だけの為に使いました。

あっ!

書きたい話にまで、まだたどり着かない。ながくなるから、その3に続く。だね。

 

アフリカとアラスカと

 暑い日差しの下でじゃがいも掘りをしました。それにしても暑い❗元々、田んぼだった畑で育てたじゃがいもは、あんまりたくさん採れませんでした。湿気がちょっときついのかもしれません。

 

 じゃがいも掘りをしながら前回ブログに書いたアラスカの事、それに付随してアフリカの事をを思い出していました。

 

 僕は18歳から30歳まで国内外をフラフラとしていました。特に目的意識もなく、全力で逃走する日々。20歳の時になんとなくな流れでアジアを放浪し、その後も結構いろんな国を訪れました。でも、20代半ばまでの前半部分の旅は、殆ど『スタンプラリー』みたいなもんでした。

ガイドブックを読んで、ガイドブックに載っている街や観光地を点々と繋ぐ旅。勿論、そこで出会った人や風景や感情も大切なモノなんですけれど、ただ、決められた道を辿るような旅行でした。

26歳。アフリカの旅はひとつの転期でした。アフリカは『忍耐力と適応力』を問われる大地でした。ガイドブックは殆ど意味を為さず、すべての情報を自分の足で得なければ動くことさえままならない土地。

灼熱のスーダンを越え、エチオピアの片田舎まで来た時に、余りの理不尽さと食事の合わなさ、アフリカ人の適当さ(実はめちゃくちゃやさしくて、素直な子供みたいにピュアな人達だと、その後に気がつきました。)、そして、南京虫の猛攻でボコボコになった身体に、精神が悲鳴を上げました。

『もう、日本に帰りたい。』

半泣き状態でアフリカになど来た自分を恨みました。でも、勿論だけれど エチオピアの訳のわからん村から直ぐに日本に帰ることなど出来ません。限界まで追い詰められた僕が出した答えは『諦めよう』でした。

『帰ることは(物理的に)出来ない。ならば、全てを受け入れて前に進むしかない。』他の選択肢はなかったのです。

そう開き直ってからは異常な勢いで日々が楽しくなりました。いまでもその時の感覚を覚えているのですけれど、本当に尋常じゃないレベルでテンションが上がったんです。あれ?なんだったんですかね?限界を超えて『これ以上は無理』と判断した脳が、自衛の為に脳内麻薬をドバドバ垂れ流していたんじゃないかと思います。

毎日楽しくて、ニコニコしてたら次から次に楽しい事がやって来た。それまで不審の思いしかなかったアフリカ人も皆最高に素敵な奴らでニコニコしながら出会いと別れを繰り返しました。夢の中にいるような、そんな日々でした。(まぁ、最終的に上がれば下がるが世の習いで、その後 酷い落ち方したんですけどね。)

アフリカは自分の全てを総動員して前に進む『本当の旅』を僕に味会わせてくれました。そして『旅も人生も(ポジティブに)諦めて進むしかない』事を教えてくれました。

その体験が今の自分を支えています。

人生を終える決断が出来ないのなら、どんなに自分の事が嫌いでも、今の生活が嫌でも、こんなハズじゃなかったと思っていても、諦めて、受け入れて、前に進むしかないないんです。他の道はないんですよ。

話が長くなったのでアラスカの話は次回にします。

想像力

 八月上旬に淡路から、お盆前に東京から友人とその家族が遊びに来てくれていました。両方 長男と年齢が近い子供がいて、子供同士一緒に遊んでいました。

夜になると子供たちはオバケ退治で家のなかを散策。でも、やっぱり怖い。想像力が暴走してワーワー言いながら親の元に逃げ帰ってきます。じぶんでもそうだったのだけれど、子供の頃って想像力が豊かですよね。見えないものを想像し、恐れおののく。大人になったいまは『オバケよりもよっぽど人間の方が怖いよ。』と、つまらない大人に…

でも、大人になってからも頭のなかで想像が膨らみ、自縄自縛してしまうことがよくあります。

 僕は20代の終わり頃にアラスカの河を、カヌーでキャンプをしながら降った事があります。人間の濃度が極めて薄い土地で、その分 野生が濃い場所でした。夕方(白夜なので明るいですけれど) キャンプをしようと岸に上がりテントを建てて、焚き火用の薪を拾いに森にはいると至る所にヒグマの足跡🐾が…。それもデッカイの❗人の掌よりも大きな足跡がテントのすぐ傍にたくさん残っています。

夜 怖くて眠れなかったです。枯れ枝を踏む音にドキドキしながらテントから覗くとヤマアラシと目が合ったり(笑)。

なんでもないときには無視できるのに、一度恐怖のループに捕らわれると想像力が暴走を始めます。余りにも怖くてカヌーのなかで眠った夜も幾日かありました。そのうちに慣れて、開き直って、普通に陸で寝てましたけどね。

後年 友人と二人でモンゴルの川をゴムボートで降っていた時にもキャンプ場所に狼が掘ったであろう巣穴が幾つかありました。朝起きて二人で朝食を食べていると、友人が『昨日は狼が怖くて眠れなかったです。』って言っていました。アラスカでのじぶんを見ているようで微笑ましかったです。朝の光のなかで、彼は『なんで?あんなに怖かったんだろう?』と

 

恐怖は一度とらわれると、そこから抜け出すことが困難です。悪い想像や恐ろしい想像が頭のなかをグルグル回り続け、その思いを排除するために冷静さを失った行動にでる場合があります。

例えば、隣人や隣国に対して『やられる前にやってしまえ❗』と喧嘩や戦争になったり、レールからはみ出す恐怖からうつ病になりながらも仕事を続けたりします。

実は、殆どの場合、そんなに大したコトでもないのですけれどね。

『じぶんよりも強いものがいる世界』を実感できた事、『恐怖の想像を頭のなかに閉じ込めてしまうと暴走しちゃう事』『本当に怖いのは恐怖に縛られて間違った判断をしてしまう事』

そんなことを若い頃に知れたのは、結構大切な事だったのではないかなぁと思う今日この頃です。

美人ですねぇ。

 今日も茄子のお話。

りんもく舎で5種類育てている茄子のなかで一番作付量が多いのが『真黒茄子』です。やや長めの茄子でスーパーなどでよく売られている『千両茄子』の先祖種になります。ナス類総数300株のうち200株は真黒茄子です。

茄子は栽培の難しい野菜のひとつです。しかし、なぜか僕は茄子栽培が得意で、友人の有機栽培農家から『茄子師匠』とか言われています(笑)。

茄子がおもしろいのは、結構人間臭い部分があるからです。若い、ちょっとチンピラみたいなところがあり調子の良いときは『イケイケ、ドンドン』なのに、ちょっと辛くなると『ショボショボ』となって、根性なく、すぐに枯れてしまいます。バカで素直で投げたしがちで分かりやすいと、誰かに似ているから好きなのかもしれません。

不耕起栽培7年目の畑の茄子はスラリとしてキレイな樹形で『美人やなぁ』と惚れ惚れしながら魅入ってしまいます。蝶よ花よと甘々に育てられた慣行栽培品にはない『凛として自立した』印象を受けます。

長くて白い

 世間はお盆休みに突入したようで、観光地の信濃町町内も車通りが増えています。そんな世間の長期休暇とは無関係に百姓は続きます。

 

 りんもく舎では茄子を5種類作付しています。定期宅配が基本営業なので手を変え、品を変え お客さんに飽きられないようにしています。でも、珍しい野菜をお届けしても極一部の方には受けますが、たいていは受けません。

農家をしていて、食と言うのは非常に保守的な分野だなぁと感じます。トマトなら桃太郎、ぶどうなら巨峰といった具合に、殆どの人は慣れ親しんだ品種を好みます。また、土地柄に沿った地場品種なんかもあります。信濃町(北信)で例えれば『ぼたこしょう』や『小布施丸ナス』などがあります。

ぼたこしょうと言うのは、縦に潰れたピーマンのような形をした唐辛子辛い野菜です。まわりの人は大抵作付しているので、りんもく舎でも数年間は作ったのですけれど、町外の人には非常に評判が良くなかったです。『辛い❗』『どーやって使うのかわからん💢』などなど

なので、今年は作るのを止めました。

すると奥さんが『ぼたこしょう作ってないの❗』と、信じられない❗みたいな反応。… そして、『こしょう漬け(郷土料理)作れないじゃない。』とか、のたまう始末。

『あんた、年に数回しかこしょう漬け作らへんやん…』

 

あれ?話が変な方にトンだな。ナスの話やったはずなのに…

 

 りんもく舎で育てているナスは基本の長ナスが『真黒茄子』、それから在来種の『在来青ナス』、固定種の『ローザビアンカ』、欧米人に好まれる『フレンチ白ナス』の毎年作付4天王と、今年はじめて育てた『味しらかわ』って品種になります。

この味しらかわは『白くて、超細長い』茄子です。

超長ナスは『庄屋大長』と言う品種が有名です。大きくなっても皮が薄くて味もよく、西日本ではメジャーな品種です。ただ、過去にりんもく舎でも作付しましたが、東日本の長野ではまったく馴染みがないようで、直売場でまったく売れませんでした。

白いナスは今年も作付している『フレンチ白ナス』です。クリーミーな食間でとても美味しいのですが、これまた保守長野の直売場では殆ど売れません。(庄屋大長よりはマシですけど) ただ、美味しいから意地になって育てています。

そんな売れない2大ナスを合体したような『味しらかわ』は、やはり売れません。

奥さんから言われました。『なんで、そんな不利なナスを育てようと思ったの?』って、…『本当にそうですよね~。』

『味しらかわ』

樹勢旺盛でやたら大きくなり豊産品種らしく毎日たくさん採れます。…『こんなにあるけど、どないしよ?』

やり過ぎ

 畑の面積を今年から増やした影響で野良仕事が追い付いていません。農業はタイミングの仕事なので適期を逃すと雪だるま式に仕事が煩雑になります。

草刈りや選定、追肥のタイミングを逃してしまうと野菜にも諸々の悪影響がでます。捕らぬ狸の皮算用で作付面積を増やして増収をはかったのに、結果的には小面積で痒いところに手が届いていた方が野菜が元気で収量が良かった。なんて事になります。

来期は、もう少し面積減らそう。

延び延びになっていたナスとピーマン類の選定(芽かき)をしました。ナス科の野菜は『生殖成長と栄養成長』を同時に行います。なんのことか?と言うと、生殖成長は実を育てる成長。栄養成長は株を育てる成長の事です。人間で言うなら第二次成長期に子作りもしてる。みたいなものか?(ちょっとちがうか)

身体の成長と種作りを同時に行うものだから野菜はバランスを崩しやすくなります。そこを制御するために、混みすぎた枝葉やバランスの悪い株立ちを剪定して整えます。

元々、うちのように肥料を殆ど与えない育て方では、野菜がギリギリで成長するので余り必要のない作業なのです。が、今年は新しく借りて2年目の畑と言うこともありちょっときつめに元肥を入れました。それで株が少し暴れています。

剪定は結構難しい作業でセンスと経験が必要です。株の盛衰状態や今後の予測を元にハサミで枝葉を落として行きます。ヘタな剪定をしてしまうと逆に株を弱らせてしまったりもします。

これでいいのかなぁ?とナスやピーマンと相談しながら進めて行きます。

見開きのピーマン 左が剪定後、右が剪定前です。

 

原始人

 近頃 子供のための集まりに行くことが多いです。『川で魚取り』とか『お寺に泊まろう』などなど 子供にいろいろな経験をさせてあげたいと企画された催し。僕も及ばすながらスタッフとして手伝いを少しします。

そこで感じる事は『子供に経験をさせたいと思っている大人のスタッフの経験値不足です。』

『魚取り』では、川で魚を捕まえた事ないだろ。って、手つきのスタッフ。

『お寺に泊まろう』では、ご飯や肉を焼くための焚き火がおこせない。& 火を制御できないスタッフ。

そんな大人ばかりなんです。

子供に経験させる前に、じぶんで経験した方がいいよ。偉そうですけど、そんな気持ちになります。

僕は若い頃、ヒッピーをしていました。のべ日数ならば、たぶん数百日はキャンプをしています。その数だけ焚き火をおこしていました。

火をつけるときは、どんな風に焚き付けを組むのか、どんな木がどんな燃え方をして、どんな燠になるのか。身体に染み付いています。

ガスレンジしか使った事のない大人は、火の誕生から終焉までを想像できないのです。だから、生煮えのご飯を炊き、黒焦げの肉を焼きます。

そんな話を夜 友人のスタッフと話しました。でも、彼曰く『時代が違うから火をおこせる事は、そんなに必要な事じゃないんじゃない?』って、確かに、その側面もあると思います。

でもさ、人と動物の違いは『火を取り扱える』所から始まったんじゃないの?だから、火を扱えるって『お箸を使う』って事とおなじくらいの基礎的な事じゃないかなぁと、僕は思います。

でも、よくよく考えてみると僕の興味があることは『火を取り扱う(原始人)』、『魚や獣を捕まえて、調理する(狩猟民)』、『山菜や木の実を捕る(採集民)』、『畑と田んぼ(農耕民)』、『小屋を建てたり、直したり(百姓)』なんですよね。

で、現代的な『SNS』とか『スマホ』とかはまったく使いこなせていません。

まぁ、なんだ。僕のレベルが現代人にまで追い付いていないことが判明した今日この頃です。

それでも原始人の方が子供には受けるけどね。

怒ってますか?

 夏の野菜は、果菜類が中心になります。果菜類って言うのは『実のなる野菜』の事です。きゅうりとかトマトとかとうもろこしの事ですね。

果菜類は未熟な実を食べる野菜が多くて(南瓜とかスイカは完熟果ですけれど) 根菜や葉物野菜に比べて、収穫適期が短いものが多いです。畑で遊ばせておく事が難しいのです。極端な例では、最盛期のきゅうりやズッキーニは、日に朝夕2回の収穫が必要です。なので、この時期は丸一日を休む事ができません。

この頃の僕の一日スケジュールは、夜明けと共に起き出して朝の収穫が良い野菜(とうもろこしとか)を収穫し、選別、梱包、荷造り、出荷、配達を済ませて家に戻るのがだいたい10時頃。それから畑に出て2時間の昼寝休憩をはさんで5時過ぎまで農作業。その後、夕方の収穫を日暮れまでしてうちに戻ります。それから子供をお風呂に入れて夕御飯を食べた後、10~11時頃まで野菜の選別や梱包を行ってから寝ます。で、4時半起床です。

農業は、構造的ブラック産業にならざるを得ません。雇われて給料貰っては絶対にやりたくない仕事ですね(笑)。

ところで、ここ4日ほど友人が遊びに来ていて収穫、出荷作業以外の農作業を休んでいました。そのつけがドカっとやって来ています。

遅くなったキャベツ類の植え付けをしていると、キャベツが怒っています。『なぁ、父ちゃん。植え付け遅くない?もう、俺ら狭いプラグトレイで疲れてるよ。』って…はい。すんません。ずっと気になってました。

夕方ナスを収穫していると、ナスが怒っています。『なぁ、父ちゃん。ちょっと葉っぱ混みすぎと違う?数日前から芽かきせなあかんってあんたわかってたんやろ?』って、はい。すんません。わかってました。

ナスを収穫しながら『ホンマ、すんません。明日にはなんとかやりますから』とナスに平謝りする今日の収穫でした。(他の作業も山積みで約束守れるかなぁ?)

はい。皆さんをほったらかして、遊びすぎました。すんません。お父ちゃんが悪かったです。

 

植林と雑木林

 金曜朝から月曜夜まで淡路島の自然栽培農家が遊びに来ていました。旅をしていた頃の友人で、僕の農業の師匠でもあります。20年来の親友でお互いに結婚し、子供が産まれた今も往き来する仲です。今回は身重の奥さんと下の娘さんを残して、長女と二人での来訪でした。

夏野菜は収穫を待ってくれないので早朝に起き、朝は収穫と発送、昼間は遊んで夕方から収穫、夕飯食ってから深夜まで梱包作業をするハードな毎日でした。

それでも古い友が来てくれるのは嬉しく、バテバテですけれど充実した日々を送らせてもらいました。

 

 先日 夕方 収穫をしていると隣の畑に近所の知り合いが来ました。東京から10数年前にIターンしてこられた方で、80歳近い年齢にも関わらず趣味から始まった『養蜂』にどっぷりとのめり込んでおられる素敵な方です。その方と我が家の農法について少し話をしました。

『鈴木くんの畑は不思議なやり方をしているね。』と、

昔の方なので草一本生えていない畑が篤農家の証と思っていらっしゃいます。一方で我が家の畑は、通路も畝も草がボサボサに生えています。それなのに、野菜は元気に育っています。それが不思議でしょうがないのです。

有機農業や自然農は、既存の慣行栽培とはかなりかけ離れた考え方を軸にしています。ある意味では真逆の考えを栽培の根底にして行っているので、既存の農法しか頭にない人に下手に有機農法の話をすると相手を否定していると思わせかねなく、不快感を与える場合があります。だから、相手を見て話をします。

❌❌さんなら理解できるかなぁ?と、ちょっとした例え話をしました。

『❌❌さんは、植林された森と雑木林では、どっちが好きですか? 大抵の方は雑木林の方が好きですよね。』

『それって、植林した森よりも雑木林の方が生命に溢れて気持ちが良いって、感覚的にわかっているからですよね。』

『じゃあ、なんで? 皆さんは、畑を植林みたいな状況にして、野菜だけを育てているんですかね? 僕は、じぶんの畑を雑木林にしたいんですよね。いろんな生命が持ちつ持たれつしながら気持ち良さそうに生命を謳歌できる場所を作りたいんですよね。その為には、雑草も虫も必要なんですよ。』

❌❌さんは❔な顔をしながら去っていきました。

 

僕はいつも不思議に思います。

自分が野菜だったら『薬(農薬)を頭からかけられたいでしょうか?』『人間(単一野菜)しか居ない世界に住みたいでしょうか?』『暑い日差しを直接肌に浴び続けたいでしょうか?』『雨が降っても傘など要らないのでしょうか?』『呼吸の出来ないビニールの服(マルチ)を着せられたいでしょうか?』『栄養価の高いご飯だけを食べさせられてブクブクに太りたいでしょうか?』

自分なら嫌だと思うことを、なぜ 野菜には出来るのか?

僕には、よくわかりません。